100回継ぐこと
[045:橋ヶ谷典生]

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

(投函しなかった手紙) ぎこちない再会になってしまったこと、悔やんでいます。その言い訳を書きます。 前回のお手紙では、会うつもりがないように書いていましたが、本当は舞い上がっていたのです。 そこはかとない不安のせいで、「演劇を観るだけにするつもり」など威勢の良いことをしたためてしまいました。 奈海さんと会うのが嫌なわけではありません。 何を話せばいいのかという漠然とした思いが、こちらをじっと見つめてくるのです。想像上の未来の僕は、言葉に詰まっていました。 観客席にいる僕に、奈海さんは気付くのか。 そう考えたのは、行きの混み合った電車の中でした。舞台袖から客席を覗く奈海さんの横顔を、ふと思い出したからです。 一緒にお芝居をしたのは、10年くらい前でしょうか。 大道具係から役者になったばかりの僕に、観客の顔が舞台上からはっきりと見えることを教えてくれたのは、奈海さんでしたね。 「みんなをジャガイモだと思えば緊張しないよ」と奈海さんに言われて、「全部ポテトサラダにして冷蔵庫に詰めてしまいたいです」と答えたのを今でも覚えています。 その後で、それだと僕と奈海さんの2人きりになって余計に緊張しちゃうから、冷蔵庫に入れるのはやめようなんて考えて、気が楽になったり。 奈海さんは今でも客席を畑に見立てているのかな。 いや、今回は役者をする訳じゃない。顧問だから受付にいるんじゃないかなど、とりとめもなく思い巡らせていたら、いつの間にか校門の前に立っていました。 会場までの手描きの案内板があったので目的地はすぐにわかりました。体育館で開催されることは上司から聞いていたので、それなら広いし、ばったり会うこともないだろうと。 奈海さんは僕には気付かないだろうし、僕も気付かなくできるだろうと、なんだか安心していたんでしょうね。 そこに冷蔵庫(その時は大道具だと思いませんでした)を運んでいる奈海さんが歩いてきたので、「あ、奈海さん」と、思わず声をかけてしまったのでした。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません