彼女の大切なもの。 一、神さま。 二、神さまの残した宝もの。 そして、叶うならば、僕は三番目になりたい。 * 安久深地が花屋のアルバイトの面接で店長に最初に言われたのは、花屋の業務と全く関係のないことだった。 「紹介するね。この子は幸則くん。メロマヨさまの子どもです。メロマヨさまっていうのは、私の神さま」 「こんにちは」 市場での花の仕入やシフトの申請の仕方を教わるより前に紹介されたのは、小学生くらいの背丈の男の子だった。スマイルを浮かべる表情は大人びていて、色素の薄い瞳と髪と肌をしていた。どことなく薄幸とした独特の雰囲気を纏う、華奢な少年。 メロマヨさまという神さまの子どもであるらしい。 深地が空気に飲まれて「こんにちは……」と、おずおず挨拶を返す。すると、幸則はこなれた調子で人好きのする笑顔を返してきた。 「今度の人はどのくらいもつかな」 不吉なことを言って、幸則はにこにこ顔を崩さない。深地は薄ら背筋が寒くなる。 店長の新路有は手を合わせて、深地の表情を伺うように覗き込んだ。 「きっとびっくりさせちゃったよね。いつもこの話をするとバイトの子、次の日から来なくなっちゃうんだ〜。でもお祈りの時間があるからどうしても隠しきれないし。なら、最初に説明しちゃおって思って、それからは一番最初に伝えることにしてるの。だからなかなかバイトさん雇えないんだけどねへへへ」 有は「今月は面接、あなたで三人目なんだぁ」と、ロングボブの頭をかいた。 深地は幸則の言葉の意味を遅れて理解した。 有の服装は、これといって特徴のない形と色味のトップス。その上から付けている〝Melopepon〟と店名の入ったエプロン姿。化粧っ気がなく、話し方からみても、深地にはごくごく普通の女性に見えた。 しかし、言動が少し不可思議であることは否定できなかった。 顔の位置に手をあげて、深地は聞いた。 「あの、メロマヨさまってなんですか……?」 どうしても気になって黙っていられなかった。花屋の面接に来て当然のようにされる話では無いはずだし、してもいい質問のはずだ。雰囲気にひきづられて深地は自信がなくなりかけていた。 それに対して、有は驚いたような顔をしたが徐々に表情が和らいでいき、瞳を輝かせる。そして、張り切った様子で話しだす。 「メロマヨさまはメロマヨ教の神さまだよ。メロマヨ教は、正式名称をメロンパンにはマヨネーズ教と言います。愛称がメロマヨ教です。私はメロマヨ教のたった一人の信者で、こちらの幸則くんは二代目メロマヨさま。彼はメロマヨさまの唯一のご子息です。メロマヨ教は初代メロマヨさまの教えに則れば、信者である私の世界を守ってくれるの。ーーそれじゃあ、お仕事の流れを簡単に説明しちゃうね」 自然の流れで通常の業務の説明に切り替わる。 それまでの話を日常に溶き混ぜるように、有は深地に花屋の説明をしていく。店内のディスプレイを順繰りにまわり、レジの場所、フラワーショーケース、休憩スペース、在庫や資材を保管する地下室などの場所も紹介された。 店内は千紫万紅の花々で埋め尽くされ、小規模の店内の通路は狭くなっていた。今は夏の花々が多く取り揃えられている。それから、観葉植物も種類が豊富で、一角に集められている。有はその中を軽い足取りで深地を先導する。 「この時期は正直花が売れないんだ。とくに最近はすごく暑いでしょ? そうなると花の売れ行きが悪くなるの。花は熱に弱いから、切り花にしても持ちが悪いし。だから店内の温度管理はきちんとやってます。お客様にお売りする際にも、花の長持ちのさせ方を伝えたり、他にも延命剤をおすすめしたりしてます」 店長は真摯に包み隠さずに話していく。 「ドライフラワーなんかもこう言う時は精力的に売ったりね。あと、うちはネット販売もしてて、花束制作、フラワーアレンジメントなんかもしてます。お花ってすごく繊細で、その命は短いけれど、美しい記憶とともにあるものだと思うの。だからその記憶を守るためにお世話して、お客様に提供するのが私たちの仕事です」 深地は、この人は仕事が好きで、花が好きなのだとすぐにわかった。 