天使の脳みそ
赤ずきんとおおかみ

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 小さな籠に花を入れ、小振りなワインとケーキがひとつ。少し寄り道したけれど、おばあちゃんはきっと喜んでくれるわ。  少女ははっと振り向いた。花畑に膝を突いたまま見上げると、ぬっと大きな影が頭上を覆っている。 「やあ、赤ずきんちゃん」 「赤ずきんちゃん、だなんて。わたしにはれっきとした名前があるのよ、おおかみさん」 「俺にはないんでね。おまえは俺をおおかみと呼び、俺はおまえを赤ずきんと呼ぶ。同じだろ?」  少女は自分が被っている真っ赤な頭巾の紐をきゅっと締めながら立ち上がった。 「ブランシュ。わたしの名前、ブランシュよ」 「はいはいわかったよ、赤ずきんちゃん」  この狼は森で少女を見つけるたびにこうして絡んでくるのだ。余程暇を持てあましているのだろうか。しかし少女は、森の奥に棲むおばあちゃんへのお見舞いで頭がいっぱいで、そんなことはどうでもよかった。 「じゃあ、わたし急ぐから。さようなら」 「つれねえなあ」  狼は大股で近づき、あっという間に行く手を塞いでしまう。 「毎週毎週、そんなものを持って行って、何をしてるんだ?」 「お見舞いよ。おばあちゃん、身体を壊して寝たきりなんですもの」 「お見舞いだって? 笑わせる。行くなよ」 「何をいうの? どいてちょうだい」  赤ずきんは両手で精いっぱいに彼の体を押しのけようとした。しかしびくともしない。 「行くなっていってんだろ!」  狼の手が少女の右腕を強く掴む。爪の先が柔らかな肌に食い込み、血が流れた。 「あっ……」  咄嗟に狼は手を引いた。  少女はさっと青ざめ、籠を抱えて走り出した。狼に追いつかれないように無我夢中で駆け抜ける。実際、彼がその気になればすぐにでも追いつくだろうが、傷をつけたのが余程こたえたのか、追いかけてくる気配はなかった。 「変な、ひと……」  立ち止まり、息を整える。右腕にはまだ血が垂れていた。しかし止血できるようなものは近くにない……  少し歩けばすぐにたどり着く。おばあちゃんの家は少女を出迎えるかのように出入り口を広く開けていた。 「おばあちゃん……」  そっと中を覗き込む。いつ来ても明かりはなく、暗闇に包まれている。 「起きてる?」 「ああ、ブランシュ」  闇の奥からしわがれ声がした。 「待っていたよ。今日も持ってきてくれたのかい?」 「ええ。ケーキもつくったの。ワインに合うと思って」 「なんて優しい子だろうねえ。さ、籠はそこに置いとくれ」  言われるがまま、眼前にある石のテーブルに籠を置き、中身を取り出して並べた。 「さあ、ワインを持ってきておくれ」 「ええ、わかったわ」  小振りな瓶を手に少女はベッドへ近づいた。おばあちゃんは相変わらず息が荒い。口元は大きく腫れ上がり、耳も目も、何もかもが肥大化して、おまけに毛むくじゃらだ。それだけ特別な病気なのだ。どんな薬も効かず、ただこのワインだけが症状を緩和させてくれるのだという。  瓶のコルクを抜き、おばあちゃんの口元へ持っていく。するとおばあちゃんはけむくじゃらの大きな手で瓶を奪い取り、ごくごくと飲みほした。 「おお、美味しい……本当に美味しいよ、ブランシュ」 「よかったわ」  少女は左腕を押さえて微笑む。だが次の瞬間、おばあちゃんはカッと目を見開き、鼻をひくつかせた。 「ああ、おまえ、まさか、血を……! 血を流しているな!」  がばりと起き上がり、ものすごい強さで体を鷲掴む。そして、右腕に流れる血を見つけるや否や、べろりと舌なめずりをした。 「くっ……おまえがもう少し太るまではと、あんな瓶の古血で耐えていたというのに……ああ、あああ!」  ぐわり。眼前で巨大な口が開いた。赤黒い大穴に、呑み込まれる……吸い込まれそうになる。 「ブランシュ!」  その瞬間、背後から獣の気配が猛烈な勢いで駆け寄り、巨大な狼を突き飛ばした。いつも少女に絡んでくるあの狼が馬乗りになって噛みつき、痛めつけている。やがて巨大な狼は動かなくなった。  狼はふり返り、血にまみれた口元を拭いながら俯いた。 「その……なんだ、まだ赤ん坊のおまえがこの森に捨てられてからよ、こいつがいつかおまえを喰おうと企んで、うまいこと騙くらかしてたのはみんな知ってたんだよ。なんとかしてやりてえなって、思ってたんだよ……」  いつの間にか、洞穴の入り口にぞろぞろと狼が集っていた。みんな憐れむような目でこちらを見ている。 「おまえの右腕を傷つけたのは、謝る。悪かった。俺は狼だから、どうしても人間のおまえとはいろいろ違うところもあるが、これからも……仲良くしてくれねえかな。俺と……いや、俺らと」  狼は不器用な笑みを浮かべて頭を掻く。外の狼たちがひゅうひゅうとはやし立てた。  放心していた少女ははっと我に返る。 「……心配してくれていたのね。ありがとう、狼さん」  少女は、未だ血の流れる右腕と、傷に塗れた左腕で自らの胸を抱き、痛々しい笑みを浮かべた。 「たすけてくれて……ありがとう」

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