梗子
名器

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 何度目かの満足を得たフリーライターの田所は、丸めたティッシュをゴミ箱に放り投げ、枕元のリモコンでテレビをつけた。  女が身体を寄せて来たので、腕枕をしてやる。  偶々たまたま入ったバーで知り合ったばかりの女だ。背中まで伸びた艶やかな黒髪とは対照的に、目に痛いほどの白い肌を持つ。痩せぎすな女だと思っていたのに要所要所の肉付きはよく、思いのほか抱き心地のいい身体だった。  毛穴すらないかのごとく滑らかな肌。括れた腰に、弾力ある臀部。程よい大きさに隆起した形の良い乳房。色素が薄く控えめな乳輪と、その中央でつんと上を向いた愛らしい乳首。  そして何より女は名器の持ち主だった。無数の襞がまるで別の生き物かのように男性自身を包み込み、セックスの快感をこれまでに達したことのない境地にまで高めてくれた。 「いけない人ね」  男の薬指の指輪を触りながら、女は意地の悪い笑みを浮かべる。 「お互い様じゃないか」  女の左手にも薬指に光る指輪があった。 「そうね。恨みっこなしのお互い様ね」  テレビは今ちまたを賑わせている不倫殺人事件を報じ始めた。  ダブル不倫をしていた男女が男の自宅で殺され、男の妻が行方不明になっているという。それだけならば痴情のもつれからの殺人という、よくある構図に過ぎない。 「二人とも無残な姿だったらしいわよ」 「らしいな」  世間の好奇心が過熱気味なのは、重要参考人として手配されている被害者の妻、大貫梗子の行方が未だに知れず、一方で梗子は既に殺されているとの報道もあるからだ。犯人と目されている梗子も死んでいるとすれば、梗子を殺したのは誰なのか。夫と妻の相討ちだったとするなら、梗子の遺体が無いことの説明がつかない。  発見されている二人の遺体はいずれも顔の半分が打ち砕かれ、原型を留めていなかったという点からも、相討ち説は信憑性が乏しい。  田所はこの事件についての取材を続けていたので、一般人よりも詳しい情報を持ってはいたが、女の前ではそんなことはおくびにも出さない。 「行方をくらましている男の女房が犯人なんだろう。女を怒らせると怖いな」 「不倫する男は皆、死ねばいいのよ」 「どの口が言ってるんだよ。仮に君の旦那が浮気をしたところで、君には怒る資格なんてないだろう」  女を怒らせると怖いというのは実感だ。だがそれは扱いを間違えるから怒らせるのであって、上手く扱えば女などどうってことはない。田所はそう思っている。  特に目をつけた良い女の場合は自分から離れられないよう、弱みを握ることにしている。手っ取り早いのは薬で眠らせて、あられもない姿の写真や動画を撮ることだ。ネットでばら撒くぞなどとはっきり言わずとも、女は自分の立場を理解する。  「そうかもね」  この女も一度きりの関係で終わらせるのはもったいないほどに良い身体をしている——。 「なあ、君も旦那に不満があるから俺とこんなことをしてるんだろう。君ほどの良い女を放っておくなんて、悪い旦那だよな。そんな男は放っておいて、これからも俺と仲良くしないか」 「あら。ほんと、悪い人ね」 「なあいいだろ」  田所は言いながら女の乳房を手のひらで弄ぶ。 「あんっ……、悪い子ね、だめよ」  女はやんわりと田所の手を引き剥がした。  田所もそれ以上しつこくはしない。 「あの事件の凶器をご存知?」 「ゴルフクラブだろ」 「そう。そのクラブに残っていた指紋は、死んでいた旦那さんのものだけだったらしいわよ」  そんな情報は田所の取材でも掴めていない。どこかの週刊誌に書かれた根拠のないガセか、ネットに流れたフェイクニュースの類ではないのか。  そうは思っても職業柄、つい気になってしまう。 「どういうことだ?」  二人を殺したのが梗子だとすれば、当然ながら凶器には梗子の指紋が残っていなければならないはずだ。  だが、女は直接答えようとはしない。 「浴室は血の海だったって」  それはワイドショーなどでも広く報道されている。 「旦那は浴室で殺されていたんだから、当然だ」 「でも、その大量の血の半分が行方不明になっている奥様のものだとしたら?」 「何が言いたいんだ?」  またしても女は田所の問いには答えない。 「庭が掘り返されていたことは知ってるの?」  それは警察からも裏を取っているし、報道もされている。  だが——。 「その庭から奥様の眼球が見つかったそうよ」  それは一部の週刊誌が面白おかしく報道しているネタだが、田所が警察に当たった感触では事実のようだ。それがこの事件に対する田所の興味を惹き付けている。 「週刊誌報道だけだろう。逃げているはずの奥さんの目玉が見つかったなんて、もはやオカルトの世界だよ」 「そうね。