タイムリミット
第1章 神様の手違い4−1

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 一学期修了式の日。  エリカはすでに精神的に一杯一杯まで追い込まれていた。  それは明け方見た悪夢のせいもあったのだろう。  クラスメイトからの冷たい視線によって既にパンパンに膨らんでいたエリカの堪忍袋が、「勝手に被害者ぶっていれば?」という担任の冷たい一言でバーンと大きな音を立てて破裂して……。  どんなストーリーだったのかまでは覚えていなかったが、その部分だけははっきり脳裏に刻まれていて、折れかかった心には決定打とも言える一撃となった。  登校はしたものの、どう頑張っても平然と教室に居続けることなど出来そうもなかった。  真っ直ぐ保健室に向かうと、あいにく養護教諭は不在だったけれど、倒れるようにベッドに潜り込んだ。気持ちを落ち着かせようと瞼を閉じてはみたが、こみあげてくる悔しさと悲しさはなかなか収まらない。  クサいって罪なの?   何でみんなは無視するの?   もうどこかへ逃げ出してしまいたい!   心の中で繰り返し叫びながらシクシク泣き続けているうちに、前の晩あまりよく眠れなかったこともあって、うとうと寝込んでしまった。  すると夢枕に、大好きだった父親が立った。 「そんなに辛いのなら、もう我慢しないで天国へおいで!」  大きな川の向こう岸から、エリカを手招きしながら大声で叫んでいる。 「わかった。今行くから!」  感極まったエリカはそう返事をするが早いか走り出した……ところで目が覚めた。  だが実際にはエリカはなかなかベッドから抜け出せなかった。  たった今見た夢は果たして正夢なのか? いまひとつ確信が持てないのだ。  やっぱりこのまま、いつもどおり家に帰ろうか?   明日からは待ち遠しかった夏休みが始まり、四十日間はクラスの誰とも顔を合わせずに済むし、何より母親や祖母との楽しい時間が待っている。でも二学期が始まれば、きっとまた一学期の悪夢が繰り返される……と逡巡しているうち、また意識が遠のいていく。  ハッと我に返ったとき、エリカは一心不乱に校舎の内階段を駆け昇っていた。  屋上に着いたエリカの心には微塵の迷いもなかった。  最期の力を振り絞って自分の身長よりも高いネットフェンスを乗り越えると……その先に待っていたのは笑顔の父親なんかではなく、肉体を失っての新たな人生だった。  康太がポツリとひとこと。 「残念だったな。天国へ行けなくて」 「正夢と信じたわたしがバカだった。でももうすべてあとの祭り」  エリカは悲しがる風でもなく淡々とした口ぶりだ。  生きてイジメに苦しむよりは幽霊でいる方が楽なのかもしれない。 「まあ、確かに。オレら二人とも幽霊になっちまった現実を受け入れる以外ないものな」  半分慰めの気持ちを込めて康太が言うと、エリカはそれには反応せず話を変える。 「ねえ、康太君は車に轢かれて死んだんでしょう?」 「うん」 「じゃあ、さっき何で《光のリング》に入れなかったの?」  言われて康太は、ここからも峰岸さんの旅立ちが見えたのだと理解する。 「よくわからんけど、あの天使が言うには、こういうケースもあるらしい。いずれオレを担当する天使から連絡が来るから、それまで待つようにって、さ」 「うらやましいわ。わたしなんか、いつになったら天国へ行けることやら……」   ため息混じりにエリカがつぶやくのを聞いて、康太は天使から訊き忘れていたことを思い出した。 「何で自殺した人はすぐには天国へ行けないんだい?」 「そういうルールがあるって、天使が教えてくれたの」  実は、エリカも救急搬送された先は東南中央病院だった。  幽霊になったあと、病院内をふらふら歩き回って正面玄関を出たところで、天使がおばあさんの幽霊と《光のリング》の出現を待っているところに遭遇した。 すると、エリカが一人でいることに気づいたその天使が気の毒がって、少し時間があるからと、色々教えてくれたのだそうだ。 「だから、どんなルール?」 「自殺って自分を殺すことなので、神様から見れば罪になるそうなの。でもそれほど重罪ではないのね。それで地獄へは連れて行かれないけど、すぐには天国へ招いてもらえないっていうルールよ」 「じゃあ、いつになったら天国へ行けるの?」 「天国に行きたければ、【善行】をコツコツ続けなさいって。つまり人助けを積み重ねて、自殺の罪が帳消しになったと神様がお認めになった人だけ、天国へ招いてもらえるそうなの。