天使の脳みそ
手紙を綴るオートマタ

小説を栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 祖父の死後、主人を失った屋敷は孫である僕のものとなった。父も母も、管理が面倒で金ばかりかかる古屋敷など要らないと言う。趣のある洒落た洋館なのに全く見る目がない。  本格的に内装工事をし、棲みつくための準備をしていると、業者が地下の物置から古い木箱を見つけてきた。床に立てて蓋を開き、早速、中を改める。  箱に入れられていたのは一体のアンティークドールだった。男の姿をしており、机に向かって羽根ペンを握っている。その造形や服、椅子や机など、何もかもが精巧に作られていた。 「腰に螺子巻きがありますね」業者が物珍しそうに言った。「これ、自動人形オートマタですよ。かなり値打ちものじゃないですか」  と、熱っぽい言葉に押されて、僕はその場で人形を動かしてみることにした。人形の机の上には小さな洋燈があり、オイルの注ぎ口と芯があった。点火できる。本物の洋燈なのだ。  腰の螺子巻きをきりきり巻く。すると人形の首が傾いだ。こくり、こくり……まるで居眠りをしているようだ。洋燈の火も小さくゆらいでいる。人形ははっとしたようになり、慌てて洋燈の火を大きくした。そしてペンを構え、手元の紙に何やら言葉を綴りだした。  *  エリーは大きなお屋敷のお嬢様だが、生まれつき病弱で車椅子がなければろくに動くこともできなかった。自室に閉じ込められている娘を憐れんだ父は、彼女の誕生日に人形をプレゼントした。  なんてたって自動人形だ、よくできているだろう、これでおまえも寂しくない……父の言葉どおり、人形は素晴らしい作りで、エリーはその珍しさに夢中になった。紙を取り替え、何度も螺子を回し、人形に手紙を綴らせた。 『今日も空は良い天気です。愛しいあなたを想います。愛しています』  たった一文だけだが、詩的で情熱を帯びていて、エリーはとても気に入っていた。  人形もエリーを気に入っていた。何度も何度も同じ言葉を書き続けるだけの退屈な宿命は、彼女を元気づけるためにあったのだ。  五年が経ち、エリーが十五歳になった頃、彼女は人形の螺子に触れなくなった。机の手紙は綴りかけのまま放置されている。  もう自分に飽きたのだろうか。人形は寂しく椅子に座るほかなかった。  ある夜、エリーはベッドに腰掛け、人形をそばに置いた。長い睫を伏せ、ぽつりぽつりと語りかける。 「今まで、あなたの手紙を無邪気に喜んでいたわ。お洒落で素敵って……でも、あなたの手紙はいつも、愛……私には、ないものよ。私は病気だから将来愛する夫もいないし、家族からも疎まれているわ。ただここで静かに朽ちるのを待つだけ。それだけなのよ……」  部屋の明かりに浮かんだ少女の顔は蝋より青白く、酷く痩けていた。  人形は歯痒くてたまらなかった。彼女への愛なら山ほどある。だが伝えたくても、自分に許された行動はただ螺子の続く限り手紙を綴ることだけなのだ。  ――さあ、巻いて。この螺子を。  人形は精一杯に視線を送り、語りかけた。  ――僕に想いを綴らせてほしい。これはあなたへの愛。あなたへの言葉。あなたにだけなんだ……  気づけばエリーは指先を伸ばしていた。こわごわ、導かれるように螺子を巻く。きりきり、小さな機械音と共に人形が動き出し、文が綴られていく。 『愛しいあなたを想います。愛しています』  ――愛しています、エリー。重い病に冒されていても、あなたは可憐で美しい。愛しています、エリー……愛して……  *  人形の元の持ち主は外国のお金持ちで、病弱な娘を慰めるために買われたらしい。娘が亡くなってしばらくは屋敷に飾られていたが、家の没落と共に手放して、アンティークコレクターの祖父の手に渡ったようなのだ。  あの日、初めて人形を動かしてみて、業者と僕は同時に息を呑んだ。洋燈の灯りに照らされた彼の頬に、つ、とひとしずく、水滴が流れ落ちていったのだ。洋燈の火に翳され、ろくに手入れされていないために頬の塗料が溶けたのだろうとあとで結論づけられたが、僕にはまったくそうは思えなかった。  というのも、人形が綴った手紙にはこう書かれていたからだ。 『今日も空は良い天気です。愛しいあなたを想います。愛しています。エリー』  ネットで調べたところ、この人形はオーダーメイドではないし、製造時点で手紙の文言が決められていたという。  最後に綴られた『エリー』の文字は、苦しげに歪み、インクがひどく滲んでいた。嵌められた枷に必死に抗い、絞り出したかのような苦悶がはっきりと顕れていたのだ。  貴重な人形を是非とも寄贈してください、と博物館や人形館から依頼が殺到したが、僕は彼を世の人の目に晒したくはなかった。部屋に飾って、時折洋燈に油を差して火を点し、螺子を巻いてやる。そして彼が亡き令嬢へ想いを綴るのを、ただじっと、見守り続けてやろうと思うのだ。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません