タイムリミット
第1章 神様の手違い5−1

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 エリカはどんな人助けができるのか?  かつて経験したことのないぐらい、康太は頭をフル回転させる。  学校のテストのときも、こんなにまであれこれ知恵を絞ったことはなかった。  そこで思いついたことはエリカの母親を元気づけること――。  心が折れてしまい立ち直るきっかけすら掴めないでいる母親を一日も早く社会復帰させることは、その原因をつくったエリカ自身が強く望んでいることでもある。  だが何をするにせよ、康太とエリカの‘手足’となる持ち駒は、テレパスで会話ができるジョンしかいないのが現実だ。  では、ジョンにどのような協力をしてもらえば、エリカの母親を元気づけられるだろうか? いろいろ思案しているうちに、ようやくある考えが閃いた。  オレって学校の成績は悪かったけど、やる気さえ出せば出来たのかも……与えられた課題の解決方法を探ることは、いざやってみると康太が思っていたよりも楽しい。 「そうだ、そうしよう!」  康太の瞳は今までになく輝いている。 「え、いったいどんなことを思いついたの?」  やや不安げな表情でエリカが訊いたとき、康太は東ゲート近くの街灯に付けられた時計に目を向けていた。 「……今、午後四時だよね。突然で悪いけど、これから急いで家に帰って、おまえのママとジョンをこの公園まで連れてきてくれないかな? その間、オレはオレでやることがあるんだ」 「でも、わたしに出来るかな?」 「大丈夫だよ。ジョンに頼めば、きっとうまくいくって」 「そうね。あなたにそう言われると、わたしにもできそうな気がしてきた。それで、何時に公園のどこへ連れてくればいいの?」  エリカの表情はいつの間にかキリッと引き締まり、康太の作戦に乗り気になったのが伝わってくる。 「待ち合わせの時間は今から二時間後の午後六時ちょうど。場所はこの先の『噴水広場』にしよう。少し遠いけれど、夕方になれば少しは涼しくなるだろうから、おまえのママたちも歩くのはそんなに辛くないさ」 「了解、頑張ってみる! でもその前に一つ教えてくれない?」 「何を?」 「なぜわたしにそうして欲しいのか、ちゃんとそのわけを」 「それはそのときのお楽しみってことで。じゃあまた!」  エリカは食い下がるが、康太は答えぬままその場を離れた。  東南中央病院に戻った康太は、救急措置室に直行する。  引き戸が開けたままの入口から中を覗くと、五台並んだベッドのうち使われていたのは一番入口に近いベッドだけで、そこにはまだ康太自身がいた。  あれから三時間も経つというのに、ほぼ同時に亡くなった峰岸さんが先に霊安室に運ばれて、康太は後回しにされている。  ちょうどそのとき、看護師二人が着ているものをすべて脱がせて、身体中をくまなく拭き清めてくれているところだった。  頭に巻かれた包帯は新しいものに取り換えられて、鼻の穴には脱脂綿が詰められているが、首から下にはたいした傷は見当たらない。いくら亡骸とはいえ若い女性に丸裸にされた自身を目の当たりにしていると、康太は恥ずかしさのあまり半透明の頬がジーンと火照ってくるような気がした。 「本当にかわいそうに。この子にはまだまだ明るい将来が待っていたはずなのにね」  一人の看護師が涙声でつぶやく。 「ご両親とも、嘘だ、嘘だと泣き崩れてしまって……せめてお二人が着くまで心臓が動いていてくれればよかったのに。本当にお気の毒で……」  もう一人の看護師もそれ以上は言葉がつながらない。  二人の会話を耳にして康太は改めて両親に思いを馳せる。  親父もお袋も、オレが腹ペコで元気に帰ってくると信じていただろうに。オレは自分の不注意で帰らぬ人になってしまった。息子を突然失った親の悲しみの深さを思うと、やるせない気持ちで胸が一杯になる。  康太の脳裏には、両親との楽しかった思い出の数々が走馬灯のように次から次へと蘇ってくるが、もう慰めることも何もしてあげることができない。それが現実なのだ。  数分後、顔に白い布を掛けられた康太の遺体は、ストレッチャーで霊安室へ運ばれていく。  それを見送ったあと、一瞬、康太の胸を不安がよぎる。  まさか、次に《光のリング》が現れる午後七時になっても、まだ天国へ呼んでもらえないなんてことはないよな? そんなの絶対に嫌だ!   心の中で叫ぶうちに、康太は救急措置室に戻ってきた目的を思い出す。 「そうだった。あのじいさんの住所を調べなければ!」  幸い、峰岸さんがいた中央のベッドに付けられた名札はまだそのままで、担当医師の名前は「石井光成」となっている。