あのこのたからもの
壱・あやかしとハザマの世

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

**********  高久たかく翔利しょうりが目を覚ますと、辺りは無に包まれていた。確かに目を開けたはずなのに、真っ白のような、真っ黒のような……まるでまだ目を閉じたままのような、何もない世界に翔利はいた。 『……て。目を開けて』 「ん……」  その白い闇の中、初夏の風鈴のように柔らかく澄んだ心地よい声が響く。頭の中に直接注がれるような不思議な距離感。 『よかった。もう大丈夫ね』  ゆっくりと立ち上がると、足元さえも無だった。足裏に伝わる感触がない。無重力という訳ではなく、歩いてはいる。なのに温かさも冷えもなければ、土も、コンクリートも、何も感じられなかった。腕をめいっぱい伸ばしてみても、触れるものは何もない。 「なんだこれ……? どうなってるんだ」 『ここはハザマの世。あの世に行く手前の世界。そのまま歩いて』 「は? 何? 俺って死んだの? 嘘だろ、俺まだ中二だぞ! 早すぎるだろ、てか誰? 何も見えないんだけど」  翔利はその声の言うことがよくわからなかった。というより、わかりたくないという様子だ。警戒と不機嫌が入り混じった低い声が何もない世界に虚しく響く。 『大丈夫、死んではいないわ。死んだら、目を開けないままここを通り過ぎるの』 「なら、死にかけてるみたいな感じ? ああ、そういや俺……」 『そう。君は蛇尾川で溺れて、そこに私がいたの。びっくりしたわ、急に人間が流れてくるなんて』  少しずつ自分の置かれている状況が分かり、翔利の警戒がほんの少し緩まる。 「もしかして、助けてくれたの?」 『ま、まあね。ほ、放っておけないでしょ』 「あり……わっ!」  翔利が礼を言おうとした瞬間、目の前に小さな点が浮かびあがり、それが一気に広がったように激しい閃光が放たれた。その光の眩しさに驚き、翔利はきつく瞼を閉じ、ねじるように上半身をそむけた。  どれくらいの時間が過ぎたか。おそらく数分。ようやく眩しさが止んだと思ったら物凄い異臭が鼻腔を突き、翔利は思わず鼻をつまんだ。卵が腐ったような酷い臭い。しかも寒い。衣替え前の長袖シャツの肩がぶるりと震える。けれど寒さと臭いは強烈だが、何もない空間よりはマシだと思った。ジャージ、バッグに入ってたかな……。そんなことを考える余裕もある。 「ようこそ、私の棲み処へ」  突然、すぐ隣で声がした。驚いて目を開けると足元は霧深い岩場で、灰みがかってはいるがそれでもさっきまでの無と違い、色のある景色にホッとする。翔利のすぐ側には同い年くらいの少女が立っていた。長い黒髪の上半分を大きな赤いリボンで頭の高い所に束ねた、金茶に近いオレンジ色のロングドレス姿。今時、こんな服装の女子など見ない。まるでテレビドラマで見るような明治時代くらいの服装だ。その上、見たこともないような美少女だった。白い肌に紅い唇、夜空の月と星を閉じ込めたような金色の瞳を大きく見開いて翔利を見つめている。一瞬で恋に落ちるほど完璧だった。鼻をつまんでいてもわかるこの異臭さえなければ。 「なにここ、超クサイんだけど!」 「ああ、ごめんなさいね。少し移動するわ」 「え? ちょ……っ」  翔利が不満を口にすると、少女は胸元で手を合わせパン、と叩いた。と同時に、空気に圧されるような感覚が全身を囲む。そして次の瞬間、高速のエレベーターで体が浮かぶ感じと共に、翔利は別の場所に立っていた。景色は同じような岩場だが、人が整備した平坦な道で、目の前には赤い帽子を被った地蔵が何体も並べられていた。臭いも、さっきよりは少しだけマシだ。 「あのさ、さっきから超常現象っぽいのばっかりでどこからツッコんでいいのかわかんないんだけど、とりあえず、どちら様? 俺はどうなっちゃってるの?」  不可解すぎて怖がるのを通り越したような真顔で翔利が訊ねると、少女はにっこりと薔薇のように笑って言った。 「私はここに棲む狐よ。昔は玉藻の前って呼ばれてたわ」 「は?」  望む答えなど特になかったが、生死に関わるというところでどちらかといえば神だとか天使だとかを予想していた翔利にとって、狐は意外すぎた。明らかに状況から置き去りの翔利をよそに、玉藻の前と名乗った少女はなおも言葉を続ける。 「長いこと引き籠ってたけど、最近は少し出歩くようになってね。あ、私、伝説じゃ酷い女みたいになってるみたいだけど、全然そんなことないのよ! でも実際に私が原因でいろいろ悪いことが起きてしまったから、なんかもう嫌になっちゃって。それで人間がいないところを探して、追われまくりながらここに辿り着いたの。ホラ、ここってすっごいクサイでしょ。だから誰も来ないしいいかなーって。でもそしたら元々ガスが出る場所なのに、ここも私のせいで毒ガスが出るようになったー、なんて話にされちゃって観光地化っていうの? 頼んでもいないのに人間が大勢押し寄せてくるのよ。そんなこんなでもうここから出たいなーなんて思ったんだけど、陰陽師の封印のせいもあって、海とか見たいのにあんまり遠くまでいけないの。それで困ってたら神様がね――」 「ストップ!」  自己紹介というにはあまりにどうでもいい情報ばかりの羅列に、翔利がたまらず声をかけた。玉藻の前とか狐といえば、県民なら誰もが知るであろう可愛いゆるキャラとして地元のPR活動に一役かっている、あの悪名高き妖狐『九尾の狐』。と、すると、ここは『殺生石』か……。それが分かったところで、そんなのと自分の生死が関係あるなどとは、到底結びつかない。 「知りたいのはそういうことじゃなくって。九尾の狐だっていうのが本当だとして、死にかけた俺がなんで伝説の妖狐様と一緒にいるのかってこと」 「んー、実は私もね、よくはわからないの。あの日……ホント言うと私も流されちゃってたのよね。普通は雨風なんて関係ないんだけど、あれほどの台風だと少しは影響あるみたいで。そこに偶然流れてきた君とぶつかって、あ、本当はぶつからないのよ、でも台風すごかったから」 「細かいとこいいから進んで」  どうしても話が脱線して長くなるのが少女の癖のようだ。翔利が軌道修正に入ると、少女はまた話しだした。 「つまりね。私と、君の魂が、くっついちゃったみたいなの」 「あるの? そんなこと」 「あるんじゃない? 私だって初めてだけど、実際こうなってるわけだし」 「……。じゃ俺の体は?」 「わからないわ。でも君がハザマにいたってことは、体の方はちゃんと生きてるってことよ」 「そうか。じゃあとりあえずうちに帰ってみよう。川に落ちたんなら、家かどっか病院のはず」  翔利はいそいそとスクールバッグを肩に掛けなおし、帰宅の準備を整える。少し姿勢を正して、お地蔵様さようなら、と無数の地蔵群に心の中で手を振った。 「それが……悪いんだけど、君はまだ自分の体には戻れないと思うの」 「なんでだよ」 「だから、私とくっついちゃってるから?」 「は? どうやったら離せんの?」  生きているのに戻れない。掛けた梯子を外すような少女の言葉に、翔利がイラつきだす。そもそも臭いのだ。まずそれが一番の問題かもしれない。 「わかんない……」 「だーっ! じゃどうすんだよ! 俺このままなんて嫌だよ、ここクセーし」 「そのうち体が死ぬから、そしたら臭いとかは感じなくなるはずよ。私へーきだし」 「死にたくねーし、そこじゃねーよ! 臭わなくても嫌でしょ魂だけとか」  翔利はこの状況から脱すべく、必死で解決の糸口を引き出そうとしている。それを知ってか知らずか、少女は会話を楽しむように弾む声で返す。 「私くらい長くやってると変身もできるし、悪くないわよ?」 「参考までに聞いてやる。どんだけかかるんだよ、変身できるようになるまで」 「んー、千年くらい?」 「そんな待てねーよっ」 「あ!」  万事休すかとガックリうなだれた翔利の頭上に、突如、何か思い出したような少女の声が鐘のように響いた。 「なんだよ」 「ひとつだけ、あるかも!」  吉報を聞き、待ってましたとばかりに目を輝かせる翔利に、少女がずい、と、にじり寄る。 「探し物、手伝って」 「は? 千年の暇つぶしに探し物?」 「違うわよ、神様に言われたの。さっき言おうとして途中でストップって言われちゃった話」  少女が恨み節風にふくれてみせる。話を遮られたことを少し根に持っているようだった。 「一応聞いてやるけど、脱線するなよ?」 「脱線なんてしないわ! あのね、私、前みたいにいろんな国を見て回ったりしたくて、どうしたら封印が解けるかってずっと考えたり、神様に願ったりしてたの」  時折、強い風が吹いて少女の髪をなびかせた。その度にガスの煙も払われて、山の斜面に青々と茂る草地が見える。けれどそれだけで、とても殺風景な場所だ。確かに、ここに何百年もいれば飽きてくるのも理解はできる。 「そしたら、あるとき神様が来て言ったの。探し物を見つけられたら、願いを聞いてやるって」 「ふむふむ、で、探し物とは?」 「キラキラしていて、とても力強くて、だんだん大きくなるもの」 「それだけ?」 「そう。これだけ。大切な宝物のようなものだと言っていたわ」 「知んねーよそんなん。分かるわけねーって」 「でしょ。だから私も困ってるのよ」 「でも……、現状はそれ探すしかないのか」  まるでゲームのシナリオだ、と思った。死にかけて出会った玉藻の前から探し物を手伝ってほしいと頼まれる、そんなイベント。いかにもすぎて真面目に聞くのが少し馬鹿らしい。翔利はいっそ楽しんだほうが勝ちなのではないかと、肩の力を抜いた。 「手伝ってくれる?」 「けど、俺が体に戻れる保証はないんだよな」 「ま、まあ、そうなるわね」 「俺が体に戻れるのも一緒に願ってくれるなら、手伝う」 「願う! 絶対願うから! 嬉しいっ! ありがとっ!」  潤んだ上目遣いでじっと翔利を見つめていた少女が、押し倒さんばかりの勢いで翔利に抱きついた。 「やめろっ、恥ずかしいやつだな、このっ」 「やだ! だって嬉しいんだもん! 離れない」 「よせって、ああもう。ほら、探すんだろ」 「そうね! 探しましょう」  ようやく解放された翔利は、先が思いやられる、と心の中で呟いた。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません