タイムリミット
第2章 新たな人生5−1

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 午前七時五十分、康太は学校に到着。  西棟二階にある二年三組の教室は入口の引き戸が前も後ろも開いているが、どうしたわけかシーンと静まり返っている。 〈まだ誰も来ていないのかな? そんなはずはないか……〉  ピタッと隣を歩いている重人がテレパスで自問自答する。 〈うん……〉  康太が前の入口から中を覗くと、既に八割方の生徒が着席していた。  皆、手に黒色のボールペンを持って白い便箋に何やら書いている。  座り慣れた一番窓辺の後ろから二番目の席は、机上に白菊が一輪、花瓶代わりのペットボトルに差して置いてある。もう一人の主役である長友美穂の席は?と廊下側から二列目の一番後ろの席を見ると、同じように一輪の白菊を机に置き終えた秋山先生と目が合う。 「先生、おはようございます」 「おう、山本君、おはよう」  元気そうな重人の様子を見てホッとしたのか、先生は嬉しそうな顔で続ける。 「『瀬川君と長友さんのお別れ会』は八時二十分からだよ。それまでに瀬川君と長友さんの二人に宛てて、それぞれ便箋一枚以内で『お別れの手紙』を書いてくれるかな。私がクラス全員分の手紙をまとめて二人のご家族にお届けするから。便箋は教卓の上に置いてあるのを二枚破って使ってね」  康太は二枚の便箋を手に持って、迷わず一番窓辺の一番後ろの席に座る。そこはもちろん重人の席だ。すぐ目の前には白菊のペットボトルが置かれた自分の机がある。教室内を見回すと、先生が登校してきた生徒に先程と同じ指示を繰り返している。 〈……まずは長友美穂への手紙を書こうかな……とは言ってもオレ、あの子のことあまり知らないんだ〉  筆箱から取り出した黒色のボールペンを手に持ったものの、康太は何を書いたら良いか全く何も思い浮かばない。 〈僕もそれほど詳しいわけじゃないけど、確かお父さんは数年前に病気で亡くなって、お母さんと二人暮らしのはずだよ〉  そんな情報だけでは何も書けないのは明らかだ。康太はとりあえず、過去の記憶を辿ってみる。 〈そう言えば一学期の修了式の日、ホームルームで秋山先生がおかしなことを言っていたよな。『夏休み中のアルバイトは基本的に禁止。ただし、どうしてもやりたい特別な事情がある場合には、事前に学校に相談して許可を得るように』って。そこまでは、中学生なんだから当然のことだと思って聞いていたけど……その後、『念のために言っておくと、すでにある生徒には夏休み期間中新聞配達のアルバイトを許可してある』って言い足したものだから、教室中がワイワイガヤガヤと大騒ぎになった。覚えているだろ?〉 〈うん……〉 〈その生徒って長友さんのことだったんじゃない? クラスの大方の意見はそうだったと記憶している〉 〈え……そうだったっけ……〉  優等生の重人がとぼけた歯切れの悪い言い方をするときは、決まって何か隠しているのだと、付き合いの長い康太にはわかる。 〈もしかしておまえ、何か知っているんだろ?〉 〈……実は七月の初めに、クラス委員の僕と上条さんが秋山先生から呼ばれて意見を求められたんだ〉 〈何について?〉 〈夏休み期間中、長友さんに新聞配達のアルバイトを特別に許可したんだけれど、クラスのみんなには黙っていた方がいいかな? って〉  長友美穂のプライバシーに属する話をすることにためらいを覚えた重人であったが、これからクラス委員の役を担わねばならない康太のためと腹を括ったのだろう。促さずとも話し続ける。 〈実は彼女のお母さん、春先に胃ガンの手術を受けて、その後も通院で放射線治療を続けているので働きには出られない。それで家計が苦しいんだろうね。この秋の修学旅行の積立金もまだ五万円未払いなんだって。でも長友さんは修学旅行にはどうしても参加したいので、夏休み中に新聞配達のアルバイトを認めて欲しいと秋山先生にお願いに来たらしいよ〉  そもそも先生は教師として、たとえ相手がクラス委員であっても、自分から生徒の個人情報を話しちゃいけないんじゃなかったのか。  正義感の強い康太は違和感を禁じ得なかった。とはいえ、もはや重人の身体の住人になってしまっている以上自分の考え方に固執しても虚しいだけだ。優等生である重人の考え方を訊き、それを受け入れるしかない。 〈それで、おまえは何て答えたの?〉 〈新聞配達のアルバイトを許可した生徒がいることはクラス全員に話してください。でも長友さんが恥ずかしい思いをしないで済むように彼女の名前は絶対に伏せてください、と頼んだ〉 〈何で?〉 〈だって、夏休みの間長友さんが毎日朝と夕方に新聞を配っていれば、絶対にクラスの誰かに見つかると思うんだ。だからあらかじめ秋山先生がある程度のことを話しておいてくれないと、学校のルール違反だと大騒ぎになるかもしれないよね〉 〈なるほどな〉  さすが優等生は論理的に考えるなと康太は内心では感心したものの、それは口には出さずに、もう一つ気になっていたことを訊いてみる。 