有は大きなことから小さなことまで、くるくると流れるように全て滞りなく説明した。 しかし深地の頭の中にはそういった説明などほとんど入ってこなかった。 メロマヨ教のことで頭がいっぱいになっていた。 赤い頭巾を被った有名なうさぎのキャラクターに響きが似てて、オーストラリアの変な名前の宗教よりはトンチキってわけではないが、その名前は十分メルヘンな異彩を放つ。 そして、それに気を取られている間に店に戻ってきて、立ち話という気軽さで面接が始まった。その点に嫌悪感も疑問も抱かなかった。その時に志望動機なども聞かれたが、「花に囲まれて仕事する中で、自分自身も素敵な人になりたい」と上の空で口にしたような気がする。実は本当の理由が別にあったが、それは伏せておいた。 そして店長に「他に質問は?」と聞かれた時に、やっと我を取り戻した。聞きたいことが次々に浮かんで尽きなかった。そのほとんどがメロマヨ教と、有と幸則のことだった。聞いてもいいのか分からなかったが、はっきりした方が今後ここで働くにしてもいいと思った。面接自体も手応えがあるわけではないし、他にも就業候補の花屋は見つけてある。聞いたことが採用に影響するなら致し方が無い。それに、自分がここで働くのを決める上で、判断材料になるとも思った。全て最初に説明してしまおうと言っていた有の言葉もある。 「あの、店長さん」 「有でいいよ。堅苦しいのは苦手なの。フレンドリーにお仕事したいから。二十九歳だったよね? 私は一個下。年下だけど店長だし、深地くんって呼んでいいかな?」 「あ、ハイ。じゃあ有さん。それであの、幸則くんは、有さんの息子さんってことですか?」 「血、繋がってないよ。有とオレ」 幸則が、有の代わりに答える。彼は店の作業台に背中を持たれて肘をつっかけている。幸則は平然とした調子で言った。 「オレに母親はいない。神さまの分身だから」 「そう、なんだ?」 てっきり親子なのかと思ってしまったが、どうやら違うらしい。そもそも母親がいないとはどういうことなのだろうか。それに、一体どういう経緯で神さまの子どもと信者をやっているのかも気になった。混乱して深地は有を見る。有は特別なことなど何もないと言った顔で言う。 「幸則くんはね、天へと登った先代からお預かりして私が育てているの。神さまから授かった、とっても大事な宝もののような子だよ」 「え」 「そういうこと」 有にそう紹介されて幸則は得意げにしている。 深地は思わず目を丸くする。新しく追加された情報の予想外の内容に気を取られて、深地は狼狽える。どうやらメロマヨさまは故人であるらしかった。 「メロマヨさま——先代は日枝くんっていって、中学生の時に付き合ってた男の子なんだけどね、ある日覚醒して、神さまになったの」 「覚醒」 思わず復唱してしまう。深地は包帯ぐるぐる巻きの手で片目を抑える少年を想像してしまった。そして、加えて、メロマヨさまというのは有の元カレであるらしかった。あまりにとっぴな情報が多く、深地が話を上手く飲み込ずにゆんゆんと妄想が広げていると、有がなんでもないことのように言った。 「うん、そうなの。最初はわたしもびっくりしちゃった。すごい急なことだったから」 どこからツッコミを入れればいいのかが深地にはわからなかったが、有は至って真剣な様子だ。 「あ、そう、でもね。私が無理やり深地くんに信仰を押し付けたり、勧誘なんてこともないから大丈夫。信者は必ず一人って教義があるから。そんなに怪しいことはしていないしね。メロマヨ教は一神教だけど、異教徒にも優しいの。そこは信じてくれるとありがたいな」 手を合わせて頭を下げる有に対して、深地はなんともいえずに曖昧に頷く。 それまで深地は、宗教というものを自分の生活に身近に感じたことがなかった。そりゃあクリスマスは祝うし、初詣だって行く。先祖の墓は寺にある。けれど、有の言っているメロマヨ教のようないわゆる新興宗教の類とは縁遠かった。 