タイムリミット
第1章 神様の手違い3−2

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 でも、ここは乗りかかった船。深掘りしてみよう。 「おまえが受けた酷いイジメって、ちょっとオレには想像できないんだけど」 「確かにそうかもね。こういう苦しみって、被害者本人にしかわからないものよ」 「いやとにかく、まずはおまえの話を聞いてみないと。もしイヤでなかったら、詳しく話してみてくれないかな?」  それが生半可な気持ちからの頼みでないことは、康太の真剣な眼差しが物語っている。 「わかった。わたしが自殺するまでの辛い思い出を話してあげる」 「サンキュー!」 「でも、あなたがそうやって立ちっぱなしだと、落ち着いて話ができないわ。幽霊だってそんなに長く立ちっぱなしでは疲れるんじゃない?」 「いや、ちっとも疲れはしないよ」 「そうなの? でもあなたに立っていられると何となく話しづらくて」 エリカは自分が腰掛けているベンチの隣を康太に勧める。 「オッケー」  康太は素直に従う。 「東京って、白人は結構たくさん住んでいるのに黒人はあまり見かけないでしょ? だからわたし、学校でみんなから好奇の目で見られたの」 「確かにうちの学校におまえが入ったとしても、そうだったと思うよ。でも、おまえが黒人に見えるってことだけで、みんなからイジメられたっていうのかい? そんな人種差別は日本ではないはずだけど」 「もちろん、そうじゃないわ」 「じゃあ、もしかして、日本語がうまく話せなかったとか?」 「いいえ。わたし、ママとの会話は生まれたときからずっと日本語だったので、言葉には全く不自由しなかった。学校でも最初のうちは、みんなアメリカでの暮らしのこととか色々聞きたがって、人気者だったのよ。何人か親しい友達もできて……ところがあるときから、そう、ちょうど去年の七月の初めのとても蒸し暑い日に……」  よほど思い出したくない出来事だったのか、エリカはそこで口籠(ごも)る。 「ねえ、一体何があったのさ?」  康太は遠慮がちに先を促す。 「……あれは体育のあとみんなで着替えているときだった。その日の授業は五キロ走。わたしが汗でびっしょりになった首回りや脇の下をバスタオルで拭いていたら、突然、部屋中がクサいクサいと何人かの子たちが騒ぎ出して、そのにおいのもとがわたしだと誰かが言い始めたの」         そこまで話したところで、エリカは両手で顔を覆いシクシク泣き始める。  その様子を見ているうちに、康太はつい先日テレビの情報番組で体臭についてとりあげていたことを思い出した。 「そのクサい汗のにおいってさあ、もしかしてワキガなんじゃないか?」 「そうだと思う。あなた、ワキガのこと知っていたの?」 「うん。偶然この前テレビで見た。脇の下から出てくる汗って、ワキガというクサいにおいの元になる成分を含んでいる体質の人と、そうじゃない体質の人がいるんだって。オレは幸いワキガじゃないけどさ」 「日本人とか黄色人種には、ワキガの人って少ないのよ。十人に一人ぐらいだって」 「よく知っているな」 「だって、わたしにとって自分の汗がクサいというのは切実な問題だったから、ワキガについて図書館でいろいろ調べてみた」  エリカの話によると、黒人と白人は程度の差こそあれ、ほとんどの人にワキガがある。そのため、欧米諸国ではワキガは体臭の一部と捉えられており、生理現象なので余り悩む人がいないそうだ。 「じゃあ、おまえのワキガは体質でどうしようもないことなのだから、開き直るしかないんじゃないか?」 「そんなわけにはいかない。わたしはただのか弱い女の子なのよ」  エリカは泣き止むどころか、肩を震わせて嗚咽し始める。 「悪かった、無茶なことを言って。ごめん」  康太はそっとエリカの肩を撫でながら(実際には撫でているつもりで)、彼女の気持ちが落ち着くのを待つ。 「わたしこそ、ごめんなさい。もう涙なんて一滴だって出てこないのに、カッコ悪いだけだよね!」  しばらくしてエリカは、康太に向かって白い歯を見せてぎこちない笑みを浮かべる。 「じゃあ、御機嫌が直ったところでさっきの続きを聴かせて?」 「いいわ。でも、どこまで話したかしら?」 「体育のあと、着換えの最中に騒ぎになったところだよ」 「そうだった。それがきっかけになってクラスの中でわたしへのイジメが始まった。黒人ってクサいんだって噂があっという間に広まって、仲の良かった友達もみんな離れていってしまったの。わたしの周りをかぎまわりながら、クサいクサいと大げさに騒ぐ男子まで出てきて……二学期になってからは、朝登校すると、クラス全員からまるで汚いものでも見るかのような視線が向けられている気がしてきて……」  エリカはそこでまた言葉に詰まる。 「担任の先生には相談しなかったの?」  一人抱え込まずに、そうすべきだと康太は思う。 「担任は二十五歳ぐらいの若い男の先生だった。