天使の脳みそ
彼の奇妙な仕事

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 この国において金のない男は無価値である。俺は貧しい村の生まれで手先は不器用、無駄に怪力とあって、生きる道は一つしかなかった。傭兵となり各地の戦争のために身を粉にして働いた。しかし戦争が終結し、俺は唯一の職を失ってしまったのだ。  実家からは「甲斐性無し」と罵られ追い出されてしまった。仕方がないのであちこちを渡り歩き、その日暮らしで食いつないでいたところ、ある仕事の募集が俺の元に届いた。  隣国の王宮が腕利きの者を探していて、しかも外国人限定だという。俺はすぐさま応募した。戦闘力を試すような試験があるだろうと思い構えていたが、王宮の兵舎で簡易的な面接があるのみだった。  俺に与えられた仕事は、地下深くにある宝物庫の警備だった。外周に沿ってつくられた狭く暗い通路を延々と歩かなければたどり着くことはできず、しかも迷路のような複雑な構造で、要所要所に警備兵を置き厳重な警備体制が敷かれていた。  担当騎士に言われた注意事項は三つ。「ここには時折関係者が出入りするが、決して中を覗こうと思うな。中から物音がしても気にするな。そして一切物音を立てるな」――ただの宝物庫にしては奇妙な内容だ。  何より驚いたのは宝物庫の外側の空間が俺の寝所になったことだ。簡易ベッドに簡易便所、食事用テーブルがあり、時間になると兵士が食料を配給する。給料をもらいながら囚人生活を体験している気分だった。  番人生活も三日目になる頃、疑似囚人生活にも慣れ、テーブルでくつろいでいた時だった。  ジャリ。――咳払いでもしていたら確実に掻き消えていただろう小さな音――石床に金属が擦れるような音が、宝物庫の壁の向こうから微かに聞こえたのだ。  誰か出入りしただろうかと思い返したが記憶にない。幽霊を信じるタチではないが心臓に悪かった。そのうち、王の傍仕えと騎士と司祭がやってきて、俺の目の前で宝物庫の扉を開けて入っていった。  宝箱を開いて何か物色しているのか……だが、中から聞こえるのは明らかに金属の擦れるような音だけだ。ジャリジャリ、ジャリジャリ……鎖がいくつも引きずられ擦れ合う音……俺もかつて何度も耳にしてきた。戦争で掴まった捕虜たちが暴れ、彼らを捕らえる鎖がこんな音を立てていた……  まさか、と思う。だが疑念は日に日に俺の中に増していく。  男たちは必ず三人一緒に、しかもかなり頻繁に出入りして、袋に何かを詰めて出て行く。俺はとうとう好奇心に耐えられず、一人の時を見計らい、宝物庫の壁をそっと突いてみた。  微かな鎖の音……反応がある。誰かがいるのだ。俺は興奮し我を忘れ、壁を突くのを繰り返した。その度に鎖の音が応える。この奇妙なやり取りは俺の密かな楽しみになった。  ある日また男たちがやってきて、中に入りすぐに出ていった。真っ青な顔をして「ただちに報告を……」などと言っている。ふと目をやると、騎士の槍の先に血の色がこびりついているのが見えた。  血の気の引く思いだった。無駄な怪力を使い彼らが去ってからすぐに扉をこじ開けた。そして扉の向こうの光景に息を呑んだ。  襤褸を纏った女がひとり、鎖に繋がれ横たわっていた。身体中、生傷だらけで息がない。床にこびりついた夥しい血の跡は、よく見るとルビーを砕いたような細かな残骸だった。 「おい起きろ! おまえは誰だ、どうしてこんな……」  奇跡的に女は目を開けて俺を見た。そして、小さな吐息を漏らした。 「あなたが、壁の、外の、ひと」  息も絶え絶えに続ける。 「おねが……たすけ、て」  今にも死にそうなぼろぼろの女。だがその吐息は、声は、魔性だった。俺は取り憑かれたように鎖を引きちぎり、女を横抱きにして部屋を飛び出した。  道中、警備兵が大勢飛び出してきたが全員蹴倒してやった。城じゅうの者たちが俺を追う。だが追いつけるはずもない。俺を誰だと思っているんだ。戦いに才能のすべてを持っていかれた男だぞ……  夢中で走っているうちにどういうわけか国境を越えていた。見知らぬ森の中、疲れ果て倒れこんだ俺の隣に女も倒れた。豊かな金の髪の間から細く尖った耳朶が見えた。 「おまえは、エルフ……絶滅したんじゃ、なかったのか……」 「エルフの流す血は、ルビーになる」女は地に伏せたまま俺の手に手を重ねた。 「私たちは、人間に掴まって、たくさん、血を奪われました……私が、最後の……」  掠れた声がふつりと途切れる。深緑の瞳の奥で命の灯火が消えかけている。 「ありがとう……優しい、ひと」 「まて、逝くな」 「どうか、私の血を……あなたのために、つかって」  女は息絶えた。俺は生まれて初めて涙を流した。   ***  俺は今、相変わらずぎりぎりのその日暮らしをしている。  町外れに小さな棲家を建てた。そのすぐ横に彼女の遺骸を埋め、一生添い遂げるつもりで生きている。  

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