何年か前に高校時代の友人から宗教勧誘も受けたことがあったが、深地は話は面白いと思っても信仰するまでには至らなかった。幸福になれると言う割には苦しげだった友人の様子が気にかかったためかもしれないが、神さまに祈ると言う感覚が深地にはピンとこなかった。 でも、だからと言って、神さまを信じていないか、と言われると、全くそうではない。深地は占いが好きで、その結果は神さまがもたらすものだと思っていた。 すると、有が店内ディスプレイの最も後ろにある銀のバケツから、ひまわりを一輪手に取った。 「ちょっとこれ見てみて」 そして、深地へ手渡す。深地は恐る恐るそれを受け取った。 「この花を見てどう思う?」 言われて深地はじっとひまわりを見つめてみた。そして、漠然とした質問を自分なりに噛み砕いて、素直に言った。 「……綺麗、でしょうか」 我ながら平凡な答えだ。しかし、花についてほとんど知識もなく、特別な語彙力も持ち合わせない深地には、模範的な回答を言うしかなかった。そして、それが深地の心に一番近く、嘘のない感想だった。 有は満足そうに笑う。 「そうでしょう。今年のひまわりは日光をよく浴びれて、大きい子が多いの」 有は目を細めて深地が持っているひまわりの葉先をなでる。 「ひまわりは太陽がないと花つきが悪くなるの。まぁ、ひまわりは太陽の方を向いているなんて言うけど、花が太陽の方を向くのは他の花にも当てはまることなんだけどね。ひまわりは大きいから目立つって言うのが理屈みたい。花のほとんどが太陽がないと生きられない」 言った有の表情にはどこか影と憂いがあった。 「綺麗、だよね。私もそう思う」 有はひまわりの中央部を指し示した。 「でもね、真ん中をよく見て」 言われて深地は顔の前までひまわりを持って、その中央に顔を近づけてみる。 近づくとびっしりとタネの詰まった中央部は別個の生命体がひしめき合っているようで、グロテスクだった。 「ちょっとよくみると、怖いですね……」 深地はぽろりと思ったことを口にした。 「そうでしょう」 有は模範的な深地を満足げに見て、にんまりとした。 「メロマヨ教の教えにね、遠目からみると美しく思っても、近づくと細部を見て人はころりと意見を変えるから、自分が見るときはじっくりと見て、人に見せるときは曖昧に見える辺りを見せようっていうのがあって。その教えに従って、ひまわりはなるべく後ろに置いてるの」 なんか、教えというか、屁理屈のようなものを披露されて、戸惑ってしまう。本質を見ようという道徳的な話かと思えば、人には曖昧に見せるなんて、ちょっと小狡さを感じた。 「だけど、こんなに後ろに置いていても目立ってる。ひまわりはお日さまの方ばかり見ているけれど、ひまわりってどこにいても目を引くよね。ほら後ろ姿にも哀愁がある。いろんな顔があるんだよ」 有は深地の手の下あたりの茎を持って、深地の視線がひまわりの真裏に来るように引き上げた。たしかによそよそしくて、寂しそうで、声をかけたくなってしまうような姿をしていなくもない。有が愛おしげに、ひまわりをつつく。 深地は心に湧き上がった疑問を思わず口にした。 「有さんはどうして、メロマヨさまを——メロマヨ教を信じているんですか?」 深地の質問を聞いて、有は瞳を瞬かせた。直後、にこりと微笑む。 「メロマヨ教はね、素晴らしいの!」 理由や根拠を押しのけて、屈託のない笑顔が深地の目の前で弾けた。 * その瞬間、恋に落ちた。 気がついたらここで働かせてくださいと口走っていた。 有は「よろしくね」と言って歓迎してくれた。幸則も以前として品定めするような姿勢は崩さなかったが、反対するようなことも言われなかった。 こうして、今はもう居ない人を信仰する彼女ごと、彼女に恋をしてしまった。 神さまと、神さまの遺した宝もの、そしてもし三番目になれるなら、それでいいと、その時は思っていた。
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