「くだらないかどうかは、やってみないとわかんないっしょ」 「それは……」 「それにな、空白空白って言うけどな、タカメは誰の決めた期間に縛られてんの。こっから新しい人生の始まりだとは思わないわけ? もし空白だったとしてもな、別にあってもいいっしょ、空白。最高。ヴァカンスってやつ」 「はぁ? ヴァカンスってあんたビーチにでも行くつもりなの。どっちかというとブランクじゃないの」 唐突にナルセの口から出た単語につい突っかかる。 「ガリ勉はおもしろくないなあ。ヴァカンスっていうのは、頭の中、空っぽにするってこと。ヴァケーションのこと。ま、休暇といえば、観光地巡りに忙しく旅行するやつらにはわからないだろうけど。ちょっとは、今のお前の頭の中支配してる、そのしょうもない思考から離れてみ。なーんもしないで、だらだらする。人生には、そういう時間が必要だと思うけど」 私の脳内を支配している「しょうもない」思考ってなんだろう。頭の中空っぽにするなんてこと、今まできっとなかった。でも……。 「でもそれってさ……そういう時間って一体なんなわけ。学生でもないのに社会人でもない。すっごい中途半端っていうか……なんにも自分を説明できるものがないってことじゃん」 「まあまあ、落ち着け。ってか、そんななんでもかんでも名前つけなくてもいいんじゃん? 平たく言えばザ・無職、肩書なし。あ、『名もなき時間』ってなんかのタイトルっぽくて響き良くない? ほら、なんかないの、そういうかっこいい言い方。フランス語選択だったろ」 「え、フランス語? えっと……なんだっけな」 「なんだよ、フランス語選択って言ってもその程度か。たっかい学費払って……」 「い、今思い出せないだけ。ってか、無職だのなんだのって、そんなの、ほんとに終わっちゃう、人生。まあ、もうどうせ終わってるようなもんだけど……」 頭を抱えるようにして下を向くと、 「別に終わってないし。ただ始まってないだけ」 「え?」その言葉に顔を上げ、ナルセの目をじっと見る。 「まあ、タカメが好きなだけ、だらあっと暇しといてくれれば、その分マッチされやすくなって、じゃんじゃん依頼回してもらえるからなあ。暇潰しにやっとってくれたらいいんですよ、タカメさん。ぷっは」 ナルセは手元のジョッキを豪快に飲み干す。結局、そっちが狙いか。私はキッと目を細める。 「どうでもいいけどさ、『暇人』って登録者の名称変えないと、利用する人増えないと思うけど」 アプリ上の「暇人登録」というメニューを指さし、不貞腐れた表情で言ってみるが、ナルセは聞いていないようで美味しそうにつくねを頬張っている。響かないやつだ。そんなナルセを睨みつけながら、私は黙々とグラスを空けると、バッグの中から覗く赤い財布を見つめる。 ――チーズレタスバーガー入りました。マスタードとレタス取って。 そう言う店長の少ししゃがれた声が、今も頭の中にガンガン響いてくる。酔いもあってか、一心に頭を両手でバタバタと叩くと、大きな溜息が出る。バイトをクビになったわけだし、来月はこんなところで呑気に焼き鳥なんか食べていられないかもしれない。そもそも交通費とか食費とか家賃とか、暇になったところでお金は尽きていくばかりだろう。 串についた肉をしゃぶり終わると、ナルセがタレまみれの手を拭いて顔を覗き込んでくる。小皿に一本残されたつくねを見入る。まあるく輝く卵の黄身部分にタレが蜜のごとくじんわりと侵食していく――ああ、もうダメだ。串をガッと掴むと一気に完食する。 ナルセの口車にまんまと乗せられたような気がしたが、今日は騙されてもいい夜な気がする。 そういうわけで、私はめでたく「暇人第一号」になった。 アプリの登録をさっさと済ませると、ナルセに「ほい」と画面を見せる。 「へい、おめでとうー」とハイタッチしてきた手をすかさず躱す。ナルセは「おっと」と言いながら、その手がちょうど着地したところにあった、アンチョビ味のフライドポテトをつまんだ。 そういえば私はなんでここへ来たんだっけ。酔いが回ってあやふやになってきた記憶の中で、ナルセがあの屋上で言っていたことを思い出す。 「そういえば林君の最新情報って何?」 今もイケメンが健在だという昔好きだった林君。 ドッジボールで強かった林君。 もう顔も思い出せない林君。 「林? もう十年くらい会ってないなぁ」 「あんた、さっき言ったよね? 情報あるって」 「んー、言ったっけ?」 「言ったよ」私は呆れ声で放つ。 「知らん」 やっぱりこの男は信用しちゃいけない。適当なやつだ。 インストールしたアプリを消そうとすると、ナルセは「まあまあ落ち着け」と笑って制しながら、「すいませーん、この人にもう一杯同じの追加」と私の方を指さしながらオーダーした。
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