こういうデリケートな問題って、年頃の女の子としては恥ずかしくってとても相談なんてできなかった」 「そうかい? オレには、こうして話してくれているじゃないか」 「それは、わたしたちが幽霊同志だから。もう死んじゃったら、恥ずかしいも何もないでしょう」  硬い表情のままだったエリカからも、若干笑みが漏れる。 「じゃあ、ママとかには?」 「心配掛けたくなかったから、何も話していない。ウチでは苦しい胸の内を悟られないように元気に振舞っていたし」 「ということは、ただひたすら耐え続けていたってこと?」 「いいえ。自分でも何とか状況を変えようと努力はした。お小遣いで消臭効果が高い制汗剤を買って、毎朝登校前に脇の下にたっぷり塗るようにしたの」 「へえ。それならもう周りを気にしなくてもいいじゃない?」 「でも、自分のにおいって自分ではよくわからないから、もうクサくないんだっていう自信が持てなくて……」 「え、どういうこと? もっとわかりやすく言って!」  抽象的でまわりくどい説明に、康太は思わず語気を強める。 「みんながまだわたしのことをクサいと噂しているんじゃないかっていう、不安と恐怖の入り混じった気持ちをどうやっても消し去ることが出来なかった。そうなると、もう自分の席に座るのさえ辛くなってしまって、授業に出られずに保健室で寝ている時間がだんだん増えていったの」  エリカは両手をきつく握り締めながら涙声で続ける。 「そんなある日保健室で、それまでただ黙って見守ってくれていた養護の先生が、『良かったら授業に出られない理由を話してみない?』って訊いてくれた」 「へえ、養護の先生も見るに見兼ねたってわけだな」 「きっと、そうね」 「それで、話すことは出来たの?」 「ええ、そのとき初めて。勇気を振り絞って話し始めたら、ずっと心に溜めこんでいた言葉が次から次から出てくる感じで……結構いろいろ話せた」 「そりゃ良かったじゃん」 「そうね。先生は真剣に聞いてくれたし、わたしも話したことで、胸のつかえみたいなものがスッと取れた気がした」 「先生の方からは?」 「わたしに鼻を近づけてクンクン嗅いでから、『制汗剤がとてもよく効いているわよ。自信を持ちなさい!』って、わたしの目をじっと見つめて言ってくれた」  話すうちにエリカの顔つきが和らいでくる。そのときの養護教諭とのやり取りは、エリカにとって数少ない生前の良い思い出の一つなのだ。 「それで少しは自信が取り戻せたんじゃない?」  そう訊きながら、康太も今ひとつ確信は持てていない。 「うん、確かに。実際それからは、頑張って少しずつ授業に出る回数も増やしていった」 「おまえはただ負け犬だったわけじゃない。一度は勇気を振り絞ってイジメに立ち向かったってことだね」 「まあ、そういうことになるかな」  エリカは、はにかんだような笑みを浮かべる。 「それにね、二年生になってクラス替えがあったからクラスメイトもかなり変わって、今度の担任の先生は中年の女性だったし、少しは学校の居心地がよくなるかもって期待したのに……」  そこでエリカはまた表情を曇らせる。 「人生はなかなか思いどおりにならなかったってことだな」  康太は思わず口を挟む。 「残念ながらそのとおり。一年生のときの噂は依然として尾を引きづっていて、わたしは新しいクラスに馴染もうと努力したのに、結局ひとりも友達ができなかった」 「それでまた頑張れなくなってしまったの?」 「結局はそういうことになるかな。でもね、一学期の最初は頑張って授業に休まず出て、クラスの活動にも参加していたのよ。もう誰も面と向かってクサいとからかったりはしなかったし……なのに、今度はわたし、クラスの中で『いないもの』にされて……」 「どういうこと?」 「五月になると、わたしが話し掛けても誰も返事してくれなくなって、みんなから完全に無視された。つまり、目に見えない空気みたいに扱われるようになったの」  康太は以前、そんな映画を観たことがあった。  確かその話の中では担任教師がクラス全員の悪だくみを暴いて、被害者の生徒を助けたはずだったけど……と記憶している。 「それはひどいな。担任の先生は助けてくれなかったのか?」 「ええ、先生には相談したけれど全然親身になってくれなかった。クラス委員からは完全否定されたとかで、友達同士の付き合い方にまで教師が関与できないって言われて、その後は知らんぷりを決め込んだままだった」 「なるほど。それって、最も陰湿な集団イジメだな」  オレがエリカだとしても、クラスのみんなから完全にシカトされて、その上担任がそんなダメなヤツじゃ頑張り続けられなかったかもしれない。さすがのオレもそこまで強くはない、と康太は思う。 「……それでもわたし、しばらくの間は頑張れた。保健室に行きさえすれば、優しい養護の先生が話を聴いて励ましてくれたから」 「でもその頑張りにも限界がきて、ついに自殺しちゃったんだね?」 「多分そういうことね」

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