その日の夜九時。 新たな作戦会議が重人の部屋で開かれる。その場には康太、重人に加えて美穂もいる。 はじめに廣瀬リコが取調べを受けたときの状況について重人から伝えると、康太はそれほど残念がる素振りは見せない。 「まあ、今日の戦果は上々じゃないかな。三人の連携がうまくいって、上条さゆりと廣瀬リコのたくらみは失敗に終わったわけだし、本田さんにも被害が及ばなかったし」 しかしあとの二人はそれに同調せず、浮かぬ顔のままだ。 「あともう一歩で、上条さんの共謀が明らかになるところだったのに」 美穂が残念そうに言う。 「でもやっぱり、『8』の字だけの証拠じゃ弱かったと思う。仮に廣瀬さんが認めても、上条さん本人に否定されてしまえば、結局この前の本田さんの目撃情報と同じように、父親の上条PTA会長に冤罪と決めつけられるのは目に見えているよ」 重人もため息をつきながら、この一日の総括をする。 「要するに、もっと決定的な逃げられない新たな証拠を示さないと、上条さゆりはビクともしないってことか」 やや浮かれ気味だった自分を戒めるように、康太が言う。 「そう。だから今、こうして三人で集まって、何か新しい仕掛けを考えようとしているんじゃないか」 いかにもクラス委員らしく、重人が課題を明確にする。 「よし、頑張ろう!」 気合を入れて康太が言い、美穂も頷くが、まだ誰一人、これといった具体的なアイデアがあるわけではない。 そこで幽霊の二人がそれぞれ、まだ康太の知り得ない情報を話すことにする。 三人寄れば文殊の知恵とは言うものの、情報量の異なる三人がどんなに議論し合ったところで決定的な作戦なぞ立てられないことは目に見えているからだ。 まず、美穂が口火を切る。 四限目のリコの動きについて、自分がベッタリへばりついて見てきたままを語り、さらに、ここからは推測だけど、と断った上で続ける。 「廣瀬さんは、お金に目が眩んだのよ。上条さんの悪巧みに加担して言われたことをやれば、一回につき五千円もらえるんだもの、そんな美味しい金のなる木を自分から手放すことなんてできないわよね。だから決定的な証拠がない以上、ここで上条さんに恩を売っておいて損はないと考えて、口を割らなかったんじゃないかしら」 「僕もそう思う。廣瀬さんは、出席停止処分なんてちっとも怖くないんだよ。何度処分されたって、義務教育である中学校では絶対に生徒を退学にはできないしね」 重人が同調し、康太もなるほどと思う。 次に重人が、六限目の授業中に新聞店主から秋山先生に掛かってきた電話でのやりとりを詳しく報告する。 「長友さんの私物ねえ……」 聞き終えた康太が美穂の方をチラッと見ながら言う。 「康太君、何かいやらしいこと考えてない? 私は、ロッカーの中に人に見られて困るようなものは何も入れていないわよ」 ムキになって言い返す美穂を見て、重人が何か閃いたようだ。 「そう言えば、自殺する人ってたいてい遺書とか書くよね。長友さんの場合は何か書いてロッカーの中に残しておかなかったの?」 「……」 「確か、お母さんに宛てた遺書があったって言ってたじゃない。秋山先生が」 代わりに康太が、記憶を辿りながら言うと美穂も頷く。 「そう、ママに宛ててお詫びのメモ書きを数行書いたと思う。私、発作的に自殺しちゃったから遺書といえるものはそれだけ……西山公園で上条さんにお金を奪われて……何もかもがイヤになって……」 嗚咽(おえつ)を堪(こら)えて絞り出すような声で、途切れ途切れになりながら美穂は言う。 母親が病に倒れて誰も頼れる大人がいない中、貧困にあえぐ女子中学生が新聞配達のアルバイトを必死に頑張って稼いだお金は、どんな高価なものよりも価値があったに違いない。 そんな命に代えても守らねばならない大切なものを奪われて絶望感に覆われてしまった美穂の心には、どんな言葉を掛けたところでただ虚しく響くだけに違いない。 それはあとの二人にも痛いほど理解できた。 康太は胸が熱くなって、目からは涙が今にも溢れそうになっている。 「じゃあ、今からもう一通、僕たちで作っちゃおうよ!」 一気に漂い始めた重苦しい雰囲気を取り払うべく、重人が敢えて明るく提案する。 「えっ、何を?」 残りの二人は何のことやら飲み込めないのか、ハモって訊く。 「だから、遺書だよ。学校に宛てて」 「そうか! その中で、長友さんが上条さゆりからのイジメを苦に自殺するって書けばいいんだね」 ようやく頭が回り出した康太が言う。 「それは、いい作戦かも……でも私、アルバイト代を受け取って販売店を出るときは、まだ自殺するなんて全く考えていなかったけれど……」 美穂はまだ、半分絵空事になってしまう遺書を書くことをためらっている。 「でも、本田さんに対するイジメをストップさせるためには、多少の嘘はやむを得ないんじゃない? そもそも、長友さんが言い出したんじゃなかったっけ? 本田さんを助けたいって」 頭がキレる重人は説得もうまい。本田しのぶの名前を持ち出すことで、ついに美穂も決心がついたようだ。 「わかった、書くわ。じゃあ康太君にお願い。これから私が言うとおりワープロで打ってくれる? ウチにはパソコンなんてなかったので、時々新聞販売店にあるのを使わせてもらっていたんだけれど、偶然ここのパソコンと同じメーカーの機種だから、きっと誰が見ても私が打った本物の遺書に見えるわね」 そう言ったところで美穂はまた表情が曇り、新たな難題を口にする。 「でも待って。本文の最後に私が手書きでサインしないと本物っぽくならないんじゃない?」 「確かにサインがないと、本人の遺書とは認めてもらえないよ。テレビで見たことがある」 康太も追随する。 「私、もうサインできないよ。どうするの?」 「それは康太君がやるしかないよ。長友さんの字体を真似て書けばいいんじゃないかな」 重人は冷静に言う。確かにそのとおりなのだけれど、康太の顔がやや青ざめてくる。 「オレにできるかな」 「大丈夫だって。康太君は今までも、山本重人として誰にも疑われずに生きているじゃないか。僕の字体をマネるのだって、立派なものだよ。だから、君ならきっとできる。もっと自信を持って!」 重人はこの方法しかないと考え、必死に康太を説得する。 「わかった、やるよ」 ようやく康太は重い腰を上げかけるが、まだ気になることが残っている。 「でも、字をマネるって言ったって、長友さんの字体の見本はどこにあるのさ?」 都営住宅の自宅に戻れば、学校で使っていたノートやメモ帳など美穂が書いたものはいくらでもある。しかし施錠されていて康太が入ることは不可能だ。ならば……とあれこれ考えていた美穂があることに気づく。 「そうだ、あったわ! 新聞販売店の私が使っていたロッカーのネームプレートよ。あれは私の手書きだった。間違いない」 美穂は、ジクソーパズルをやっと完成させたときのような安堵の表情になる。 「なら、簡単じゃない。ここで本文はワープロで作成して、最後のサインのところだけ、ロッカーのところで長友さんの字体をマネて書けばいいんだよ。ねえ、康太君」 重人が言うと、さも簡単そうに聞こえる。 「うん、それっきゃないな……」 康太は同調しながら先日観た映画のことを思い出す。「ミッション・インポッシブル」の中のアクションスターのように、この任務をカッコよくやり遂げられるだろうか? 一抹の不安が胸をよぎり、気付くと掌は汗でベットリ濡れている。 「大丈夫だって。僕たち幽霊がついているんだから、何があっても全力で助けてあげるよ」 重人はそう言ったものの、できることなんて限られていることは百も承知だ。 美穂と目を合わせて苦笑いする。 「そうだね。心強いよと言いたいところだけれど、おまえたちってオレにだけ聞こえる声を出すことしかできないよな」 嫌味には嫌味で返すうち、康太の表情から硬さが取れてくる。 それを見て重人がホッとした様子で、次の行動を促す。 「ではそろそろ康太君、ワープロを打ってくれないかな?」 康太は机上のノートパソコンのスイッチを入れて、ワープロを立ち上げ、白いディスプレーに美穂が言うとおり忠実に打ち込んでいく。 遺 書 私はこれまで、上条さゆりと廣瀬リコからのイジメに何度も苦しめられてきました。 今日もこれから、八月分のアルバイト代五万円を全額上条さゆりに渡さなければなりません。この五万円は、期末テストの英語の出題範囲を教えてもらう代わりに、無理やり「払う」ことを約束させられてしまったものです。 もっともそのときは母の病気の再発もなく、アルバイト代は七月と八月で十二万円ぐらいにはなると考えていましたし、高校入学後に奨学金をもらうためには悪い点数を取るわけにはいかなかったので、嫌々でしたが、「払う」と言ってしまいました。 ではなぜ、私は英語の出題範囲を聞き逃したのでしょうか? それは私が上条さゆりたちの罠にかかって体育の授業中に意識を失って保健室に運ばれたため、次の英語の授業に出席できなかったからです。 でも、母の病気の再発で予定は大きく狂いました。 アルバイト代は七月分の三万円と合わせて八万円にしかなりませんでした。 ですから、この五万円を渡すと、私は秋の修学旅行に参加できなくなってしまいます。これまで必死に頑張って新聞配達を続けてきたのに、その努力が無駄になってしまうのです。 上条さゆりには、冬休みにまたアルバイトをするつもりなので、それまで五万円の支払いを待って欲しいと頼みました。 でも全く聞く耳を持ってくれませんでした。 今日これから最後にもう一度頼んではみますが、もしダメなら、死ぬしかないと思っています。母の看病のこともあって、もう何もかもが嫌になってしまいました。 これ以上頑張れませんので、あの世に行くことをお許しください。 ごめんなさい。さようなら。 長友美穂 打ち終わった康太が、読み返して感想を言う。 「いいんじゃない。いかにも死ぬ直前に書いたって感じに読める」 「これがロッカーの中から見つかれば、絶対もう上条さんも逃げきれないだろうね」 重人も同感だ。 もともと文章力には多少自信のあった美穂であったが、いつも冷静で頭脳明晰な重人にまでお墨付きをもらえたことは素直に嬉しかった。 ただ若干煮え切らない気持ちが残ったのも事実だ。 これまで散々受けてきた陰湿なイジメについてもっと色々書いて、上条さゆりを極悪人に仕立て上げるべきではなかったか、と。
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