タイムリミット
第3章 新たな出会い9

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 翌二十七日土曜日、午後四時五分前。  康太は東南大橋駅近くの本屋に行くと言って家を出ると、まっすぐ小走りで新聞販売店へと向かう。  いよいよ昨晩決めた作戦を実行に移すときがきた。  鉄筋コンクリート造り三階建ての建物は、一階が新聞販売店で二階が店主と奥さんの自宅、三階が住み込みで働いている従業員五名のアパートになっている。  康太が急ぎ足でたどり着いたとき、建物横の路地を入ったところに、待ちくたびれた様子の二人が腕組みをして立っていた。目が合うと、重人は康太を睨み返してくる。 〈康太君、五分遅刻だよ〉  重人は途中で美穂を誘って行くからと、重人より一五分ほど早く出掛けていた。 「ごめん、ごめん。ネットでメジャーリーグのニュースを読んでいたら、つい夢中になっちゃって出るのが遅れちゃった」  頭を掻きながら、思わず康太が声に出して詫びる。 〈声出しちゃダメだよ。急に誰かご近所の人が出てこないとも限らないし〉 〈わかった。二重にごめんよ。で早速だけど、今この建物の中には誰かいるの?〉  表情を引き締め直した康太がテレパスで訊く。 〈誰もいないよ。さっき、ちょうど奥さんも含めて全員が夕刊の配達に出かけて行ったばかりなんだ。その後念のために長友さんと手分けして、一階から三階まで全部の部屋の中をチェックしてきたところだから間違いない〉  康太が遅刻している間に、二人はきちんと役割をこなしてくれていた。 〈では次は、いよいよオレの出番だな〉 〈そうだよ、よろしくね。僕らはしっかり見張りをしているから〉  昨夜の打ち合わせどおり、従業員の顔を見知っている美穂が建物前の道路に立ち、重人は路地を入った先にある通用口の前で万一の場合に備えるのだ。  もし誰かが配達から戻ってくるという不測の事態が起きたなら、美穂が発見次第速やかに重人へ叫び声で知らせ、重人は通用口のドアをすり抜けて康太へ知らせる手筈になっている。  考えたくもない話だが、美穂が気付くのが遅れて建物から逃げるだけの時間的余裕がないときには、康太は美穂のロッカーの中に隠れるしかない。  康太は重人とともに通用口に向かう。  ドアノブ横の名刺大のボックスを開けるとテンキーになっている。昨夜美穂から教えてもらった四桁の番号を押すと、カチッとロックが外れる。中に入るとその先はまっすぐ突き当たりまで廊下が伸びており、その両側に二つずつ小部屋がある。  康太は左手前の従業員更衣室と書かれたドアを開ける。  六畳ほどの室内には奥の壁に沿って大きめの個人ロッカーがズラリと八台並んでおり、いずれも取っ手のところに三桁のナンバー錠が付けられしっかり施錠されている。  向かって左から二番目が美穂のロッカーだ。  康太はその前に立ち、手筈どおりテキパキと作業に取り掛かる。  ポケットから昨夜プリントアウトした遺書と黒色のボールペンを取り出して、扉のネームプレートに手書きされた文字をマネて本文の末尾にサインを書いていく。美穂の字は女性らしい柔らかな丸文字に近い字体で、康太はすぐにクセを飲み込み、予定より短時間で書き上げた。  次はナンバー錠の開錠だ。  逆三角マークのところで記憶どおり数字を揃えると、難なくロックが外れる。  若い女性のプライバシーを覗くというだけでいやらしい期待に胸を膨らませてしまう自分を恥じながら扉を開ける。だが、美穂の言葉に嘘はなかった。取り外し可能な仕切り板で三段に別れたロッカーの中はどの段もスカスカで、康太の眼の毒になるようなものは何一つ入っていない。  仕切り板さえ外せば、確かに人が一人隠れられるぐらいの大きさがあり、中央の段には、ハンガーに合羽型のレインコートが架けられているほかは、下にハンドタオルが二枚きちんと畳んで置かれているだけだった。  康太は四つ折りにした遺書をその上にそっと置いた。  二十九日月曜日の放課後。  約束どおり新聞販売店を訪ねた秋山先生は、美穂の遺書を発見する。  誰に宛てたものかは不明だったものの、予想を超えて衝撃的な内容だった。  美穂がさゆりたちからのイジメに苦しんでいたということは、それに全く気づけなかったこと自体、担任として失格の烙印を押されたも同じに思えた。  しかも西山公園での本田しのぶの目撃情報が真実であることが明らかになった。  何かにつけて口うるさいPTA会長の娘ということで、自分は判断ミスを犯してしまったのだ。  さゆりが主張したように父親からのお見舞金だったとしたら、茶封筒ではなく、のし袋に入れるのが常識ではないか。  今更ながら冷静さを欠いてしまっていた自分につくづく腹がたった。  報告を受けた学校側は迅速に対応する。  その日のうちに急遽PTA会長の上条氏を呼び出して、部活で残っていたさゆりと親子二人に対する事情聴取が校長室で行われることに。  もちろんその場には、重人と美穂も駆けつけている。  校長先生から美穂の遺書を突きつけられても、上条氏は憮然としたまま一言も発しない。  しかし、もはや逃げられないと悟ったのか、さゆりがあっさり折れた。  リコを手足のように使って行った美穂に対するイジメの数々を白状し、その動機についても、父親と美穂の母親の不倫が原因で家庭が崩壊してしまい、美穂が憎かったからだと本音をぶちまけた。  そこまで暴露されてしまうとさすがのプライド高き上条氏も、本田しのぶからの目撃情報の件で自分が娘の嘘の片棒を担いだことを渋々認めざるを得なくなった。 その後聴取はリコが処分保留となっている窃盗未遂の件に移る。  教頭先生が、リコから没収した二つの暗証番号の書かれた紙切れを示して、「これは君が書いたものだね?」と訊くと、さゆりは素直に頷き、「学校に告げ口した本田しのぶに窃盗の罪を着せるつもりでした」と自供した。  さらに余罪を追及すると、それ以前にも四回リコを使って本田しのぶに対する陰湿なイジメを仕掛けて、そのうち二回は未遂に終わったことも素直に認めた。  事情聴取を終えた上条親子が項垂れたまま校長室から退出しようとしたまさにそのとき、重人が目にしたものは――。  さゆりの身体からほぼ透明に近い大きな真っ黒い鳥が静かに抜け出して、あっという間に天井を突き抜けて飛び去っていった。  それは、さゆりから邪悪なモノが離れた瞬間だった。  あのとき推理したとおり、さゆりの身体にはこの世のものではない邪悪なモノが取り憑いていたのだと重人は確信する。  恐らく地獄へ戻っていったのだろう。  もっとも、その真偽の程はわからないが。  翌三十日火曜日の放課後。  臨時の職員会議が開かれる。  議題はもちろん、上条さゆりと廣瀬リコの処分について。  さゆりに関しては、父親からの申し出どおり、母親の実家がある岡山市内の私立中学校への転校が十月一日付けで認められ、五中での出席停止処分は見送りに。  ただしその代わり、転校前に長友美穂の母親と本田しのぶに宛てて、それぞれ原稿用紙十枚以上の謝罪文を書かせることとなる。  一方、廣瀬リコに対しては、美穂のみならずしのぶへのイジメにまで加担した事実が明らかになったことで、教師からは厳しい意見が相次ぎ、結局、再度一週間の出席停止を言い渡すとともに、区立第四中学校への転校という厳しい処分が決まる。  その日の夕方、職員会議を傍聴していた重人と美穂が家路に着こうとした矢先、美穂にサプライズが――。  ちょうど校門を出た二人の前に、何の前触れもなく、若い女性の天使がパッと現れ、程なく虹色に輝く《光のリング》も出現する。 「長友美穂さん、天国へようこそ! お迎えにあがりました。さあ、どうぞ」  溢(あふ)れんばかりの笑顔になった美穂が、重人に手を振りながら霧の中に入っていくと、あっという間にその姿は見えなくなる。  次は天使の番……。  呆気に取られている重人を見て、いきなり天使が話しかけてくる。 「上条さゆりさんから悪魔が抜けて良かったですね。私たち天使でも、一度人間に取り憑いてしまった悪魔を引き剥がすことはできませんが、その本人が自らの意思で悔い改めると、悪魔は諦めて立ち去っていくのです」 「へえ、あの邪悪なモノは悪魔だったのですね」  重人も薄々はそう考えていたが、頼まずとも天使は正解を教えてくれる。  やはり康太から聞かされたとおり、天使には幽霊の考えていることなど筒抜けのようだ。  霧の中に消える瞬間、天使はこう言い残した。 「この調子で頑張ってください。あなたにはまだ救うべき人がいるのですから」 「はい」  重人は力強く言う。残されて悔しいなどとは全く思わなかった。  成績優秀で常に冷静な判断ができる重人は、即座に自分がやり残していることに思い至ったからだ。  そう、康太をできるだけ早く一人前の重人に仕上げなくては。

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