タイムリミット
第2章 新たな人生5−2

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 午前八時二十分になると先生が教壇に立ち、「お別れ会」が始まる。    「お別れ会」次第  一、開会の辞 担任  二、瀬川君への別れの言葉 クラス委員 山本重人  三、長友さんへの別れの言葉 クラス委員 上条さゆり  四、献花、手紙の回収 クラス全員  黒板に白チョークで書かれた文字を目で追いながら、自分の出番が二番目であることを確認した途端、康太は心臓の鼓動が早まり首筋にジワッと冷汗が一筋流れていることに気づいた。慣れないことをやらねばならないので、身体が拒否反応を示しているらしい。 〈あーあ、オレ、何を喋ればいいんだよ?〉 〈あれ、顔が引きつっているよ。何を緊張しているんだい?〉  重人が茶化す。 〈オレって、こういうかしこまった場で挨拶したことがないから、頭が真っ白になってきちまった〉 〈何言ってるの、君はもう山本重人なんだ。声も、身体も〉 〈そう言われてもな、いつものおまえのような立派な挨拶なんて出来っこない。しかも、オレ自身を送らなきゃならないなんて……〉 〈いや、大丈夫だって。野球の試合で言えば、一点差負けの九回裏ツーアウト満塁でバッターボックスに入るときより、はるかに楽な役じゃないかな。絶対に出来るんだって自信持ってみてよ。さっきの康太君自身へ宛てた手紙に少しずつ肉付けする感じで話せば、いかにも僕らしい挨拶になると思うけど〉 〈……なるほどな〉  重人の励ましとアドバイスで、いつの間にか康太の緊張はほぐれて、心臓の鼓動もいつものペースに戻っている。やれるんだ!という自信も芽生えてきた。  そのとき教壇では、先生が「開会の辞」の中で、康太が亡くなった状況について説明しているところだった。  重人の心の傷口に塩を塗るような話にならねば良いがと祈るような気持ちで聞いていたところ、先生は昨晩の電話での約束を守ってくれて、そもそものきっかけとなった重人の凡ミスには一切触れなかった。  ホッと胸を撫で下ろしながら斜め右前の席に座る本田しのぶに目を向けると、ハンカチで顔を覆い肩を震わせ、声を押し殺して泣き続けている。  しのぶがオレのことを好きだって言うのは本心なのかもしれない。  そう考えると、康太は居ても立ってもいられない気持ちになってくる。自分が死んでしまったことも忘れて、今すぐ彼女を抱きしめて「オレも好きだよ」と告白したくなる衝動にかられるが、必死に堪える。  続く長友美穂の話は衝撃的だった。  皮肉な偶然なのだけれど、康太が事故に遭ったのと同じ土曜日の午後七時半ごろ、区営住宅十階にある自宅のベランダから飛び降りたのだという。現場には争った形跡がない上、「何もかもが嫌になりました。ごめんなさい」という母親に宛てた短いメモ書きが残されていたことから警察は自殺と断定したらしい。  なお、美穂には入院中の母親しか家族がいないため、遺体は母親の妹、つまり美穂の叔母が引き取り、明日近親者だけで簡単な葬儀を行なうことになったそうだ。  先程重人から聞いた話を思い出した康太は、あんな頑張り屋が自殺するなんてよほどのことがあったに違いないと想像する。ほかのクラスメイトも思いは同じようなものだったらしく、あちこちから驚きのざわめきやすすり泣く声が聞こえてくる。  最後に先生は、「皆さんには、瀬川君、長友さんという二人の仲間がいたことをいつまでも忘れずにいてもらいたい。そして、彼らの分まで充実した人生を送れるよう頑張ってください。天国へ行った二人もきっとそう望んでいると思う」と締めた。  次第の二番目は「瀬川君への別れの言葉」。  いよいよクラス委員としての重人ならぬ康太の出番となる。  おもむろに立ち上がり、目の前の白菊を見つめながら、ゆっくりと慎重に話し始める。 「瀬川君、僕はまだ君が死んでしまったなんて信じられません」  ここで少々間を置き、さも悲しんでいるみたいに二、三度目鼻をすする。ほかのクラスメイトの反応を見たかったのだ。  すると、本田しのぶ以外にも結構な数の生徒が、特に女子が多かったようだが、ハンカチで目頭を押さえ始める。多くのクラスメイトが康太の死を悲しんでくれている。 〈康太君って、本当にモテモテだったみたいだね〉  横で肩をたたく真似事をしながら重人が、からかい気味に言う。 〈実感はなかったけどな〉  とは言ったものの、康太も悪い気はしない。  短い人生だったとはいえ、大好きな野球に存分に打ち込めたし、こんなに悲しんでくれる女子たちもいて、ある意味とても幸せ者だったのかもしれない。    再び話し始めると、気持ちが自ずと高揚してきたためか、手紙の文章以上に自分自身を褒め称える言葉が次から次へと湧き水のごとく口をついて出てくる。 「……幼なじみの君はスポーツマンで男らしくて女子のファンも多くて、僕は羨ましくもあり、尊敬もしていました。天国に行ってもそのノリで頑張ってくださいね」  そこまで話すと、数人の女子がしゃくりあげて泣き始める。  康太は横目でチラッと重人を見ながらテレパスでつぶやく。 〈いよいよ、クライマックスだな。ここはひとつ、これからお世話になる重人君にエールを送っとかなきゃ〉 〈えっ?〉 「最後に、天国の瀬川君に伝えたいことがあります。それは、野球部のレギュラー争いでライバルがひとりいなくなってしまってとても残念だということです。でも、安心してください。必ずや僕が四番センターのレギュラーをつかんで、五中野球部をもっともっと強いチームにしていきます。以上で別れのあいさつを終わります」  康太は静かに着席する。 〈ちょ、ちょっと待ってくれない、康太君。今のって、エールどころか、逆にプレッシャーだよ。第一、僕には元々そんな野球のセンスはないし……〉 〈任せとけって。今日から重人は文武両道だ!〉  鼻をこすりながら、康太は気恥ずかしげな笑みを浮かべる。  続いて次第の三番目。  一番廊下寄りの一番後ろの席で、女子のクラス委員である上条さゆりが艶やかなロングヘアーをなびかせて立ち上がる。  手には、今しがた自分で書いたばかりの手紙を持っている。  スラリと背が高く、細面で目鼻立ちも整ったさゆりの容姿は男子の目を惹きつけ、女子からも美しさという点で一目置かれた存在だ。その上勉強も出来る。一学期は中間テストも期末テストも重人とトップ争いをしていた。  さゆりの父親は地元で代々続く不動産会社を経営しており、この六月にはPTA会長にも就いた。つまり彼女は才色兼備である上に家柄も申し分ないお嬢様なのである。  ただ気になる噂もあった。性格がキツく、いつもお高く止まっているせいか、友達がほとんどいないというのだ。康太は席が離れていることもあり、彼女とはあまり話したことはなかったけれど、遠巻きに見ているとその噂は真実であるように思えた。  確かに友達と言えるのはいつも金魚のフンのように彼女とつるんでいる広瀬リコぐらいしか見当たらない。左隣の席は亡くなった美穂で、昔からの知り合いだったと先ほど重人は教えてくれたが、とてもそんな風には見えなかった。  時折美穂は前の席のリコからおちょくられたりイビられたり、結構な仕打ちを受けていたのに、そばでさゆりはいつも見て見ぬ振りを決め込んでいた。クラス委員なんだからやめさせなくていいのかよ、と無性に腹が立ったことが記憶の片隅に残っている。  上条さゆりは美穂の席に向かって一礼すると、持っていた手紙を読み上げ始める。  シーンと静まり返った教室に、やや低音の澄んだ声が響く。  「長友さん、あなたの突然の悲報に驚いています」と始まった別れのあいさつは、いかにも優等生の書いたものという感じでソツなくまとめられてはいるが、どうも感情がこもっていない。  何度か「悲しい」とか「気の毒な」といったこういう場にお決まりの形容詞も口にはするが、途中で康太のように言葉に詰まることもない。  形の良い口から抑揚のない言葉が淡々と発せられていくだけなので、教室内には何かシラけた雰囲気が漂い、ティッシュやハンカチが必要になる生徒はほとんどいなかった。  さゆりのあいさつは、二分ほどで終わる。 〈残念ながら誰の心にも響かなかったみたいだが……〉  横で退屈そうに欠伸の真似をしている重人を見つけ、康太は素直な感想を言う。 〈そうだね。山本重人君の話の方がはるかに感動的だった。ほかの人たちも同じ気持ちだと思うよ、きっと〉  察しの良い重人は、康太を持ち上げることを忘れない。 〈うん、まあな〉 〈きっと上条さんは長友さんが死んだことが少しも悲しくないんだよ〉  お褒めにあずかり悦に入っている康太に向かって、重人がふと感じたことを言う。 〈うん。本音じゃ、あんな女いなくなってせいせいしたって感じなのかもな〉  その後、クラス全員による「献花、手紙の回収」も滞りなく進み、「送る会」は約二十分で閉会となった。

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