深地が【しばらく休業します】というメールに悄然とするしかなくなったのは、翌朝のことだった。 朝起きてすぐに枕元のスマホに通知が来て起こされた。有と深地の間の連絡手段は、大手のメールアプリか、電話の二つだった。 メールに書かれた続く文には【再開の目処は立っておりません。今月分のお給料と予告手当分はお支払いします。こちらの都合で申し訳ありません】と書かれていた。 急いで有に電話をかけたが、着信拒否になっていた。 深地は必死になって考える。何故こんなことになってしまったのか。実はあの夜の車内での出来事が尾を引いているのだろうか? あんなに嬉しい言葉をかけてくれたが、あの後から有の気持ちの変化があったのかもしれない。深地はスマホを握り締め、何度もフリックミスを繰り返しながらやっとの思いで返信した。できれば直接会って理由を聞きたいということ、自分が何かしてしまったのなら謝って改善させてほしいということを精一杯の気持ちで書いた。 メールの着信は、そう時間が経たずに来た。スマホに飛びついて内容を確認する。 【もう会えないと思う。苗代さんと秘密で会ったことも聞きました。どういうつもりかわからないけれど、そういうことはやめてほしいです】 それ以降、事務的な内容の文面が続いていたが、深地の頭の頭の中には入ってこなかった。 いてもたってもいられなくなって深地は身支度を最低限にして玄関に向かった。 その日、深地が占いにハマって初めて朝の占いを見ることなく家を飛び出した。 深地を迎えたのは、硬く閉じられたシャッターに貼られた〝休業中〟の張り紙だった。裏口も固く深地を拒んだ。裏口の側には廃棄の花が出してあった。有に指示されて、昨日のうちに深地が出したものだ。まだ回収されずにそこにある。よくよく見てみると、結局売れ残ってしまったひまわりも新聞紙に包まれながらその中にぐったりと頭を垂れて閉じ込められていた。 深地は、有と幸則の住んでいる所を知らなかった。深地は、何も知らなかったのだ。 もう会えない。つまり、深地に会いたくないと言った有のメールの内容が頭によぎったが、藁にもすがる思いで、深地はスマホの操作をした。 数コールのあと、電話がつながる。出てくれたことに安心して、声が震える。 「苗代さん! バイトの安久です!」 「はい、苗代です。深地くんか……」 苗代の声は気まずげで、鬱々としていた。 「あの、有さんと連絡が取れなくなってしまって……」 「ああ」 何もかもわかっている様子で、苗代は返事をした。 「すまない。どこで漏れたのか、俺と君が会ったことを有ちゃんが知ったみたいだ。それで……バイト君には会いたくないと言われたんだ。もし連絡が来ても何も教えないで欲しいと。それに、私もよく事情が分からなくてね。二人の家に行ったんだけど、幸則も出てこなかったんだ。電話も出ないし。かろうじてメールは何度かやりとりできたけど、いつまで続けられるか……」 あんなみっともないやり方でも、打ち解けたと思っていたのに。有に完全に拒絶されてしまった。 「君、何かしたの」 「あ……。成り行きで、好きですと伝えました」 「……。それか。それだな」 断定されて、深地は懸命に食い下がる。 「でも! だけど、有さん好きか嫌いかでいうなら好きって言ってくれました!」 「それはフラれてるんだよ……」 「いや、そうですけど、そうではなくて!」 「言っただろう。彼女は不安定なんだ」 正確にあの時の感じを伝えられないのがもどかしい。でも、たしかに、これは深地の主観であって、段々と自信がなくなっていく。でも、このままではいられない。 「あの、苗代さんからも、俺が話したがってるって伝えてもらえませんか」 深地の懇願に、苗代はきっぱりと言った。 「悪いけど、君が話すことでこの状況が改善されるとはとても思えない。何度も言わせるな。彼女は不安定だ。安定させるために君を遠ざけているんだとしたら、わざわざ君と話をさせる理由がないよ」 深地は言い返せなかった。あの日の有の笑顔が遠くなっていく。 * それから一週間が過ぎ去った。 手がかりのないまま、深地は何もできずにいた。銀行の振り込みは手早くされていて、それが本気の度合いを示していた。話せないかとメールを送っても、その内容のメールは全て無視された。一方的な遮断だった。 深地は次の仕事を探すでもなく、街をうろついた。店の前を通りすぎてもしてみたりしたが、相変わらず張り紙はそのままそこにあった。正面から見ても裏口から見ても、ゴミ袋に至るまで有が消えた日のままにそこにあった。諦めきれない気持ちと、絶望感の間でかろうじて生きていた。 そして、たどり着いた公園のベンチでスマホを片手に項垂れる。有の店に一番近いところにある中規模の公園で、滑り台と鉄棒と数台のベンチがある。子どもと遊んでいるお母さんや高齢の人などが疎らにいた。平日の昼間にこんなところにいる自分は周りにどう映るのだろうと考えた。 苗代にはあの後「何かあったら連絡はするよ」と言われて電話を切られ、完全に締め出された。深地は知る権利を奪われてしまった。それからは連絡を取り合っていない。 深地は何気なくあたりを見回した。そこに有や幸則がいるわけでもないのに。若いお母さんや小学生くらいの子供を視線で追ってしまう。 すると、ベンチから少し離れたところに、赤い花が咲いているのを発見した。 「彼岸花……」 もうそんな季節なのか。 公園の隅に咲いていた赤い花は妖艶でいて、人を容易には近づけさせない雰囲気を纏っていた。しかし、群生していても、葉に包まれることもない裸の姿は孤独そうにも見える。 その中で一つ、茎の根元からぽっきりと折れている花があった。 深地は彼岸花に近づいて、その折れてしまった一本を手に取った。 「おニィちゃん、それ、どうするん」 手に取った瞬間、急に背後から声がして振り返る。 そこには知らないおじさんが立っていた。くたびれた服を着て、片手には酒瓶を持っている。深地は慎重に言葉を選んで答えた。 「どうってこともないですけど……」 「それは死人花や。不吉な花や」 「死人花……」 おじさんは酒を煽って、しゃくりあげる。むわ、とアルコールの匂いがした。 「昔からそういうんだから、触らんほうがいいぞ。毒もあるいうしな」 おじさんはそれだけ言って、ふらりと向こうへ行ってしまった。深地はどきどきとしながら手に持った花を見つめた。 * 深地は家に帰ってきて、丸テーブルの上に花瓶を置いて、足の長い椅子に座った。 そしてそこに持って帰ってきた彼岸花を挿して眺めた。 毒があるから、扱いには気をつけて、さした後は手を洗った。この水の処分にも気をつけなければならない。花全体に毒はあるが、球根を食べたり、草汁の溶け出した水を飲んだりせず、観賞用にするのには問題がない。 おじさんに言われたことは気になった。それに、迷信は信じていないわけではない。それでもこの花を連れて帰りたいという気持ちの方が勝ってしまった。 彼女が好きと言った花だ。切り花にして売りたいと言っていた彼女。取り扱いさえ間違わなければ、彼女の夢は叶うが、おそらく彼女はもうそんな気などない。メロマヨさまが言ったことの方が彼女にとって、優先度が高いはずだ。 彼女には似つかわしくない花だと思う。自分はこの花が好きか、考えた。嫌いではない。好きだ。だけど、それが果たして自分の本当の気持ちなのか、答えは出ない。 そして、彼女を思い続けることが彼女にとって、どのように影響してしまうのか、自分に何をもたらすのか。何も分からなかった。 だけど。 テーブルの上に置いた花瓶は、カーテンの薄い緑色をバックに、赤々と燃えていた。周囲を焼いて、可憐に一つ、咲き誇る。 深地は立ち上がる。 迷信なんて、他の誰かが考えたことなんて、どうだっていい。 深地はふと「秋になったら店内のディスプレイも兼ねたかぼちゃを買わなきゃね」なんて笑っていた、数週間前の有のことを思い出す。 深地はまだ、彼女のことが知りたかった。
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