案内板に従って医師の控室を探していくと、すぐにその名前のプレートが貼られた小部屋は見つかった。  閉じられていたドアをすり抜けて入った室内では、石井先生は窓辺の机に向かって、死亡診断書を作成していた。氏名欄には「峰岸隆一」、住所欄には「東南区西山一丁目○―〇 パークス西山一〇三号室」と書かれている。ここが康太の目的地なのだ。  峰岸さんの住まいはちょうど第五中学校の目と鼻の先のところなので、土地勘がある康太は十分ぐらい歩いて迷わずにたどり着いた。  そのマンションは三階建てで、白いタイル貼りの外壁は薄汚れており、あまり新しくは見えない。  一〇三号室の前まで行くと、玄関ドアは開いている。  中を覗くと、リビングルームに作業服姿の中年男性がしゃがみこんで、大きなゴールデンレトリバーにドッグフードをあげているところだった。  あの人が峰岸さんの話していた管理人さんに違いない。顔写真付きのネームプレートには「柴崎」とある。悲しげな表情で、そのイヌの頭や身体を優しく撫でている。 「ジェニー、ご飯をお食べ。峰岸さんは死んでしまったんだ。わかるかい? でもこの部屋の家賃は九月分までもらってあるから、あと一月はこの部屋にいられるよ。ご飯とお水は毎日朝と夕方の二回、私が用意するから。その間に、新しい飼い主を見つけような」  空腹なはずなのにジェニーはドッグフードには見向きもしないで、ただ嬉しそうに目を細めて尻尾をゆっくりと振りながら柴崎さんの愛撫に身を任せている。  既にジェニーは、自分にはこの人しか頼れる人はいなくなったという現実を理解しているのかもしれない。そのいじらしい姿を見ているうちに、康太は胸が熱くなってくる。  しばらくすると柴崎さんはジェニーを撫でていた手を止め、ドッグフードの入った皿を見て首を傾げる。 「ちっとも食べてないな。お腹は空いていないのかい?」  そう言われても、ジェニーは相変わらずオスワリをしたままの姿勢を崩そうとしない。皿には見向きもせずに、優しそうな目で柴崎さんをじっと見つめながらゆっくりと尻尾を振り続けている。  パン!   突然、柴崎さんが小さく手を叩いて立ち上がる。 「そうか! 今朝はお散歩に連れていってもらってないから、ウンチとオシッコをずっと我慢しているのかな?」  それとも? と疑問を感じた柴崎さんは慌てた様子で室内をくまなく点検するが、やがて安堵の表情を浮かべて戻ってくる。 「ジェニー、いい子だ。ずっと我慢しているんだね。部屋の中でされちゃうと、その後始末はとても大変なんだ。私の仕事を増やさないでくれて、ありがとな!」  柴崎さんは嬉しそうにジェニーにお礼を言って、さらに続ける。 「よし、このご飯を食べたらお散歩だ!」  ジェニーは柴崎さんの最後の言葉に素早く反応する。  さっと立ち上がると目の前に置かれたドッグフードをあっという間にたいらげた。 「なんだ、やっぱりお散歩に行けないので食べるの我慢していたってわけかい? おまえは本当にお利口だな」 「ワン!」  ジェニーが一声可愛らしく吠える。  このやりとりを玄関から見ていた康太は、ジェニーが食べ終わったところで動く。  リビングルームに一歩足を踏み入れると、すぐにジェニーが康太の気配に気づいた。  一瞬驚いたような目をしてから、康太に向かって嬉しそうに尻尾を振り始める。  ジェニーの視線を追いながら、柴崎さんが諭すように言う。 「玄関には誰もいないよ。峰岸さんは身寄りが一人もいないと言っていたから、この部屋を訪ねてくる人は誰もいないはずだ」  それでもジェニーは相変わらず強く尻尾を振り続けている。 〈すみません、どちらさまですか?〉  康太に、ジェニーからのテレパスが届く。 〈こんにちはジェニー! オレは康太。実はオマエの飼い主だった峰岸さんが天国に旅立つ直前にオマエのことが心残りだって言っていたので、心配になって来てみたのさ〉  康太もテレパスで返す。 〈わざわざありがとうございます。ワタシ、ご覧のとおり管理人の柴崎さんのお世話になって何とか生きていけそうです〉  ここで、康太たちの会話が聞こえない柴崎さんが腕時計を見ながらジェニーに話しかけてくる。 「今は、午後五時十分か。散歩に出る前に、一仕事しないとな。だいたい三十分ぐらいで夕方の巡回を済ませてくるから、いい子にして待っていてくれるかい?」  ジェニーは、「ワン!」と小さく吠え、尻尾を振りながら柴崎さんの掌(てのひら)をペロペロ嬉しそうに舐める。その仕草を見て柴崎さんは、「話が分かったみたいだね。じゃあ行ってくるから」と言って一〇三号室を後にする。

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