オカルトね。でも、それだけ女の怨念は怖いってこと。この世ならぬものとこの世を繋いでしまうほどにね」 「もういいよ。こんな話はやめよう。せっかくいい気分だったのに台無しだ」  話をさえぎった田所は、気分転換しようとリモコンを取り、チャンネルを切り替えた。  アダルトチャンネルに合わせると、女性のわざとらしい喘ぎ声とともに、モザイクのかかった男女の結合部が大映しになった。  それに触発されたのか、女が上に跨ってくるが、田所はまだ回復していない。 「だめだよ」 「大丈夫」  女は片手を自分の後ろに回し、すっかりえているそれにそっと触れる。その指先が根元から先端までを二度往復しただけで、田所はすっかり力を取り戻した。  妖しげな笑みを浮かべて先端を自分自身にあてがい、女がゆっくりと腰を下ろす。 「あぁ~~……」  長く糸を引く溜め息のような喘ぎと共に、女は顎を上げ、背中を反らせる。  田所は温かく潤った粘膜に包まれた。  女の腰がゆっくりと動き始める。腰だけではない。田所を包み込んだ粘膜の襞全体が、無数の虫のように蠢き始める。  今までに経験したことのない至福と恍惚。それがそこにはあった。もうすっかり放出し切ったと思っていたのに、早くも頂点が迫って来る。 「だめだ。もう、出るぞ」  そのとき、女の腰の動きが止まった。 「ねえ、知ってる? 行方不明の奥さん、名前は梗子っていうの。あなた、いろいろ調べているみたいだからご存知よね」  田所が不審げに見上げたその顔には前髪が垂れ下がり、表情は読めない。 「怨みにまみれて死んだ女のあそこは、あの世とこの世を結んでいるの。そこに精を放った男は、もうこの世では生きていられない」 「何を言っているんだ?」  そのとき、腹に何か生温かいものが落ちてきた。  見ると血のように赤く染まっている。 「お、おいっ、なんだよ」  女が髪を掻き揚げた。 「わたしが、梗子よ」  あまりのことに声すら出ない。  女の口元からは粘性の高そうな、どす黒い血が流れ落ちる。かと思えば、身体中が徐々に黒く変色し、目の周囲の肉が腐食したかのように垂れ下がった。  こんな状況でありながら尚、女の粘膜は田所を包み込み、蠢いて快感を送り続けてくる。まるで最後の一滴まで搾り取ろうとするかのように。 「妻を裏切る男はみんな、死ねばいいのよ」 「や、や、」やっと声が出た。 「やめてくれぇっ~!」  田所が叫ぶのと同時に、女の眼球が零れ落ち、胸の上で転がって田所を見た。その周囲では幾匹もの蛆虫が蠢いている。  その蛆虫の蠢きこそが、実は自分に快感を与え続けているものの正体なのだと本能的に悟ったとき、田所は再度絶叫し、最後の精を放つと同時に命ごと果てた。    *  運び出されていく田所の死体を見送る小山のところに、鑑識課の知り合いがやって来て声を掛けた。 「やっこさん、お前の情報源じゃなかったのかよ」 「まあ、ちょっとな」  どちらかと言えば自分の方が情報源だったなど、口が裂けても言えない。 「それよりも死因は分かりそうか?」 「さあな。今ところ分かるのは、大量に出血しているということと、片目がえぐり取られているといことだけだ」 「そうか……」  同じような死体が既に三件見つかっている。三人の被害者に接点は見つかっておらず、死体の状況以外に共通点は乏しい。強いて言うなら、男であること。そして、既婚者でありながら妻以外の女性と関係があったらしいことくらいだ。その程度のことは珍しくもないだろう。田所も正体不明の女性とこのホテルにチェックインしたところまでは確認が取れている。  そこへ小山の後輩に当たる刑事、新藤がやって来た。 「防犯カメラの映像、確認できます」 「そうか」  小山は鑑識員に、またなと声を掛けてホテルのフロント奥の部屋に急いだ。  モニターの前には上司の矢神がいて、何やら渋い顔をしている。 「どうしたんです、画像確認出来たんじゃないんですか?」 「出来たさ。見てみろ」  矢神の指示で、ホテルの従業員が再生スイッチを押した。  どうやら現場となった304号室の前の廊下の映像のようだ。  音声は無い。  304と書かれた扉が手前に開き、その向こうから髪の長い女性が姿を見せた。扉が閉まり、女性はカメラのある方に向かって歩き始めたが、俯き加減の上、長い髪が邪魔をしていて表情までは読めない。 「これじゃ顔が分からんな」  小山がそう呟いた時、随分とカメラに近づいていた女が立ち止まった。  かと思うと、おもむろに顔を上げ、カメラをじっと見つめたではないか。  そして、その表情が崩れてにやりと笑ったかと思った次の瞬間、女の顔から片方の眼球が零れ落ちた。  「梗子」 ——了——

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