〈ねえ、そのとき上条さゆりの反応はどんな感じだったの?〉 〈特段、僕の考えに反対はしなかったけど……〉 〈けど……、何か言ったの?〉 〈うん。長友さんのお母さんは、十年以上前からこの五月末に退職するまでずっと上条さんのお父さんが経営する不動産会社で事務の仕事をしていたんだって。それで上条さんも長友さんのことを昔から知っていて、母子家庭だし、ずっと心配していたらしい。だからあのとき、上条さんは嬉しそうに秋山先生にお礼を言った。長友さんのアルバイトを認めてくださって本当にありがとうございます、って〉 〈ふうん、彼女そんなことを〉  美女には違いないがどこか冷たい雰囲気のする上条さゆりに、そんな温かく優しい気持ちがあったとは。人は見かけじゃわからないものだなと康太は感心しつつも、在りし日の長友美穂の笑顔を思い出して切ない気持ちで一杯になる。 〈長友さんってパッチリ二重でとても可愛いのに、物静かで控え目で……みんなとワイワイ騒いだりしなかったよね。親しい友達はいなかったのかな。時々前の席の廣瀬リコからイジられているところ見たような気はするけど……可哀想に、随分苦労していたんだね。オレはどう動けば良かったのかな……よし、そのセンで書こう〉  康太は、鞄から取り出した宿題の作文を横に置いて、便箋にペンを走らせる。 重人の字体を真似るためだ。  長友さん、もう会えないのかと思うと切なく悲しい気持ちで一杯になります。  お母さんの病気をきっかけに、あなたは普通の中学生以上に様々な苦労をしていたのですね。クラス委員として、あなたを助けるために何かできることはなかったのか? 色々考えてみましたが、答えは出ていません。  天国ではこの世での辛かったことを全て忘れて、安らかにお休みください。                                さようなら 〈字体も僕が書いたように見えるし、いいんじゃないの。あの子、僕のタイプってわけじゃなかったけれど、僕が書いてもそんな感じになると思うよ〉  覗き込むようにして読んでいた重人が素直に褒めてくれる。 〈ありがとよ。でも自殺したあの子はおまえと同じように、まだ天国へは行けずにこの世を彷徨っているはずなんだけどな〉  康太が溜息混じりにつぶやく。  そのとき黒板の上の時計は、すでに午前八時十分を回っていた。 〈あっ、ヤバ! あと十分しかないよ。急がなくちゃ! でも、オレは自分自身宛てに何を書けばいいんだ? 重人として……〉  康太が助けを求めて重人を探すと、彼は斜め右前の、つまり康太の席の右隣に座る本田しのぶの手元を覗いている。彼女が書いた手紙の文面を盗み見ているようだ。  野球部でマネージャーをしているしのぶは笑うとエクボができる明るくチャーミングな女の子で、野球部員のみならず多くの男子から結構人気がある。席が隣同士ということもあって、硬派で奥手の康太にとっても少しは気になる存在だった。 〈僕、知らなかったよ〉  戻ってきた重人が、憎たらしい笑みを浮かべている。 〈なんだよ、藪(やぶ)から棒(ぼう)に〉 〈僕の憧れのしのぶちゃんは、康太君が好きだったんだって。手紙にそんなふうなことが書いてあった〉  重人が悔しそうに言う。 〈そんなこと、いきなり言われてもなあ……でも、向こうがその気だって知っていたら、オレが迫ればキスの一回ぐらいさせてくれたかもしれないな。貴重な情報、ありがとよ〉  照れ隠しに頭を掻きながら康太は再びボールペンを握り、脳裏に浮かんだ文面を便箋に書き綴っていく。  瀬川君、生まれたときから兄弟のようにいつも一緒に過ごしてきた君は、僕にとってかけがえのない存在でした。勉強はあまり好きではなかったけれど、スポーツ万能で女子にモテモテでちょっと妬ましく思ったこともありました。  それが小学校高学年のとき一時疎遠になってしまい、とても悲しく残念でした。でも中学生になってからは、同じ野球部で再び昔のように仲良くできてとても嬉しかったです。  君を失ってポッカリ空いた心の空白はそう簡単には埋まりそうもありませんが、これからは君の分まで精一杯頑張りますので、天国からしっかり見守っていてくださいね。                       さようなら 〈ちっと褒めすぎじゃない? そんなにモテモテだったっけ?〉  重人が冷やかしてくる。 〈優等生でクラス委員のおまえなら、死んでしまったオレにお世辞の一つぐらいは言ってくれるだろうと思ってな〉  康太はムキになって言い返す。 〈なるほど、康太君の言うことにも一理あるね……けど僕だったらもっと君を持ち上げて、『優秀で』とも付け加えてあげるよ〉  重人が皮肉混じりに言うと、〈さすがにオレみたいなバカが、自分のことをそこまでは書けなかったよ〉と康太は恥ずかしそうにつぶやく。

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