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それから魍魎の少女は昼行性になった。日の出とともに起床し、日の入りには眠るといった人間のようなあべこべな生活を繰り返した。 朝、魍魎は眠気眼をこすりながら墓場を出て民家の方へと向かう。無論、人間たちの道を白昼堂々はくちゅうどうどう歩くわけにもいかないため、墓裏の崖のふもとの道を経由して田んぼの向こうの雑木林から民家をうかがうことになる。そこから小太りの少年の家まで歩き、彼が家から出てき次第ずっと目で追っていく。少年が学び舎に入れば今度は学校裏の山で二度寝をする。空腹で目が覚める時間になると少年は学び舎から出てくるので、また彼の姿を目で追って腹が立つ輩がいれば追っ払ってやった。特に、少年に馴れ馴れしく接している女は食べる食べないを問わず襲った。目立ちそうな場所であれば、そいつが一人になったところを狙えばいいだけだった。別段気に障るような輩がいなければ、少年の周りにいる人間を適当に選び獲った。二回ほど人間に正体を見破られ、ちょっとした騒ぎになりかけたが喉笛を食いちぎって事を収めた。そして少年が家に帰る様を見届けると、少女も獲物を担いで墓場に帰った。そのような奇妙な生活を続ける理由を妖怪少女自身も心得ないまま、気がつけば太陽が昇っては沈んでを七回繰り返していた。 「おなかいッぱい。うれしい。」 黄昏たそがれの墓場にて、魍魎の少女は食べ終わった女子おなごの骨をぶんぶん振り回した。周りにはこの七日間で食ってきた人間たちの死体が転がっており、それが小さな山をつくっていた。少女は持っていた骨をその山に放り投げて、石畳の上にごろんと寝ころんだ。 「まんぞく。」 魍魎は口周りを血でべったりと汚しながら笑う。頭から被っている羽織は、幾人もの血しぶきにより生臭い色に染まっていた。血の香りと腹が満たされたことによる幸福感が眠気を連れてやってくる。羽織の中に身体全体を入れるようにして瞳を閉じると、新しい血と古い血が混ざり合った匂いが少女の全身を包み込んだ。 『…ドうしテ』 微睡まどろみとうつつの狭間で安らいでいると、ふと少女の脳裏に小さな疑念が生じてきた。 『ドうしテ、はじめから人間を食べなかッタんダ?』 魍魎は足りない頭で考えだした。そもそも野生動物の本能として「食べる」という行為は非常に重要なことである。ゆえに食べ物にありつくためであれば、手段や対象の善し悪しを選んでいる暇などなく、それはなまじ理性のある妖怪連中でも同じ考えなのである。背に腹は代えられない。食べるためであれば何だってする。そうでなければ生きていけないのがことわりである。魍魎の少女も例にもれずそのような本能に基づいて生きてきたはずだった。しかし、魍魎の少女は「人間の死体」という栄養にありつくために、初めから「人間」を襲うことをせず、わざわざ墓を掘り起こして食料を探すということをつい七日前まで繰り返していた。それが「魍魎」という生物の生来的せいらいてきな行動からくるものなのか、はたまた単にそこまで頭が回らなかったのかはわからない。が、頭が弱い魍魎といえども、初めから生きてる人間を襲った方が手っ取り早いことぐらいはわかっていた。魍魎の食事はあくまでも「人間の死体」であるが、食べるとなった時点で人間は自然と「人間の死体」になるのだ。であるのならば、わざわざ墓場に死体が来るのを待つのではなく、死体のもとである人間を適当に見繕みつくろった方が明らかに簡単で賢いのだ。魍魎にはそれをするだけの力が充分すぎるほどにある。そしてその一番最初の機会が例の少年との出会いであった。あの時、魍魎は目の前の少年を殺せばいとも簡単に食料にありつけることに気が付いたのだ。にも関わらず、少女はそれをしなかった。手を出すことも殺意を抱くこともしなかった。ただただ彼の瞳を見つめることしかしなかった。 『ドうしテ…』 少々難しいことを考えたせいか、少女から眠気が去っていく。納得のいく理由を探そうとすればするほど、あの少年の顔が浮かんできてはもやもやだけを残して睡眠を妨害する。少女は胸を打ち鳴らし始めたやかましい鼓動を全身で抑え込むようにして、強く目を閉じた。 あくる日。羽織の隙間から差し込んできた陽の光が魍魎の少女に朝であることを告げた。少女はすぐさま逃げるようにして墓石の裏に隠れ込んだ。未だ明るい世界に慣れない目をこすってなんとか眩しさを受け入れていく。もとより、妖怪は闇が生み出した生物であるがゆえに、太陽の光が身体に馴染むようにはできていない。いくら人間のような生活習慣を繰り返していても身体はそう簡単には適応できないのだ。太陽は眩しいし身体の調子もよろしくない。