タイムリミット
第1章 神様の手違い3−1

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 正面玄関からは、入れ替わり立ち代わり人が出入りしていた。  診察で来院した人たちに混じって、エプロン姿の女性が空のトレーを抱えて出て来たかと思えば、宅急便のおじさんが大きな段ボールを台車に乗せて運びこんでいく。  そんな様子をただボーッと眺めているうちに、康太は救急措置室で看護師が言っていたことを思い出した。  こうしていれば、いずれ両親もここを通るはずなのだ。  一目会って突然逝ってしまう親不孝を謝るべきかとも迷うが、もう声は届かないし、二人の慰みになることを何かしてあげられるわけでもない。ならばここで待たずに最後の時間をもっと有効に使おう。  そう腹を決めたところで、これと言って行きたい場所など思い付かない。  はてさて……。  あたりを見回すと、五十台分ほどの広い駐車スペースの先に正門。さらに道路を挟んだその先には、都内で屈指の広さを誇る東南公園がある。康太の馴染みの場所だ。  この公園のちょうどヘソにあたる部分は、中央の噴水を囲むように石畳が敷き詰められ、「噴水広場」と呼ばれている。  池の真ん中にそそり立つ黒い噴水柱は枯れ木をモチーフにしたモニュメントで、何本もの枝先から噴き出した水が様々な大きさの放物線を描いて白い飛沫(しぶき)をあげながら水面に溶け込んでいく涼しげで華やいだ情景は、見ているだけで気分を爽快にしてくれる。  そのほかにも、全面人工芝のサッカー兼野球場、流れるプールなどが並んだ「スポーツエリア」や「芝生広場」「わんぱく広場」などがあり、連日多くの人で賑わっている。  この中で康太が一番好きなのは、もちろん「わんぱく広場」。  様々な手作りの遊具が所狭しと設置され、子供たちは思い思いに、トレッキング、木登り、ローラーブレードなど好きな遊びを存分に楽しむことができる上に、外で遊べない雨の日も退屈しない。管理事務所を兼ねたバンガロー風の小屋に常駐している学生のボランティアが、ベーゴマとかメンコなど昔ながらの遊びの数々を手取り足取り優しく教えてくれたりしたものだった。  耳を澄ましてみると、流れるプールや「わんぱく広場」のあたりからは、猛暑をものともしない子供たちの笑い声や叫び声が時折響き渡ってくる。  できることならもう一度オレも、何の悩みもなかったあのガキの頃に戻って、ただただみんなと一緒に遊びまくりたいよぉ!   心の中で雄叫びを上げながら公園の方を眺めていると、信じられないことに――。  自分と同じ半透明の人間が、真正面の東ゲートから「噴水広場」へと続く通路沿いに並んだベンチにひとりポツンと座っているではないか。  最初は見間違いかと思ったが、そうではない。  白いワンピースを着た長い黒髪の少女だ。どこか寂しげな表情ではあるものの、その容姿はとても美しく、テレビでよく見かける人気女優にそっくりに見える。  こんなに早く幽霊に出会えるなんて……。   康太はいつの間にか無我夢中でその少女目掛けて駆け出していた。 「もしかして、テレビに出ている芸能人ですか?」  開口一番、康太はズバッと訊く。 「いいえ、 わたしは小林エリカ」  ならばと、いつもの口調に戻る。 「ふうん。でも、おまえもオレと同じ半透明だから幽霊なんだろ?」 「うん、そう」  エリカはふて腐れたような言い方をする。 「ところでさあ、何でおまえはあの女優にそっくりなんだい?」  不躾(ぶしつけ)にも、康太は名乗るのも忘れて訊き直す。 「え、あなたはまだ知らないのね?」 「何を?」 「幽霊って自由に思いのままに自分の姿を変えられるのよ」  そう言うが早いか、半透明のシルエットが瞬時に全くの別人になる。  肌の色は黒く唇は厚くなり、長く艶やかだった黒髪はチリチリのアフロヘアに。さらに着ているものも白のワンピースから紺色のセーラー服へと、まさにガラッと変わった。  口をポカンとあけたままの康太を意識しながら、エリカははにかんだような笑みを浮かべて話を続ける。 「ねえ、わかったでしょう。この姿が元々のわたし。幽霊って、こんなふうに自分の容姿も服装も自由に思いのままに変えられるのよ。だからわたしは、自分のあこがれだった女優さんの姿を真似ていただけのこと」  そう話すエリカの姿は、たちまち元の女優に戻る。 「へえ、それはいいや。幽霊の特権ってやつか。オレもやってみよう!」 「そうよ。ぜひ!」  瞬時に康太の姿は顔もかたちも、半透明ではあるが有名なメジャーリーガーに変わる。もちろんユニフォームも彼の所属する球団のものになっている。 「あ、あの選手ね。わたしも大好き!」 「もちろん、オレも」 「ところで、あなたはまだ自己紹介してくれていないわよね?」 「おっと、そうだった。オレは瀬川康太。よろしくな!」  康太は頭をかきながら名乗る。 「何年生?」 「中二」 「わたしと同じ歳じゃない。 あなた、五中の野球部なの?」 「何でさ?」 「さっき、あなたの着ていたユニフォームにそう書いてあったわ」 「そうか、よく見てたな。オレさあ、三中と練習試合をやっているところだったんだ」 「ふうん、そうなの。でも、何で死んじゃったわけ?」 「追いかけていたボールが正門から転がり出てしまって、それを拾いに道路に飛び出したら運悪く車に轢かれてしまったってわけさ」  康太はいつの間にか元の姿に戻っている。自分なぞがあのスーパースターの姿を真似るなんて、おこがまし過ぎるのではないかと気が引けたのだ。 「へえ、あなたが死んだのって、自殺じゃなかったのね」  エリカは意外そうな表情をする。 「残念でした。間違ってもオレは自殺なんてしない。でも、おまえは自殺したんだよな」  そう康太が断定できたのは天使の話を思い出したから。  エリカの場合、そのほかの理由で幽霊になった可能性はゼロと踏んだ。 「うん。この前の七月二十日、つまり一学期の修了式の日に、わたしが通っていた三中の屋上から飛び降り自殺しちゃったの」  辛い出来事であったはずなのに、エリカはあっさり認める。  ならば同情するよりこの場を盛り上げるのが先だ、と康太は考える。 「へえ、さぞかし痛かったろうな。お互いに死ぬときは痛い思いをしたってことか」  眼を合わせてひとしきり笑い合ったあと、いよいよ本題に入る。 「でも、どうして?」 「実はわたし、クラスでみんなからイジメを受けて……」  そこでエリカは口籠る。  それまでイジメる側からもイジメられる側からも無縁だった康太の中ではなかなかエリカの苦しみが理解できない。しかしそのとき、ふと思った。  どうせほかにやることが見つからないのだから、ここはエリカの身の上話にじっくり耳を傾けて、自分には無縁だった自殺という死に方について勉強してみようか。幽霊になって今さら勉強するっていうのも変な話ではあるが……と。 「もし良ければ、もっと詳しく話してみてくれない?」  しばらくの間俯いたまま逡巡していたエリカが、やがて重い口を開く。   「……実はわたし、パパが黒人のアメリカ人でママが日本人のハーフなの。でもさっきあなたも見たとおり、わたしって見た目は黒人でしょう? これって自分ではどうにもならないことなのに、中一で日本に来てからはクラスでイジメられてとても辛い思いをいっぱいして……ついにあの日、我慢が限界にきて自殺しちゃったの……」  話しているうちに、エリカの表情は次第に曇り声も涙声になる。 「そうなんだ! 確かにさっきのおまえは日本人には全く見えなかったよ」 「デリカシーのない人ね! 初対面の女の子に向かって、そんなにはっきり言うことないじゃないの」  康太の相槌に、エリカはむきになって言い返す。 「ごめん、ごめん。つい言いすぎてしまった。お互い幽霊同志、仲良くやろうな!」  康太は自分の非を素直に認めて謝罪しつつも、まだ肝心なことを訊いていないことに気付く。 「でもさあ、おまえ何で日本に来たのさ? ずっとアメリカにいれば、こんな不幸なことにはならなかったんと違う?」 「仕方なかったの。わたしだって日本になんて来たくなかったわ」 それまでよりもさらに悲しげな表情を浮かべてエリカは、日本に来ることになったいきさつを語る。  異文化に強い興味を抱いてUCLAに留学したエリカの母親は、同級生の黒人青年と恋に落ち、卒業と同時に結婚してエリカが生まれた。父親は空軍に入って戦闘機のパイロットになり、一家はロサンゼルス郊外の基地の近くで幸せに暮らしていた。  しかしエリカが小学校六年になったとき、父親がイラクで戦死するという予期せぬ悲劇に見舞われてしまう。  そうなると、それまで専業主婦として家庭を守っていた母親が、エリカと二人の生活のためには働かざるを得なくなる。しかし特技があるわけでもなく、通訳のアルバイト以外就業経験すらなかった彼女には、アメリカ国内での仕事がなかなか見つからなかった。  そんな折、日本の某テレビ局が日英同時通訳のできる正社員を募集していることを人づてに知る。藁をもすがる思いで受けたその採用試験に合格して、母娘二人は海を渡って日本に来ることになった。それが真相だった。  話を聞いているうちに、エリカへの同情の気持ちで康太の胸は一杯になっていた。  日頃から戦争の悲惨さについてはたびたび耳にしていたけれど、これまで身近な問題として捉えたことはなかった。だがアメリカには父親の戦死によって生活が一変してしまったエリカのような子供たちがまだたくさんいる。つくづく平和な日本に生まれた自分たちは恵まれていると感じた。  と同時に、それまで暇つぶし程度にしか考えていなかったエリカとの会話が自分の人間的(?)な成長のために、なぜかとても意味があることだと思えてきた。 「ところでさあ、おまえのウチってどこなの?」 「東南駅の近く。ママのお母さん、つまりわたしのオバアちゃんのウチなの。ほら、あの高い松の木の上に黄色いタワーマンションがチラッと見えるでしょう?」  エリカは東の方向を指差す。 「うん。あれは確か駅に隣接して最近できたばかりだよね」 「そう、エクザスタワー。北側には道路を挟んで明和川が流れていて、おばあちゃんのウチはその近くよ」  正確には駅を出て鉄道の高架下を北へ歩いて、明和川を渡ってすぐの道を右折して左側の二つ目の一軒家だという。 「黄色い外壁の二階建てで、『小林』と表札が出ているから、きっとすぐわかるわよ」 「それなら、オレでも行けそうだな」  土地勘のある康太は即座に答える。 「ウチにはおばあちゃんが飼っているオスのゴールデンレトリバーがいるのよ。ジョンって名前で、確か五歳。とても穏やかで優しい性格の子なの。わたしが学校で辛い目に遭(あ)ったときは、それがジョンにはわかるみたいで、ピタリと寄り添ってわたしの手とか顔とかをペロペロ舐めてくれて……」  エリカは懐かしそうに眼を細める。 「へえ、そうなんだ」  ジョンがエリカにとって特別な存在であることは康太にもわかったが、それよりも横道に逸れてしまった話を戻さねばと気付く。  最近のニュースから、中学生がイジメを苦に自殺するという痛ましい事件が相次いでいることは康太も知っているけれど、それがどんなイジメによってもたらされた悲劇なのか、これまでは知ろうとも思わなかった。

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