作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

宵闇よいやみは地平線の彼方かなたへと姿を消した。世界は妖怪の時間から、人間の時間へ。 頂点に到達したお天道てんとう様が傾き始めた頃。学び舎から解放された人間の子どもたちは、みな各々の思う場所に足を運んでいる。その様子を、裏山の崖上から覗き見る妖怪少女が一匹。死臭と瘴気をまとった魍魎もうりょうである。魍魎は羽織を頭巾ずきんのように被り、袖の部分を顎の位置で結んでいる。寸法すんぽうが大きい羽織は、光に慣れていない魍魎を太陽から守るのに丁度良かった。少女は鋭い眼差しと少量の殺気を放って人間の子供たちを観察する。 痩せた男一人。かしまし娘三人組。背の高い男。男の集団。女二人。小太りの男。また女二人。太りすぎの男。 一人一人の顔や体型を確認しては、次に学び舎の門から出てくる人間を食い入るように見る。その姿はまるで獲物を狙う獣のようであるが、少女は別段、草葉の陰へと引きずり込む獲物を探しているわけではない。少女が探していたものは、昨晩出会ったあの小太りの少年だった。 魍魎の少女はあの小太りの少年と別れた後、再び墳墓ふんぼを掘り返して食べ物を探した。けだし、探せど探せど肉の欠片一つ見つからず、結局のところ徒労に終わってしまった。収穫は骨と少年のくれた羽織だけ。腹が満たされないことによる苛立ちとちらつく少年の残像で、少女は依然としてもやもやした気持ちを抱えたままだった。 『なにかわからんがこのもやもやがむかツく、しゃくにさわッテしかタがない、おなかすいタ』 魍魎の少女は自身の心臓をかき乱すあの少年の存在が気になって仕方がなくなっていた。あの少年に出会えば、このよくわからない気持ちは解消されるに違いない。そんな一縷いちるの望みをかけて、わざわざ人間が闊歩かっぽする昼間に出てきたのである。 そもそもの話ではあるが、大概の妖怪は昼間には活動しない。太陽の眷属けんぞくが人間であり、妖怪は闇の眷属であるからだ。古来より、日の出から逢魔おうまときまでは人間の時間で、逢魔が時から日の出までが妖怪の時間なのだ。人間が太陽と共に活動して夜に眠るように、妖怪は闇と共に活動して昼間には眠っているのだ。ただし、だからといって妖怪は夜しか行動できないわけではない。夜行性の人間がいるように、昼行性ちゅうこうせいの妖怪もかなり少数だが存在する。魍魎は欠伸あくびをした。 「お。」 門に向かって歩いてきた一人の人間が視界に入る。小太りで小綺麗な服装をしている。魍魎の場所からではその人間の顔が確認できないが、匂いでわかる。 捉えた。あの少年だ。全身で理解した魍魎の少女は視界の中心に少年を留めたまま、草木に紛れて移動する。どうやら少年は民家の方へと向かうらしい。魍魎は雑木林の方に回り込んで、田んぼの向こうから少年を観察することにした。 少年は項垂うなだれながら独りでとぼとぼと歩いている。表情を確認してみると、少年は浮かない横顔をしていた。すると、その少年の背後から背の高い二人組の男たちがいきなりやってきて彼の肩に手をかけた。少年は身体を震わせ、その男たちと立ち話をし始めた。そしてしばらくした後、少年は男たちに連れられて民家と商店の隙間の通路に入っていく。薄暗い路地裏に消えてゆく少年の後ろ姿は、彼の小綺麗な着物とは全く似つかわしくなかった。 少年の横顔はおびえているように見えた。対照的に、二人組の男たちの顔はいやしくゆがんでいた。魍魎は「何かおかしい」と感じて、彼らと距離を詰めることにした。一跳びで田んぼを軽々越えていく。 もし人間に見つかったとしても、すぐに妖怪だとは思われないはずだ。おそらく、昨晩の少年が勘違いしたように孤児みなしごだと判断するに違いない。万が一、正体が勘付かれるような事があれば、その時に考えればいい。 さっさとそう結論付けた魍魎は、商店の屋根に着地して身をかがめる。魍魎の少女の内心は少年の姿を捉えたい一心で、はやる気持ちは押し殺せそうもない。商店の屋根看板の陰に隠れながら、真上から三人を確認した。