タイムリミット
第1章 神様の手違い1

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 この日は、午前九時半から区立第三中学校を迎えて練習試合が組まれている。  秋季大会を見据えて、両校とも、当然スターティングラインナップにはレギュラー当確組を並べるはずだ。  午前九時からの練習は、いつもどおりランニングでスタート。  バックネット裏の東門から出て、八百メートルある学校の周りを一周する。  部員全員が戻ってきたのを確認して、桐原監督はスターティングメンバーを発表。  康太は「五番レフト」で、重人は名前を呼ばれなかった。  しかしその直後、「七番センター」に指名されたばかりの佐藤幸雄がへなへなとその場にうずくまり、次の瞬間には仰向けにバタリと倒れてしまった。 「おい、どうした!」  慌てて駆け寄った監督が幸雄を抱き起こすと、意識はあり薄目を開ける。 「……昨夜部屋のクーラーが故障してしまって……暑くてほとんど眠れませんでした。それで朝起きたときから何となく身体が重たいような気はしていて……蒸し暑い中を走っているうちにだんだん頭がクラクラしてきて……」  監督が幸雄の額に手を当ててみると、熱がかなり高そうだ。  しかもこの猛暑の中、健康体なら走った直後には身体中から汗が噴き出してくるはずなのに、幸男の皮膚は顔も腕も乾いたまま。その上小刻みに震えてもいる。 「これは熱中症のなりかけに違いない。急いでクーラーで身体を冷やして水分を十分に摂りなさい。保健室まで自分で歩けるか?」 「はい。なんとか」  女子マネージャーの本田しのぶに付き添われた幸雄が保健室に向かうのを見送りながら、監督は「七番センター」の代役に重人を指名した。  試合はこれまでの実績から五中の楽勝かと思われた。  だが予想に反して互いに点を取り合う乱打戦となる。このうだるような暑さに加えて連日の練習の疲れが出たのだろうか、両投手ともポンポン打たれた。  五中のエース候補である今村和樹は、ボールにいつものキレがない。コントロールも定まらず、八回終了時点で先攻の三中から六点も奪われた。打線でノーヒットに抑えていたのは九番のピッチャーだけという無様な姿をさらしていた。  対する三中のピッチャーは変則フォームのアンダースローで、打ちにくそうには見えたのだが、こちらの出来も惨憺(さんたん)たるもの。いかんせん球速が遅かったため、後攻の五中も先発全員安打でここまで計七得点をあげ、クリーンアップの一角を任された康太は四打数三安打、打点二と大暴れ。重人の方も四打数一安打でその一本が三塁線を破る二塁打と、まずまずの出来だった。  最終回、九回表。  三中の攻撃を無得点に抑えれば、一点差で五中の勝利となる。  しかしピッチャー和樹の調子は一向に上がらない。  先頭の七番バッターにフォアボールを与えると、次の八番バッターにはサード前へボテボテの内野安打を打たれ、ノーアウトでランナー一、二塁とピンチが広がる。  ここで三中は、この日両チームを通じて唯一ノーヒットの九番ピッチャーに打順が回ってくる。彼はここまで三打席三振。ファールを二、三度打ちはしたものの一度もボールがフェアグラウンドに飛んでいなかった。  キャッチャーがタイムを取り内野手全員がマウンドに集まったところに、ベンチから一年生の伝令が駆け寄り監督からの指示を伝える。 「万一ヒットを打たれて二塁ランナーが生還しても同点どまりだから、ランナーは気にしないで思い切り投げろ! とのことです」 「了解。最後の力を振り絞って頑張るよ!」  和樹はベンチの監督に向かって、右手でVサインを送る。  プレーが再開され、三中のピッチャーが打席に。  一球目は外角低めのストレート。僅かにベースをかすめたようにも見えたが、バッターは見送り、判定は「ボール!」。二球目も真ん中低めにストレートを投げる。バッターはフルスイングするも、ボールはキャッチャーミットに。   これでカウントは「ワン・ボール、ワン・ストライク」。  振りかぶって投げた三球目は真ん中高めの甘いストレートになり、バッターはこの日初めてバットの芯でボールを捕らえ、センター方向へ大きく上がっていく。  このときセンターを守っていた重人は、明らかに動きがおかしかった。  どうせ打てやしないと思い込んでいたため、せいぜい内野フライだろうと決め付けて、全く守備体制に入ろうとしていなかった。  しばらくして、いやほんの数秒後に、康太をはじめとしたチームメイトの何人かが大声で叫ぶ。 「おーい、早く追いかけろよ!」  それでもなお重人は動かない。  ところが大空に舞いあがったボールは内野に落ちることなく、センター方向にかなりの勢いで伸びてくるではないか。  そこで初めて重人は自分が捕球しなければならないことに気付く。  だが、すでに時遅し。監督の指示でかなり浅めの守備位置をとっていたこともあって、ボールは重人のはるか後方に大きくバウンドしてなおも勢いよく転がっていく。 「いったい何なんだ? この馬鹿当たりは……」  ボールを追って慌てて駆け出した重人には、さらに試練が。  四、五歩走ったところでスプリンクラーの蓋に左足を取られてつまずき、バタンとその場に倒れ込んでしまう。 「いててっ!」  右膝を地面に強く打ち付けて、すぐには起き上れない。  その間三中は二塁ランナーが悠々とホームに帰り、逆転となる一塁ランナーも三塁ベースを蹴ったところだった。  何とかしなければ!   バックアップ体制をとっていたレフトの康太が俊足を飛ばして追いかける。  けれど、あと十メートルまで迫ったときボールは無情にも校庭を突き抜け校舎横の通路へ転がっていく。  その通路はアスファルト舗装でしかもなだらかな下り傾斜だったため、止まりかけていたボールに却って勢いがついてしまい、ついには正門の外へ出て、静止したところは歩道を通り越して車道の上だった。  やっと追いついた康太は、左右をちらっと見ただけで車道に飛び出して――。   バーン!  にぶい衝突音とともに、身体が宙を舞う。  次の瞬間には四~五メートル先の道路に叩き着けられていた。  生憎(あいにく)その片側一車線の道路は大きくS字にカーブしていたため、康太の姿は車のドライバーには見えにくかったのだ。 「痛い!」  康太はそこで意識を失う。頭が割れて、あたり一面がたちまち血の海となる。 「あー、何てことだ!」  頭を抱えながら運転席から降りてきた顔面蒼白の若い男性が、スマートフォンを取り出して救急車を呼んだ。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません