と、格好をつけてみたけれど、実を言えば脚本をもう一度書き始めようと思ったのは、渋沢さんの助言があったからなの。 「奈海のうろを埋めるのに必要なことだよ」と。 以前の手紙で心が死んでいます、と伝えましたが、いま私の心の中にはぽっかりとうろがあいています。なんの拍子にできたものかは分からない。でも、ちょうど、そう、あの震災の後にも同じような経験をしました。私の住んでいた場所は宮城県の内陸側だったから津波はやって来なかったけれど、ライフラインや物資が安定して供給されるようになるまでひと月近く先行きの見えない日々を過ごしたわ。生きてはいける。家族や友人の無事も確認できた。でも、宙に放り出されたような不安は消えなかった。数十キロ離れた海沿いの町ではおびただしい数の人が死んでいて、そんな彼らと私の明確な違いがなんなのかまるで分からなかった。私の目の届かない世界は真っ黒に塗りつぶされて、そこには生きてる人なんて1人もいないように思えた。 なんで脚本を書くことが「うろを埋める」ことにつながるのか、最初はよく分からなかったけど、今は少しずつ気持ちが安定してきています。たぶん、自分の心胸をとことん切り出す作業がプラスに働いているのね。 さて、君は、自分だけが変化せずに置いていかれているようだ、と言いましたが、そんなことはないはずです。この五年で私たちの関係はかなり変わってしまったから、君がそう思うのも頷けます。でもそれは、君が置いていかれたわけではなく、私と君が違う人間であるというただそれだけのことなのよ。君は大阪で、私は宮城で。違う場所、違う人々、違う学問、お互い交わる時はあれど、それぞれの場所でそれぞれの時間を過ごしてきたのだから、その累積である今の私たちが違うのは当然のことなの。 どうか今の君も、君が過ごした日々も否定しないであげて。かつての君と私の時間も否定されるようで悲しいから。 宮城から大阪まで、バスで片道12時間はホントにお尻が痛かったんだから! 草々 平成二十八年四月十日 金澤奈海 追伸 おいしいリンゴジャムをありがとう。 渋沢さんにも好評でした。
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