昼夜逆転生活は魍魎の少女にとってかなり肉体的・精神的にくるものがあるようだ。だが、毎日少年を観察できることと新鮮な死体が食べれることと比べたら大した問題ではなかった。 『…からダがダるい』 眠気だけが原因ではない倦怠感けんたいかんや、両肩を下方向へと圧迫される感覚を覚える。よく眠れなかったのが悪いのか、ここ数日の生活と食べすぎがたたったのか。魍魎の少女はぼさぼさの髪をかきながら墓場を出ると、民家向かいにある雑木林へと向かった。雑木林は民家を中心に弧を描くように広がっており、魍魎は田んぼと雑木林の境界線をしばらく歩いた後、ちょうど墓場とは対角の位置で立ち止まった。そこで適当な高さの樹を見つけ登ると、民家からちょいとばかし離れた所にたたずむ一際大きな屋敷を見つめた。 少年の家は非常に裕福な邸宅ていたくだった。周りの一般庶民の家屋かおくと差を見せつけるような白いレンガの壁に、西洋風の仰々ぎょうぎょうしい装飾がほどこされた窓と玄関。低木で区切られた庭には草木が青々としげっており、花壇には色とりどりの花が規則正しく並べられていた。そこだけを切り取ると華美でモダンな邸宅という印象を受けるが、周りの民家からすれば悪目立ちもいいところであった。魍魎の少女はそんなよしも知らずに、大きな欠伸あくびをした。 『まダ、すみかからデテこない』 二刻、三刻ほど待てども少年が屋敷の外から出てくる気配はしなかった。注意深く耳をすませば屋敷の中で人間たちの足音が聴こえるため誰かがいるのはわかったが、少年がいるかどうかまでは判断できなかった。いよいよ日が頂点を過ぎた時、屋敷の玄関がガラリと開いた。魍魎の少女は食い入るようにそこを見つめたが出てきたのは少年ではなかった。見ると、真っ白い格好をしている人間たちがぞろぞろと出てきた。彼らはみな落ち込んだ表情をしており、中にはさめざめと泣いている者もいた。次に、木製の箱を担ぐ人間たちが現れたところで少女はようやく理解を示した。 『ああ、そうしきか』 一瞬、棺桶かんおけの中身があの少年ではないかという疑念が少女の頭をよぎったが、そのすぐ後に少年が玄関から出てきたため杞憂きゆうに終わった。玄関から姿を現した少年は、周囲と同様に喪に服していた。彼らは少年を先頭にしてそのまま民家の方へと歩いていく。 『なんデ、ないテんダ?』 少年の目じりと頬には泣き腫らしたような痕がついていた。しかし、その顔に悲しみの感情は一切見られない。それどころか、感情すらないように見えた。げっそりとした表情に空虚な瞳、血色もよい状態とは言えず生気をまるで感じない。心なしか小太りの体型はやせ細っているように見える。その姿は病人のようで不安定な状態であった。あまりにも異常な少年の様子を見て、魍魎の少女は思いだす。 『そういえば、きのうもぐあいがわるそうダッタ』 昨日、一昨日、一昨昨日さきおとといと記憶を振り返っていくと、少年はやつれ姿から元気になっていく。つまるところ、今日に至るまで少年は日を追うにつれて段々と元気がなくなっているのだ。今日は葬式のため気分が落ち込んでいるのは理解できるが、昨日、一昨日、一昨昨日もやつれている理由は、少女がこの七日間で観察したところ無いはずである。不思議に思いながらも、魍魎の少女は気のせいだと思い込んでかつがれていくひつぎを追った。 だが、その日はやはりどこかおかしかった。葬列は民家の方へとのろのろと歩を進めていたのだが、その周りの様子がおかしいのだ。通り過ぎていく人々が先頭を歩く少年を見て怯えた表情をしている。団子屋の看板娘は彼を見つけると小さい悲鳴をあげ、のぼり旗の裏に隠れてしまった。玄関で立ち話をしていた主婦もガタイの良い男たちも彼を見ては「関わりたくない」といった態度を露骨に出して目を逸らした。皆、死神か疫病神にでも出くわしたかのような怖がり具合だった。それほどあからさまに避けられていたにも関わらず、少年は心ここにあらずの状態だった。 魍魎の少女は、依然としていぶかしんだままその葬列を見ていると、とぼとぼと歩く少年の前に突然一人の見知らぬ男が立ちはだかった。少年は立ち止まってゆっくりとその男のことを確認すると、これまた唐突に深くお辞儀をした。男の方は押し黙ったままでその場に立ち尽くしていた。そして小刻みに震えたかと思うと、いきなり少年のことを殴り飛ばした。少年の小さなからだは、後方へと吹っ飛んだ。 魍魎はすぐさまその男を殺そうと脚に力を入れたが、それがはばかられるような空気が二者の間に流れていることを感じ、すんでのところで踏みとどまった。勢いよく尻もちをついた少年はしばし呆然とした後、服にはねた土汚れをそのままにその場で土下座をした。すると男性は足からくずおれてしまい、わんわんと子どものように泣きじゃくり始めた。男はしばらく泣きわめいたあと、ほとぼりが冷めたのか陰鬱いんうつとした空気をまとったままその場を去った。その男が去るまで、少年はずっと地べたに頭をこすり続けていた。その奇怪な光景を魍魎は訳もわからず眺めていた。 日は暮れなずみ、空は茜に染まった。葬列は民家を抜けて墓場の方へ向かうと、その裏手にある山奥の寺へと入った。魍魎の少女は終始その様子を見ていたためやや疲れ気味だった。妖怪に似合わず、凝った肩をほぐすように首をばきばきと鳴らした。少女は退屈そうに寺の様子をやぶの奥からのぞき込んだ。中では僧たちが慌ただしく動いていて、装飾物やら座布団やらを運び込んでいた。「通夜の準備だろう」と少女は思いついた。だとすれば、彼女が見てきた中で一番騒がしい通夜準備だった。まるで誰かにかされたように、人間たちは動いていた。早く終わらせたがっているそぶりをする者もいた。右往左往する人間たちの奥で、縮こまって正座をしている少年の姿が見えた。 生きたまま死んでいるようだった。泥人形のような顔色でその瞳は何も映していない。少年の形相ぎょうそうはそこらの妖怪よりも妖怪らしかった。魍魎の少女は、なぜ少年がそれほど落ち込んでいるのか未だに理解できないでいた。少年はいきなり立ち上がったかと思うと、寺の境内けいだいを抜けて人気ひとけのない山道へと入っていった。何かくさいと感じた魍魎の少女は、少年の後ろ姿を追ってみることにした。少年は山道をすずろに歩いていく。少女はその後ろを四間よんかんほど離れてついていく。あわよくば七日前に話したようにもう一度話がしてみたいと考えていた。もう一度彼の声を間近で聞いてみたかったとも感じた。しかし、少女は少年との距離を詰められないまま二の足を踏んだままでいた。意気込んで身を前にのりだしては尻込みをしてしまい、それでも彼を見失わないように続く靴跡に足裏を重ねた。 樹々の間から斜陽が徐々に強くなりはじめ、山道は開けた崖へとたどり着いた。崖の向こう側には真っ赤に染まった夕焼けと、その光に照らされた民家と田んぼが広がっていた。崖上は不気味なほどに静かで、烏の声も樹々のざわめきもしなかった。時折ときおり、ごうごうと空の鳴る音が断続的に聴こえてくるだけである。彼は崖の先端まで行くとようやく足を止めた。崖際には落下防止の柵はなくちょいと足を滑らせてしまえば、人間なんて簡単に死んでしまう高さの崖だった。少年が崖下を覗き込むように首を垂れた。日没を背景にして細長く伸びる少年の影法師かげぼうしが、ゆらりと揺らめいたように見えた。 魍魎の少女は胸騒ぎを覚えた。 少年の身体が崖下へ倒れ込むのと、魍魎の少女が飛び出すのはほぼ同時だった。少女が木陰こかげから出ると、刺すような日の光が世界をくらまして少年を白の闇に包み込んでいった。魍魎は首にかけてあった羽織を深く被り、彼の姿が光に奪われないよう目をひんいた。かすかに宙を舞った少年が見えた。手が届きそうな崖の先端まで近づいている。もう勢いが殺せないため、このままでは少年と一緒に落下してしまうが、この高さであれば少年を抱きかかえたまま着地をすることぐらい、魍魎にとっては造作ぞうさもなかった。魍魎の少女はそう確信すると、心の底から安堵あんどした。安堵して、油断した。 「は?」 一瞬だった。ガクン、とほんの一瞬だけ魍魎の身体が止まった。いや、正確に言えば、急激に全身が重たくなった。今朝からやや重たかった魍魎の肩と脚、そこを誰かにガシッと掴まれた感覚だった。その重さに、魍魎の少女は無理やり首を振り向かされた。 そこには、あのかわいらしい少女がいた。七日前に食い殺したあの「すごくむかツく」少女の怨霊おんりょうが、魍魎の少女の肩を抱きかかえるようにしてそこにいたのである。額はバックリと割れ、頬の肉もひどく剥がれ落ちていた。髪には大量の血と泥が絡みつき、首はありえない方向に一回転をしていて今にもねじ切れそうである。骨がはみ出しているか細い腕は魍魎の羽織をしかと掴んで離さない。引っ掴まれた脚にはこの七日間で食べてきた何十体もの死霊しりょうたちの腕が脚全体を覆い隠していた。一部の死霊の腕はもう腹まで登ってきていて、魍魎の少女の全身を地獄へと引きずりこまんばかりの勢いだった。その追いすがってくるような重たさには、ただならぬ怨嗟えんさと執念がにじみでている。怨霊少女は、呆気にとられた魍魎と目が合うと口をみにくゆがませていやらしくわらった。不覚にもおののいた魍魎が前方へ向き直ると、少年に届くはずだった手は空を切っていた。 もはや、そこに彼の姿はなかったのだ。

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