開店時間が迫っていた。儀式への参加の旨を予約の花束を作成していた有に言うと、彼女は顔を綻ばせた。 「うん、いいよいいよ」 有はふふふと笑いながら、手元に目を戻し、手にしていたラッピングの紙を花束に巻きつける。花束はライラックをメインに纏められていて、優しい紫色が心を落ち着かせてくれる。 「あ、これ、ラッキーライラックだね」 有が気がついて声をあげ、花束の中にあるライラックの花弁の一つを見て言った。 「それってなんですか?」 「これみて、花冠の先が五つに裂けてるでしょ?」 有の指の先の花を見てみると、たしかに花弁が五つになっている。 「普通は四つなの。ほら、他のはそうでしょ? 五つに裂けてるのはラッキーライラック。これは珍しいんだ。四葉のクローバーみたいなもの。恋のおまじないに使われるんだよ。この依頼者さんラッキーだね。教えてあげたいな」 有は上機嫌で言った。深地は興味惹かれて聞いてみる。 「恋のおまじないってどうするんですか?」 「五つに裂けた花びらを誰にも内緒で飲み込むと、恋が叶って、好きな人と永遠にいられるの」 「わぁ、素敵ですね」 深地はおもわず、喉から手が出るほど欲しいと思ってしまった。 「でも良いのかな、誰にも知られずっていうていなのに教えちゃっても」 「飲み込むのを秘密にすればいいんじゃないですかねぇ」 深地は適当なことを言って、セーフのジェスチャーをした。 「そうかもね、やっぱり教えてあげたいもの」 すると、有はラッキーを分け与えられたからか、饒舌になった。 「花を使ったおまじないって結構あるんだよ。言い伝えとか迷信とかも色々ね。例えば、パンジーの花を押し花の栞にして手帳に挟んでおくと片想いが叶うとか、青い花は幸せを運ぶとか」 深地もパンジーの花が惚れ薬になる、と言う噂を聞いたことがある。 「あと、恋のおまじないっていうと、花占いを思い出すよね。あれってヒナギクでやるものなんだって。ヒナギクの花弁の数は二十一枚。好きで始めれば好きで終わる。女の子の期待は裏切られないの。ふふふ」 「ふふふ」 深地もやってみようかな、なんて、乙女なことを考えた。そして、ふと思う。何気ない言葉が口から出た。 「おまじないって小さい儀式ですよね」 「たしかに。一人でやる、小さな儀式だね」 有は同意して頷いた。 「宗教儀礼の中でも花はよく使われる。冠婚葬祭に花はつきもの。花はシンボルとしてもよく使われる。きっと、花には人の思いが籠るものなのね」 有は花束を作り終えて、全体のバランスを見て、満足そうにしている。 たしかにそうかもしれない、と深地は頷いた。花や植物よく、人の例えに使われる。人は花や草木の生態や姿に自分や他人を重ねて見やすいのかもしれない。 深地は祭壇の方を見た。今日も花々で飾られて、儀式の時を静かに光合成をして待っている。今日の花々はどんな想いを乗せていくのか、と思った。 幸則は宿題をやっつけると言って、今は控室にいる。四年生にもなって絵日記なんて書かなくちゃいけないんだよとぼやいていた。時間になるまでそこにいるつもりらしかった。 「毎月六日は特別な日なの。儀式の日だからね。平日とか幸則くんが学校がある時は夜にやってるんだけどね」 ちょうど開店時間の九時になって、有のスマホのアラームが鳴った。 「よし。では深地くん。今日もよろしくね」 有はスマホをしまってから、にこにこと深地の顔を見上げた。 「はい、よろしくお願いします」 今日のお客さんの入りは午前中にしては多かった。 Melopeponは大通りのオフィス街の一本逸れたところにある。深地が住む街の一駅隣の駅の近くにある。深地は免許は持っているが、普段は自転車で通勤している。駅前なので人通りもあり、また、駅周辺には劇場やコンサート会場もあることから、法人から個人、ビジネスマンからバンドの運営スタッフなど客層は様々だ。 有が予約の花束をお客に渡している。何やらお客さんに耳打ちしながら。一度深地は予約の花束作りをやらせてもらったが、有が作るもののようにはいかない。仕事に熱心な彼女の横顔を見るのも、深地の密かな楽しみの一つだった。 再び、アラームが鳴った。丁度客の波も途切れたところだった。有は休憩中の札を店の入り口にかけると、店の中に戻ってきて、深地に言った。 「お疲れ様。お昼を済ましたら、祭壇の前に集合ね」 「わかりました」 深地はもどかしくエプロンを取り払った。 準備があるからと外に出された深地は、花屋の目の前のファーストフード店のカウンター席でポテトを次次に口に運んでいた。 準備の手伝いを申し出ても、大したことはないからと断られて、深地は一人、口の中を芋の味で満たしている。 今日の深地は、業務中もそわそわと落ち着かずにいた。 てっきり、通常より盛大に何か催すのかと思っていたが、幸則が参加すると言うだけで月に一度だからといってそんなに特別な事はしないらしい。ただ、幸則に対して有が祈りを捧げるだけだと幸則は簡単に言っていた。 それでも宗教儀式と聞くと、未知のものに対する憧れを抱いてしまう。メロマヨ教自体に興味を抱いたわけではないが、深地は仕事中ずっと、休憩時間になるのを心待ちにしていた。 深地はガラス越しにMelopeponの方を眺める。小さな店舗は店の前に陳列した花々でカラフルに彩られ、その中にも落ち着いた雰囲気が漂っていた。そして、ふらっと立ち寄って一輪だけでも買ってみたくなるような気安さも併せ持っている。深地は面接を受ける前にそんな雰囲気に惹かれて、この店を選んだ。そして、選んでよかったと感じていた。 すると、Melopeponの入口のガラス戸の向こうに、有の姿が見えた。手にはメロンパンの乗った皿。 深地は、口の中の芋を炭酸で流し込むと、立ち上がった。
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