100回継ぐこと
[001:いぬじゅん] プロローグ

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 海に来たのは久しぶりだった。  音楽のように波は響き、頬をなでる風は丸い。確実に季節が傾いていることを私に教えているよう。  こんな平日、誰もいないと思っていたけれど、波の間にはカラスの群れのようなサーファーたちが浮かんでいる。  砂浜にある小高い岩場を、彼は「島」だと呼んでいた。私たちは漂流者のように、島の上でたわいのない話をした。  クラスの噂話や進路のこと、家でのことなど、あれほど交わした会話なのに肝心なことは口にできず、文字に託すばかり。  バッグのなかから手紙の束を取り出す。  文通をしよう、と言ったのは彼のほうだった。メールでも交換日記でもなく文通を選んだのは、やがて離れてしまうことを彼が知っていたかのように思える。  何度読み返したのかわからない手紙は、時に私を励まし、落ちこませたりもした。  自分が書いた手紙のコピーを取っていたおかげで、どんなふうに私たちが文字で会話をしていたのか、読むたびに思い返せる。  いちばん最初にもらった手紙を太陽に透かしてみた。彼の文字が白い封筒のなか、うっすら浮かんでいる。  私の名前の書きかた、はじまりの文章、唐突な締めかた。  文字全部が彼を表しているみたいで思わずほほ笑んでしまう。  ねえ、ふたりで交わした約束を覚えている?    ひとりで悩んだ日も、もう無理だと泣いた日も、この約束があったおかげで歩いてこられた。  砂をすくい手のひらに乗せる。あっけなく指の間からこぼれ落ちてゆくそれを見ていると、また気弱になっている自分に気づく。  大丈夫だよ、と根拠のない励ましを言い聞かせ顔をあげると、さっきより低い位置で光る太陽と目が合った。  まぶしさに目を細めながら、私は彼と交わした手紙を読み返す。    ――きみへの願いをこめて。

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