まつりぬい
2 明坂まつりの誤算

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 縫の教え方は丁寧で分かりやすく、まつりの疑問点はすぐに解消された。 「明坂さんは、あれだね。難しく考えすぎなんだと思うよ。文章題を小説と同じように読んでない?」 「あー、それはそうかも」  思い当たる節は多々あった。それこそ小学校のときから。 「高町さんありがとうね。これでなんとかなると思う」 「うん。これくらいなら、空いているときならいつでも手伝うよ」  縫は右手のシャープペンシルをくるくると回しながら、笑顔を見せた。 「明坂さんて、前田先生狙いで数学聞きに行っていると思っていたけど、違うのね。ほんとに数学苦手なのね」 「そーよ。……ていうか、ゼンタってそんなかっこいい?」 「かっこいいっていうか、ついつい見ちゃうのよね」  そう言うと、縫は教卓へと視線を向けた。まつりもつられてそちらを見やるが、誰かがいるわけもなく、視線を戻す。  縫は目を細め、ゆっくりと口を開いた。 「前田先生、今日の授業中さ、前かがみで教卓に両手を乗せて、体重かけていたじゃない?」 「うん?」 「腰はだいぶ後方にあってさ、あの姿勢ってさ……」  まつりはその姿を思い出そうとしたが、面倒になってやめた。  うっとりとした眼差しで縫が言葉を続ける。 「絶対、勃起をごまかしていたと思うの」 「アンタ授業中になに考えてんの」 「むしろ常に考えているけど?」 「なんでそれで学年トップクラスの成績をキープできてんのよ!」  その言葉に、縫がにやりと笑みを浮かべた。 「エロい言葉の語呂合わせだと、大抵のことは一瞬で覚えられるよ?」 「なんかごめん。聞いたアタシがバカだったわ」 「元素記号はすごいわよー。エッチ変態リッチな便所、僕の――」 「もういいから!」  まつりが叫ぶと、縫は残念そうに口をとがらせたが、懲りてはいなかった。 「『エッチなじーさん水銀舐める』とかで覚えなかった?」 「やめて上書きしないで!」  まつりの反応に満足したのか、縫は微笑んだ。睨みつけるまつりをよそに、窓の外を眺め、左手で頬杖をついた。  暗雲が太陽の位置を隠し、雨の気配を強めていく。開かれた窓から、ほのかな雨の香りが風に乗って舞い込み、鼻孔をくすぐる。  縫は恋焦がれるように、息を吐いた。 「はー、セックスしたいなー」 「なんで外を見てその発言が出てくんのよ」 「雲の形がちょっとエッチなの」  縫は視線を曇天に向けたまま、ノートの隅に三文字の英単語を何度も書き連ねる。  まつりはその姿に呆れて言い放つ。 「もうそこらへんの男子に告ってヤってこいよ」 「えー」  まつりと縫の視線が重なる。  縫は物憂げな表情で、小さくため息をついた。 「童貞はイヤだもん」 「なにそのこだわり」 「だってせっかくだし」 「三組の大黒とか、五組の脇田は?」  経験済みらしい男子生徒の名前を挙げるが、縫は鼻で笑った。 「顔が好みじゃない」 「どのレベルなら満足なのよ?」  縫は再びシャープペンシルを回しながら、教室を見渡した。男子生徒の席を順番に見て、まつりへと戻ってくる。 「このクラスなら、橘くんより上かな」 「……アイツより上がよく分からないんだけど。……とりあえずアイツ童貞だからね」 「そうなの? ああ、明坂さんて、橘くんと仲いいんだっけ」 「仲いいっていうか、腐れ縁よ。小学四年からずっと同じクラスなの」  縫の視線がまつりから外れた。教卓に目をやり、橘周吾しゅうごの席へと視線が移る。縫は授業中かのように右手を高らかに挙げると、まつりを見て言った。 「明坂さんは橘くんと付き合えばいいと思う」 「やめてよ! なんでそうなるの!」  これまでの会話の流れからか、まつりは周吾と男女の関係になっている光景を想像してしまい、自分でも紅潮しているのが分かった。全力で頭を振る。想像をかき消そうと、まつりは語気を強めた。 「小学校時代を知ってる人と付き合うとか、なんかむず痒いじゃん!」 「私は童貞じゃなければ構わないけど」 「ルックスにこだわるくせに!」 「私のことはいいから、橘くんと付き合ってセックスの状況を教えて」 「それが狙いか! 教えるわけないでしょ!」  心底残念そうな縫を尻目に、まつりは両手で顔に風を送った。声を荒げたためか体温が上がっている。  その様子を見た縫が笑っていた。 「明坂さんて、おもしろいね。まつりちゃんって呼んでいい?」 「好きにしなさいよ。アタシは縫って呼ぶわよ?」 「いいよー」  まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のように、縫は屈託のない笑顔を見せた。授業中の模範解答を眺めていただけでは見られなかった表情に、まつりも頬を緩める。  縫がシャープペンシルを白いペンケースに入れた。 「ところで、まつりちゃんはこんな時間までなにしていたの? もう帰ったんだと思っていたのに」 「アタシは図書委員の集まりがあったのよ。たまに棚替えする日があって遅くなるの」 「どうしてそんな時間かかるの? サボってる人が多いとか?」 「担当の先生が適当だからよ。計画性ないの」  縫は図書室担当の先生が誰か分かっているようで、『ああ』と納得の声を漏らした。  その様子を見て、まつりも苦笑いをこぼす。 「今日の棚替えはまだマシだったんだけど、『宇宙空間におけるストレッチ』って本を、どのコーナーに置くか争ってたの」 「なにその本ちょっと気になる」 「高校生が読む意味が分からないよね」 「どうでもいいけど、ストレッチと一人エッチって似ているよね」 「ほんとどうでもいいわ」 「宇宙空間におけるひと――」 「やめろって」  縫の扱いに慣れ、雑に言葉を返しながら、まつりは教室の時計に目をやった。  時刻は六時になろうとしていた。 「そろそろアタシ帰るね。ママの手伝いしなきゃ」  まつりがそう告げると、縫は少し寂しそうな表情を見せた。 「あらそう? 楽しかったわ。またね、まつりちゃん」 「うん。こちらこそありがとう。またね」  鞄と傘を掴んでドアまで進み、まつりは振り返って縫に手を振った。微笑みを添えた縫が手を振り返す。 (思ったより話しやすい子だったなぁ。……下ネタ以外は)  まつりは相好を崩したが、すぐに表情を曇らせて、ゆっくりとした足取りでただの通路を進んだ。

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