でも実際はなかなか難しいらしい」 「……ということは、つまり永遠に幽霊のまま、ってこともあるんだね?」 「そう、むしろそういう幽霊の方が多いって」  あれだけ切望していたはずの天国行きなのに、エリカはすっかり諦めてしまったような言い方をする。  確かに、生きている人間と話をすることも触れ合うこともできない幽霊にとって、人助けをするというのはまるで雲をつかむような話ではないか。  とはいえ、本来、慈悲深い神様のことだ。全く自分に非がないにも関わらず自殺に追い込まれてしまったエリカのような善人のことをお見捨てになるはずはない。  きっと、何らかの救いの手を差し伸べてくれる。いや、くれたはず。康太はそう信じたい気持ちで一杯になる。 「あのさ、【善行】をするためのヒントか何か、教えてくれなかったの?」  康太は期待を込めて訊く。 「ヒントと言えるかどうかはともかく、少しだけ」 「どんなこと?」 「それがね、『人助けのための‘手足’を探しなさい』ってだけ」 「確かに、オレたちには半透明になっちまって役立たずの手足しかないけど、ほかにどんな‘手足’があるっていうんだ?」  もっとわかりやすいヒントをくれれば良いのに。天使ってちっとも親切でも慈悲深くもないんだな。  康太の中で沸々と怒りがこみ上げてくる。 「やっぱり、そんな話だけじゃさっぱり見当がつかないでしょう。わたしもそう思って食い下がっていたら……別れ際に、逆に注意されちゃったの」 「え、注意?」 「そう。早く天国に行きたいのなら自分の力で探しなさい。天使に頼って探した‘手足’を使って人助けをしたとしても、神様からあまり高い点数はもらえないから、なかなか自殺の罪が帳消しにならないよ、って」  やはり、天使はエリカを決して見捨てたわけではなかった。 「それで、何かあてはあるのかい?」 「わたしが思いついたことは一つだけ。ほかの幽霊を探し出すこと」 「なるほど。既に‘手足’が何なのか知っている幽霊がいるはずだって考えたんだな?」 「そういうこと」  遊園地、水族館、シネコン、好きなアイドルグループのコンサートなどなど、エリカは自分も楽しめて別の幽霊にも出会えそうな集客スポットを、まさに趣味と実益を兼ねてあちこち訪れた。  日本における自殺者は国の統計によれば毎年三万人、実際にはその何倍にも上るという民間調査機関のデータもある。実際、エリカは毎日のように、行く先々で幽霊を目撃した。 「それで、成果は?」 「まだ何も。たくさんの幽霊を見かけはしたけれど、みんなわたしが話し掛けようと近づくと逃げていってしまって……話ができたのは、実は康太君が初めてなの」 あまりにも意外な話に、康太は唖然とする。同時に、出会ったときの記憶が蘇り、矛盾を感じる。 「じゃあ、幽霊が姿を自由に変えられるってことは、何でわかったんだい?」 「それは偶然鏡に映っている自分を見ながら、もしもっと可愛い子に生まれていたらばな……って思ったら、思い通りになっただけ」 一瞬エリカの表情が和むが、すぐにまた硬い表情に戻る。 「そうなのか……それにしても、なぜみんなおまえと話をしたがらないんだろう……幽霊になって間がないオレにこの世を彷徨(さまよ)い続ける幽霊の気持ちなど分かるわけがないか……」  康太は弱い頭で考え込む。 「わたし思うんだけど……逃げてしまった幽霊って、‘手足’を探せたのかはともかく、天国行きを諦めてしまった人たちばかりなのかなって……」 「何でそう思うの?」 「わたしと話しているうちに、いったん天国行きを諦めた決心がグラついてしまうのが嫌で逃げたのよ、きっと。君子危うきに近寄らず、って言うじゃない」 「なるほど……仮にオレが永遠に、幽霊のままこの世を彷徨い続ける決心をしたとしたら、心穏やかに過ごしたいものな。当たらずといえども遠からずってとこじゃないの」  多少格好をつけて諺(ことわざ)には諺で応じた。国語の教科書にもどこかに載っていたはずだが、康太はつい先日見たバラエティ番組で覚えたばかりだった。 もし生きていたら、中二ともなればこの程度のことは学んでいなければ恥ずかしいのかもしれない。その意味では、勉強嫌いのオレは死んでしまってラッキーだった……なんて不謹慎なことを考えていると、エリカにもそれが伝わったのだろうか。 「そんなの絶対イヤ。わたしは決して天国行きを諦められない!」 「ということは、何か別の方法を思いついたのかい?」 「というか、ちょっと昨日の夜、進展があって……」

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません