(三) プロのミュージシャンになろうと決意した僕は、これは本格的にギターの勉強をしたいなと思い、音楽の専門学校に通おうと考えた。 しかし、そんな学費が払えるような経済力が家庭にはなかったので、卒業後は、学費分のお金を貯めるために二年間アルバイト生活をする事になった。 実家に居ながらだったので決して難しい事ではないはずだった。 難しくないはずだった......というのはつまり、実際はかなりの苦戦を強いられたのだ。 なぜそんなに苦戦したのか、それはこの頃から、自分の心の奥にある、とても「やっかいな闇」が、次第に目覚め始めるからである。 高校卒業。 いよいよ二年間のアルバイト生活が始まる。 バンドなどの音楽活動はやっていなくて、とにかくお金を貯めようという感じだった。 今までアルバイトは、夏休みや冬休みに短期でちょろっとやるぐらいだったので、本格的に長期的にアルバイトをするのは初めてだった。 その年の三月から始めた某量販店のアルバイトを続けながら、休みの日は、高校時代の友人から誘われて遊ぶといった生活をしていたが、次第に友人からの連絡も減っていき、五月になるとなぜだか急にそのアルバイトを嫌になり辞めた。 ここから一気に、いや、それまでは気がつかなかっただけなのか、異常な孤独感と疎外感と、今まで以上の劣等感が僕を襲い始めた。 それからはひたすらバイト探しをして、新たなバイトが決まって働いては一日で辞めるといった事を繰り返した。 僕は友達に悩みを言ったり、そもそも自分から普通にメールや電話をする事さえできなかったので、バイトを一日で辞めてきては部屋に篭ってひとり漫画を読んで現実逃避した。 やがてそんな事を繰り返す内に、もはや働く気も失せていき、でも家族の目を気にして、とりあえずバイト探しの名目で外には出ていき、街をうつむいてとぼとぼ歩きながら、結局古本屋で漫画を買うだけだった。 そんな毎日を過ごしていき、僕は日に日に暗い陰鬱とした人間になっていった。 くわえて、陰鬱とした自分に追い討ちをかけるように、さらに憂鬱にさせたものがある。 それは家庭での事だった。 この頃、家庭は中々の経済難で、その原因は、父親の仕事が全然うまくいっていないからであった。 父の職業は建築家で、所謂家の設計をする仕事をやっていたが、バブル以降徐々に仕事が減っていき、それでも父は他の仕事をする気はなく、この頃に至ると生活を支えていたのはほとんど母の方だった。 しかし、母の収入だけでは当然足らず、ある日、まだ十代の僕が、父から「五万円貸してくれ」と言われた時はすごく悲しかった。 一度だけではない。何度もあった。 といっても、広い世の中見渡せば、父親から金貸してくれと言われる程度の事、いくらでもあるだろうし、こんなのは全然マシな方だろう。 しかし、それでもやっぱり、父が情けなくてしょうがなくて、辛かった。
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