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合川さん自宅に辿り着くまでに、興味のない彼女の家族構成を聞かされた。 合川さんは一人っ子で、洋楽ロック好きな両親に、生まれた頃から洋楽ロックを浴びせられてきた。 その中でも合川さんが心を惹かれたのが、クイーンだったと言う。 「私、フレディに一目惚れしたの」 いたって普通のマンションのエントランス前で、合川さんが呟く。 彼女の自宅はここの3階らしい。 エントランス奥まで進み、エレベーターの上りボタンを押す。 「それこそ、ライアーのミュージックビデオを見てね。こんなに美しくて刺激的な男の人が歌っていたんだって、それまで知らなかったの。どんな人が歌って、演奏しているかなんて。フレディに会いたいってどれほど思ったか!でも彼、とっくに死んでたんだよね。初恋の相手が、最初から永遠に会えない相手がだなんて辛すぎない?神様ってなんて意地悪なんでしょうね」 合川さんは海外のコメディドラマのように大袈裟に肩をすくめて、僕たちのもとに辿り着いたエレベーターに乗り込んだ。 彼女が3階のボタンを押し、扉が閉まる。 上昇。 僕はエレベーターのこの感覚が大嫌いだ。 眉間に皺が寄る。 そんな僕の表情を、合川さんは馬鹿を見るように呆れた顔で見つめていた。 「エレベーター怖いの?お子ちゃまだね朝妻君。っていうか私の話聞いてた?相槌も何の反応も無いじゃん。そういうのね、女の子から嫌われるよ。モテないでしょ、朝妻君って」 うるさいし、余計な言葉が多すぎる。 彼女は配慮って言葉を知らずに生きてきたんだろうか。 エレベーターが止まり、扉が開く。 外に出ると、合川さんはホットパンツのポケットから鍵を取り出した。 「そんなモテない朝妻君。女の子の家に上がるのなんて初めてでしょ。鼻血出さないでよね。今日夜まで親居ないんだけど、変なことしたらぶん殴るよ」 「悪いけど、合川さんにそんなことしようなんて1ミリも思わないから」 言われっぱなしで黙っておけない。 僕は思うままに言葉を投げた。 永遠にハンドルを彼女に握らせてなるものか。 そんな対抗心で。 「そう言えば昨日のサーターアンダギー残ってたかなぁ。朝妻君食べる?お母さんの職場の人が作ってくれたやつ、貰ったんだって。割と美味しかったよ」 すごい。 完全に無視された。 それとも僕の声ってそんなに小さいのか? 一方的すぎる合川さんに全く着いていけない。 会話が出来なさそうだということはなんとなく予測がついたはずなのに、ここまで来てしまったのは、きっと僕もクイーンオタクの友人が欲しくてたまらなかったからだ。 それほどまでにクイーンは僕を支配している。 「ここだよ」 エレベーターから3部屋ぶん歩き『303』のドアの前で立ち止まる。 合川さんが鍵を開け、ドアを引いた。 瞬間、ドアの奥から馴染みのあるベース音が、僕の耳を刺激した。 「……『地獄へ道づれ』」 「そう!私、再生しっ放しで家出ちゃってたんだ。まぁ良いや。上がって。良い音質のコンポあるんだよ。お父さんが頑張って買ってくれたの。この曲を聴くにはぴったりの、重低音に特化したコンポ!早く入って!」 ジョンのベースが部屋中に響く。 きっとそのコンポから流れてくる音なのだろう。 また、バタバタと前を進む合川さんのポニーテールに視界を揺らされながら、僕も靴を脱いで部屋に入る。 「お邪魔します」 お隣さんから苦情が来ないか心配になるほど、響き渡るベースとバスドラム。 フレディの低い声が徐々にヒートアップして行き、弾くような高音でアドリブを決める。 リビングに通されると、テレビの左右に並べられたウッド調の大きなコンポが目に飛び込んだ。 腹に響く重低音を間近で感じ、音の波長がスピーカーから見えてくるようだった。 「すごい……」 「これでさ、ボヘミアン・ラプソディ、聴いてみたくない?」 合川さんが目を輝かせる。 僕も唾を飲み、頷いた。 ──Shoot out! フレディの声が響き、静寂が部屋を包んだ。 すぐさま合川さんはテレビの下のDVDプレーヤーの開閉ボタンを押し、中からCDを取り出す。 そのCDを、テレビ前のテーブルに開かれたケース──アルバム『ザ・ゲーム』──に仕舞い、コンポ横にあるこれまたウッド調のCDラックから、アルバム『オペラ座の夜』を手に取った。 僕たちは何かに取り憑かれたように、アルバムのジャケットをじっと見つめた。 「最初から、二人で全部聴こうよ」 思わず、口から零れた言葉だった。 合川さんはジャケットから顔を上げた。 僕とキラキラした視線が絡んだ。 「うん!」 その瞳の奥から、その声を発した喉の奥から、彼女のクイーンへの愛を感じた。 世界には今、クイーンを愛する僕と合川さんと、このアルバム『オペラ座の夜』しかいない。 そんな特別感と、高揚感。 合川さんは僅かに手を震わせながら、アルバムケースの中からCDを取り出し、今か今かと待つプレーヤーへ入れ込んだ。

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