心に花を、世界に音を
#7 もう二度と叶わないと思っていた。〈円藤春人〉-2

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「は? 今から同窓会?」 『そう! おまえも今すぐ来いよー』  夜。部屋で明日の授業の確認をしていたら、懐かしいやつから電話がかかってきた。高校の同級生だ。声の感じからして酔っているらしい。 「何で急に?」 『……聞いて驚くなよ?』 「何だよ」 『伊織いおりちゃん、帰ってきてんだよ日本に!』  中途半端な笑みを浮かべたまま固まってしまう。伊織――紫村しむら伊織。高校を卒業してすぐウィーンに留学したから、もう九年会ってないことになるのか。 『はーるとー、元カノがお待ちかねだぞー』 『おい、余計なこと言うなって!』  電話の向こうが騒がしい。容易に困り顔の伊織が想像できてしまって、なんだか息苦しくなった。 『悪い春人、こいつ、さっきからこの調子でさ』 「……いや」 『時間あったら顔出せよ。待ってるから』  薄ら笑いだけ返して電話を切る。行けるわけがない。今更、合わせる顔なんてない。  あいつはプロのピアニストになった。俺は、夢をあきらめた。日本でピアニストを目指すなんて、ほざいておいて。合わせる顔がない。 「先生、さよならー」 「さようなら。気をつけてな」  校舎を出て駐車場へ向かう途中、声をかけてきた生徒に笑顔で手を振り返した。我ながらいい先生だと思う。いい先生を演じてる部分も、ある。 「春人」  ――聞き覚えのある、清らかな声だった。振り向くのが怖い。それでも聞こえなかったふりができるほど、俺は冷酷にもなれなかった。  振り返ると、大きなサングラスをかけたスラリとした女性が俺を見ていた。短い髪から覗く大ぶりなピアス。髪、切ったんだ。前は伸ばしてたのに。 「久しぶり」  するりとサングラスを外し、懐かしい瞳と目が合う。よく知っているはずなのに、初対面のような距離を感じるのはどうしてだろう。伊織は、なぜか悲しそうに笑った。 「何の用? わざわざ、こんなとこまで」 「ずいぶんと冷たいのね」 「用ないなら行くけど」 「――昨日。どうして来なかったの?」  背中を向けたところでそんな言葉が飛んでくる。なに言ってるんだよ。伊織がいるって聞いたら、俺がバカみたいに飛んでいくとでも思った? バカじゃねーの。別れたの、何年前だと思ってんだよ。 「行きたくなかったから」 「どうして?」 「一から十まで言わなきゃわかんない?」  振り返り、できるだけ冷たい顔をつくる。俺はもうあの頃の俺じゃない。変に期待しないでほしい。 「私、春人に話したいことがあったの」 「なに、結婚でもすんの?」 「今度日本のコンクールで審査員することになったの」  ニホンをニッポンと言ってしまうあたり、伊織はもうすっかり外国人だ。たった九年でそんなに染まるもんかね。 「それでね……誰か推薦するようにって、言われてるんだけど」  なんて言葉を濁らせる。続きが読めてしまって無意識にため息が落ちる。 「春人、出てみない?」  ――やっぱり。  もう二度と叶わないと思っていた。夢なんて、見るだけ無駄だって。その思いは今でも変わっていない。  祈るような視線を向けてくる伊織に疲れ、顔を背ける。不意に、咲子の笑顔が頭に浮かんだ。咲子が笑顔で話していた、彼のことが。 「咲子の大学に、耳の聞こえないピアニストがいるらしいんだ」  乱暴なのに繊細なピアノだと咲子が言っていた。俺なんかよりずっと、才能があるんじゃないだろうか。 「彼に話してみるよ」 「……私は、春人に頼んでるの」 「俺やめたから。ピアノ」  もう一度だけ振り向いて車に乗り込む。最後に見た伊織の顔は、やっぱり、悲しそうだった。

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