金曜の夜なんてどうせどこも空いていないだろう、であれば早々に退散してしまおう――そう、目論でいたのに、「ラッキー」とやけにハイテンションで声を上げるナルセが、案外すんなりと入れる焼き鳥屋を見つけてきてしまった。店員は機械的で無愛想だが、味はそこそこ美味しくて何より安い。それに締めの鶏ガラ風味のスープはたまらないのだとナルセが力説する。 「わかったわかった」と言いのけて、一杯目のビールが運ばれてくるなり、私はナルセに向き合う。 「てゆうか、人のバッグから物出すとか、ありえないでしょ。窃盗犯だよ、窃盗犯」 「タカメだってことは、その幸薄そうな横顔でわかってたし。あれはダブルチェック」 「幸薄いって……私そんなに変わってない?」 「SNSつながってるっしょ。人の顔面成長過程は把握してるんですよ、タカメさん」 「……なるほど」 ナルセとSNSで友達だったかな、と思いながら、ほんのり柚 子香る塩辛に箸を伸ばす。そういえば、小学校時代の友達からのリクエストを、一時期適当に確認せず承認していたかもしれない。どうせ私はほとんど見る専門で、一年に一度行くか行かないかの、旅行の写真くらいしか更新しないのであまり気にしていなかった。頻繁に近況を投稿する子の中には、小学校時代の面影がまったくない子もいる。特に女子は髪型やメイクでいくらでも見た目が変わる。それを成長と呼ぶのかはさておき、人の変化って面白いなと純粋に思うことがある。それに比べると、ナルセも私も面影を残している方だろう。 「お前、今実家なの?」 ビールの泡で口ひげを作りながらナルセが言う。 「ううん、本駒込に住んでる」 「一人暮らしか。そんな実家遠くないっしょ、都内だし」 そっけない私の返事にもナルセは必要以上に大きな声で返してくる。 「いや、両親は今、大阪に住んでるんだよね」 父は自動車メーカーに勤めている。数年間イギリスに赴任していたそうだが、私が生まれる前の話なので、海外の教育を受けたわけでもなければ、英語が得意なわけでもない。母は専業主婦で父とは大学の映画サークルで知り合ったらしい。短大卒業後は一、二年事務の仕事をしていたが、結婚を機に退職した。私の大学入学と同時期に、父が大阪へ転勤になったため、東京に残った私は小さなアパートを借りて一人暮らしを始めた。 両親の住む大阪の家にはお正月のときくらいしか行ったことはない。そこに住んだことがないので、いつ行っても、どこか他人様の自宅にお邪魔したような落ち着かない気分になる。一人暮らしは初めてだったので、最初の頃は「おかえり」と言ってくれる人がいない家へ帰るのが無性に寂しかった。 でも今の私にとっては、両親とのこの距離感がちょうどよかったのかもしれないと親不孝にも感じる。もし同じ家で暮らしていたら、就職が決まっていないことにもっとプレッシャーも感じただろうし喧嘩もしただろう。両親にはほとんど連絡していない。たまに電話がかかってくるが出ておらず、一応、生存確認のためにメッセージスタンプだけ送ることがあるくらい。呑気な顔をしたクマのスタンプを送るたび、今の自分のとんでもなくシリアスな現実と照らし合わせ背筋がぞっとする。 「いやあ、何年ぶり? 十年くらいか。早いなあ」 小学校の頃の私は、くそ真面目を絵に書いたような子供だった。くだらないことでからかわれたり、突っかかったりされるのを鬱陶しく思いながらも、出席番号が前後のよしみでよくナルセとペアを組まされた記憶がある。 小学校を卒業すると、両親の意向もあり、地元の中学ではなく中学受験をして私立へ進学した。 当時、クラスメイトの中では、私立に進学した子は少なく、ナルセも地元の中学に通っていた。それでも、下校途中、近所でたまにナルセと顔を合わせることがあり、そのたびに制服がダサいだの、幸が薄そうだの、謂われのないからかい方をされたのは思い出したくない記憶だ。とはいっても、近所で遭遇していたのも最初の数か月だけで、その後はぱったりと姿を見なくなり、噂では引っ越したのだと聞いていた。 入学したのは都内にある校則の妙に厳しい、中堅の中高一貫の女子高だった。中高時代、校則が厳しいというのは私立にはよくある話かもしれないが、時には朝礼でスカートの長さに加え、眉毛の太さまでもチェックされ、全校生徒が前髪をオールバックに構えて行列を作り服装の指導を受けているあの光景は、今思い返しても奇妙と言わざるを得ない。 その後はガリ勉が功を奏して、そこそこ名の通る大学に入学した。ここまでは良かった。それから、ビジネスと地方の再開発をテーマにしたゼミに入り、論文が注目を集めたわけでも、賞を取ったわけでもなかったけれど、ウェブ媒体を扱う会社で何社かインターンをしたり、OG訪問をしたり、みんなと同じようにそれなりに準備し就活の時期を迎えた。 ドラマチックな出来事は何もなかったが、そこそこ真面目にマイナス点はなく生きてきたつもりだ。
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