二人の男たちは少年を小突いたり、ほおを軽く叩いたりしている。少年は何も抵抗せず、ただされるがままに突っ立ったままだ。どうやら男たちは少年を脅して、何かを要求しているようだった。そして少年は二人に服従の意でも示すかのように、甘い匂いのする黄色い箱のようなものを渡した。魍魎にはなぜ男たちがそんなことをするのかまるで理解が出来なかった。しかし、あまり穏やかでないこと、少年が嫌がっていることぐらいは理解することができた。そして魍魎自身の気持ちも、あまり穏やかでないことも。 魍魎の少女は感情任せに動いた。そのまま屋根の上から飛び降りて、少年と男たちの間に四本足で着地する。両脇からあがった小さな悲鳴を無視して、男の一人を脚で蹴り飛ばして路地裏から突き飛ばす。呆気にとられたもう一人は、威圧して少年から突き放した。魍魎の放つ殺意に怖気おじけづいたのか、男たちは自分の身に何が起きたのかもわからないまま、情けない声を上げて蜘蛛くもの子散らすように逃げていった。途中、奴らは少年から奪った甘い黄色の箱を地面に放り投げていたので、魍魎はそれを拾い上げた。 『いいきみダ』 魍魎は鼻で笑うと、二本足で立ちなおした。少年の安否を確認するために振り返ると、彼は地べたにしゃがみこんで怯えていた。頭も尻も、腹についている贅肉ぜいにくのせいで隠しきれていない。あまりにも弱い。これほど軟弱だと、いじ甲斐がいもないだろうに。魍魎の少女は少年に近づき、少年の背中に伸ばしてさすってやると、一瞬大きく身体を震わせる素振りを彼は見せた。この行為に何の意味があるかは魍魎の少女は知らない。ただ本能のまま、心のおもむくままに行動をしたら、魍魎の手は少年の背中をさすっていたのだ。怯えながらも顔をあげた少年は、自身の背中をさする存在を見て困惑した表情を浮かべたが、少年は魍魎の少女の顔を覚えていたようだった。 「…ど、どうして、君がここに?」 少年にそう問われ、ようやく魍魎の少女は気が付いた。何も考えていなかったことに。ただただ気になって会いに来ただけということに。本能と衝動の命ずるままに、あの二人の男たちを蹴散らして今に至るということに。 「ドうしテ?」 思わず繰り返してしまう。意図せず、昨夜の再演になってしまう。理由はわかっていた。今もなお、心臓にもたれかかっているこのもやもやを何とかするためだった。少年に出会ってから魍魎の少女の心にまとわりついている何かを取り除いてもらうためだった。会えば、何かしら得られると思ったからである。 ただ、どういうことか。こうして少年と顔を突き合わせると、それらの理由が途端に見当違いの物であるように思えた。なぜならば、まるでもやもやが解消されないからだ。むしろ昨晩よりも心臓はやかましく鼓動している。水たまりを見なくても顔に熱が出ているのがわかった。だが、嫌な感覚ではない。今すぐ逃げ出してしまいたいのに、此処ここから離れたくない。またしても魍魎の少女の感情は、昨夜と同じ、いや、より一層混乱し始めた。 魍魎の少女は、少年に顔を向けられていることに何故なにゆえか耐えられなくなり、男たちから取り返した甘い香りの漂う黄色の箱をずいと差し出した。顔を見られたくない気持ちが湧いてきて、頭上の羽織を深く被る。 「はは、なんかよくわからないけれど、君が助けてくれたんだね。ありがとう。」 何がおかしいのか、少年は笑って立ち上がって黄色の箱を受け取り魍魎の少女に礼を言った。羽織の隙間から少年の笑顔を垣間見た少女は、もうどうにかなってしまいそうだった。 「ちょっと!大丈夫だった?」 魍魎の背後からあどけない少女の声がした。魍魎と少年が声のする方に目を向けると、一人のかわいらしい少女がいた。かわいらしい少女は、魍魎の少女に一瞥いちべつをくれたかと思えば、すぐさま少年の元に駆け寄り、彼に言葉をたたみかけた。 「何してるのよ、こんな暗い路地で。」 「いや、いつもの先輩が小遣こづかいとかキャラメルとか寄越よこせって脅してきてさ。それで困ってたんだけど。あの子が。」 「服も少し汚れてるじゃない。もうなんで毎回こうなのよ、どんくさいわね。」 「そんなひどいこと言わないでよ。」 「とりあえず、こんなところにいたらまたがらの悪い輩たちに絡まれちゃうわ。早く行きましょ。」 「うん、そうだね。あっ!待って!僕のさ、僕の羽織をあの子がまだ…。あれ?」 そう言って少年はあの子を探そうとしたが、そのあの子がいた場所には誰もいなかった。忽然こつぜんと姿を消したあの子に驚いた少年は、辺りを見回して彼女の姿を探した。 「あら、ほんとね。帰っちゃったのかしら。」 かわいらしい少女はそう言うと、少年を半ば強引に引きずって路地裏から出ていった。 『じゃまがはいッタ』 魍魎の少女は屋根の上から、少年とあのかわいらしい少女のやり取りを眺めていた。少年があのかわいらし気な少女との会話に気を取られている間に、暗がりに紛れて咄嗟に屋根の上に跳んだのだった。うまいこと有耶無耶うやむやにできたことを確認すると、魍魎は内心で悪態あくたいをついた。 『なんなんダ、あのおんな』 前述したとおり、魍魎はあまり言語が達者ではない。単純な言葉なら理解できるが、人間ほど速く喋ることはできないし、複雑な文脈判断もできない。そのため彼らの会話を聞いても意味や内容などちんぷんかんぷんだった。 『あのおんな、すごくむかツく』 しかし、魍魎の少女はとても不愉快だった。彼らが何を話していたのかは魍魎にはわからない。だが話の内容なんぞどうでもいい。会話をしていたこと自体が、仲良さそうにしていたこと自体に苛つきを覚えていた。 『それになんダ、あのめは』 魍魎の少女は、あの少女が自身に向けてきた眼差しを思い出す。軽蔑するような眼差し。卑しいものを見るような眼差しだった。そのこと自体は別にいい。あのような負の感情が込められたような眼差しは幾度となく向けられてきたからだ。だが、あのかわいらし気な少女が魍魎に一瞬向けてきたあの目は今までのものとは何か意味が違う。わからないが苛立たしくて仕方がない。反吐へどが出る。虫唾むしずが走る。はらわたが煮えくり返る。 『すごくきらいダ』 とにもかくにも、魍魎はあの少女が大嫌いになった。『気に入らない』というやつだ。あのかわいらしい少女の存在がとても『気に入らない』。 何かをぶっ壊したいという衝動が魍魎を襲う。魍魎は苛つきを抑えるために、被っていた羽織を噛んだり、強く引っ掴んだりした。本当なら今すぐにでもこの場で地団駄じだんだを踏みたい。だが周囲の状況が状況である。暴れることすらできない。仮にそれをやったとしても、湧き上がるこの苛つきは到底抑えられそうにない。どんどんと不快になっていき、今にも爆発してしまいそうなほどだ。この苛々を如何いかにして晴らそうかと魍魎が考えていた時、忘れていた腹の虫が鳴り出した。 からすが魍魎の頭上を通り過ぎて、民家の方へと飛んでいく。魍魎の少女が空を見上げてみると、もう夕暮れだった。太陽と人間は寝静まり、闇と妖怪が動き出す時間がやってくる。魍魎は墓場へと入り、背の高い墓石の上に胡坐あぐらをかくと、真っ赤な夕焼けをぼんやりと眺めた。本来ならばこれぐらいの時間から魍魎は活動する。活動といっても、墓を掘り起こすだけなのだが。魍魎は大きく伸びをした。真昼間から起きていたせいか満足に腹が満たされたせいか、今の魍魎は非常に眠かった。墓を掘り起こす元気も残っていない。 『まあ、もうやらないが』 その通り、もう明晩みょうばんから墓を掘り起こす必要はなくなったのだ。あのかわいらしい少女の面影が魍魎の頭をかすめた。彼女の顔など魍魎はほとんど忘れてしまっていたし、どうでもよくなっていた。腹が満たされて眠くなった魍魎は、少年に貰った羽織を石畳いしだたみいて眠ることにした。被っていた羽織を床にひらきその上に寝転がる。羽織をよく見ると、所々が血で赤くにじんでいた。寝る分には差し支えないだろう。魍魎の少女はそのまま羽織にくるまって瞳を閉じた。 人体が壊れる音、それと目をえぐり出す音がまだ耳にこびりついていた。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません