100回継ぐこと
[098:広瀬晶]

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 引っ越しの話をしたので、もう薄々察しているとは思うけど、渋沢さんとは昨年の時点でお別れしました。  今だから言えることだけれど、もしあの震災が起こらなかったなら、きっと私は君と別れることも、渋沢さんとお付き合いすることもなかったと思う。なぜなら私にとってその二つは、どちらも同じ理由によるものだからです。  あの震災は当時宮城に住んでいた私にとってとても恐ろしく、衝撃的な出来事でした。数日前まで目の前で笑っていたひとが、この世から消え去ってしまう、いつ自分自身そうなるか分からない。どんなに努力しようと、明日には無慈悲に奪い去られてしまうかもしれない。それを肌で感じた後では、大学で学ぶことも脚本を書くことも、何もかも意味のないことのように思えました。  君が私をそこから連れ出そうとしてくれたことは、頭ではそうすべきだと分かっていても、当時の私には受け入れがたいことでした。  だから君と別れて、渋沢さんを選んだ。今のままでもいい、無理に変わる必要はない、そう言ってくれる彼の側が心地よかったから。  脚本を書くために君との手紙を最初から読み返していて、気付いたことがあります。  手紙に書かれている文字は確かに私の字で、その日の気温や体調だって思い出せたのに、何だかまるで別のひとが書いたみたいだった。高校生のときの私と、今の私は同じじゃない。きっと、巽くんだってそう。  君がいて、迷いなく夢に向かっていくことができた、あの頃の自分に戻りたい。そう思うことこそが、私にとっての「負のループ」だったのかもしれません。  人は、同じ場所にとどまり続けることなんてできない。  もう戻れはしないのだと痛感し、それで私は、はじめて脚本を書き上げることが出来ました。  今私の中には、切なさとともに晴れやかな気持ちがあります。  もう戻れないということ。そして私たちの日々に、意味のないことなんて、本当は何ひとつないのかもしれないということ。その両方を知ったから。  新しい書斎も手に入れたことだし、今年の目標は「新しい脚本を書き上げること」にしようかな。まだまだ寒い日が続くので、君も体調には気を付けて。 令和4年 1月16日  金澤奈海

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