タイムリミット
第3章 新たな出会い7−1

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 二十六日金曜日の三限目。  国語の授業中、リコは今回も腹痛を訴えて保健室へ行く許可を得る。  秋山先生もほかのクラスメイトも、心配そうに見送ってくれた。嘘を見抜かれぬよう、リコなりに万全を期したつもりだったので、ここまでは上手くいっていることにホッとする。  その前日からまだ食べられるのに給食を残したり、休み時間に机に突っ伏して気分悪そうにしていたり、何度か演技をしていたことが功を奏したのだろう。  午前十一時半から始まる四限目は、南棟二階の調理教室で家庭科の実習だ。  腕時計でその三分前になったのを確認して、いよいよ行動開始――。  養護の先生に体調が戻ったので授業に戻るからと嘘を言って保健室を出ると、まず向かう先は南棟ではなく同じ西棟二階の女子トイレ。  階段を登る途中、まだ授業開始前とあってほかのクラスの顔見知りとすれ違う。しかし気に留められた気配はない。  チャイムが鳴ると同時に、誰にも見咎められずにトイレの個室に無事滑り込む。  さゆりがどこで得た情報かはわからないけれど、用務員さんや四限目の授業がない先生たちは昼休みが始まる昼の十二時二十分よりも三十分早く給食を食べ始めることになっているのだそうだ。  だから絶対に失敗が許されない今回は、誰かに発見されるリスクを極力抑えるため、先生が利用することのないこのトイレで、ただじっとして二十分間経過するのを待つほかない。こういうときの腕時計の秒針の動きはとてつもなくゆっくりに感じられる。  午前十一時五十分になると、トイレを出て廊下を右に進む。  二部屋先の二年三組の教室は入口の引き戸が前も後ろも閉じられていたが、南棟の特別教室への移動の際には通常施錠はしない。後ろの戸の取っ手を軽く引くと、音も立てずにスーと開く。ここまでは予定どおりだ。  もし二週間前、教頭先生に鍵をこじ開けたことまで白状していたら施錠されていたかもしれない。今日はツキも味方してくれている。そう信じたかった。  教室へ入ると、一番窓辺の列の前から三番目、森山みどりの席へ向かう。  貴重品は廊下の個人ロッカーに保管すべしという五中推奨のルールがある以上、さゆりの指示どおりロッカーに直行すべきところではあった。でも転校してきたばかりの生徒ならそのルールをまだ知らないかもしれないと考えたのだ。  みどりのスクールバッグのファスナーが施錠されていないことは登校したときに確認してある。ダメ元のつもりでファスナーを開けて中をまさぐってみると、残念ながら封筒は見つからない。  となれば、ここからはさゆりの指示どおり動くほかはない。  リコはスカートのポケットに忍ばせておいた小さな紙切れを取り出す。  そのころ調理教室では、八つのテーブルに分かれてハンバーグ作りが始まっていた。  康太は自ら玉ねぎをみじん切りにする役を買って出る。  まな板の上に乗せた玉ねぎに包丁を二度、三度トントンと落としたとき、半透明の重人が覗き込むようにしてテレパスで話し掛けてくる。 〈康太君、そろそろいいんじゃない?〉 〈わかった〉  そう言うが早いか、包丁の刃がまな板に届く寸前、康太の左手の小指をかすめる。 「痛っ!」  血が滲み出てきた小指を見つめながら康太がわざと大声を出すと、その声を聞きつけて飛んできた坂本先生に指示される。 「早く保健室へ行って消毒してもらいなさい」 「はい」  康太が重人を伴って廊下へ出たところで、西棟の方から美穂が駆け寄ってくる。 〈ほんの少し前に、廣瀬さんは二年三組の教室に入ったところよ〉  美穂は呼吸などできるはずもないのに、大きく肩を動かしながら話す。  さゆりの指示どおりなら、教室へは入らないはずなのに……康太は一瞬違和感を覚えるが、その後しのぶのロッカーに向かうのは間違いない。  というのも、その日の朝、森山みどりがカバンから少々厚みのある縦長の封筒を取り出してロッカーにしまい込むところを偶然目撃していたからだ。 〈オーケー。じゃあこっちは作戦どおりといくか〉 〈頑張って! 私はまた廣瀬さんのところへ戻って見張っているから〉  渡り廊下から西棟に入ったところで別れ、康太たちは一階へ、美穂はそのまま二年三組の教室へと向かう。 「教頭先生、たいへんです。今、調理教室から西棟に戻るときに渡り廊下で何気なく僕らの教室を見たら、誰かの人影が見えたんです。泥棒かもしれません」  職員室の引き戸を開けた重人は、左手の小指をハンカチで押さえながら必死に訴える。  当初それはニセ情報になるはずだったけれど、リコの想定外の行動で真実になった。 「え、何だって? 泥棒? 確か、君は二年三組の山本君だったよね」  給食を食べかけていた教頭先生が、慌てて駆け寄ってくる。 「はい。僕は調理実習でケガしてしまって保健室で手当てしなければなりませんので、先生は様子を見てきていただけますか?」 「もちろんだとも」  そばに立てかけてあった剣道の竹刀を手に階段を二段跳びで一気に駆け上がった教頭先生は、一瞬我が目を疑う。  二年三組前の廊下では身体の大きな女子生徒が腰をかがめた格好になって、音を立てないように恐る恐るといった感じで、誰かの個人ロッカーの中を物色しているところだった。  外されたナンバー錠が近くに転がっている。  扉が邪魔してはっきりとはわからないが、出席停止処分が明けたばかりの廣瀬リコと特徴が一致している。  いや、間違いなく彼女である。  まだ懲りないのかな?  教頭先生はそうひとりごちると、まずは悪事の現場を抑えることにする。 「おい、授業中じゃないのか?」  忍び足で近づいていった教頭先生が、真後ろからリコの肩を叩きながら声を掛ける。 「え、誰?」  慌てて振り返ったリコの細い目は、教頭先生の姿を捉えて点になっている。 「廣瀬じゃないか。ここでいったい何をしているんだ?」 「……」  固まってしまったリコは何も答えられない。  しかし妙な動きをする。右手をさっと後ろに隠したとき、何か持っているのが見えた。  見られてはマズいものなのだろうと教頭先生は想像する。 「右手を見せなさい」 「……」  目を逸らしたリコは相変わらず無言ではあるものの、命令には素直に従う。  差し出した右手には、封筒が握り締められているではないか。  恐らくロッカーから取り出した戦利品なのだろう。 「それを渡しなさい」 「……はい」 リコは渋々応じる。  封筒の表面には、「修学旅行参加費七万五千円 森山みどり」と青インキで丁寧に手書きされている。ロッカーの扉の名前と同じだ。 「おい廣瀬、おまえは授業をサボってこのお金を盗んだってことで間違いないな?」  封筒の中に一万円札が七枚と五千円札が一枚入っているのを確認しながら、教頭先生が訊く。 「別に……盗んだってわけじゃ……」 リコは素直に罪を認めず、ボソボソ要領の得ないことをつぶやいている。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません