タイムリミット
第1章 神様の手違い4−2

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 肉体を失ったあとも、エリカは毎日夜になると自宅に戻った。  自分の部屋以外に安らげる場所が見つからなかったからだ。  昨日までは帰宅すると、玄関の扉をすり抜けてその先にある階段を登り二階の自分の部屋に直行していた。一階にママとおばあちゃんがいるのは気配でわかったけれど、相当な心理的ダメージを受けたはずの二人を見る勇気が持てなかったからだ。  自分のベッドに横になると、精神的な疲労もあり、自殺する前はなかなか寝付けなかったのが嘘のように、すぐに睡魔が襲ってきた。クーラーで冷やせないため室内は30℃を超える日も多かったけれど、暑さは感じないので朝までぐっすり熟睡できた。  昨晩も一度は瞼を閉じて眠ろうとした。  だが、大好きなアイドルグループのコンサートから帰ったばかりで、まだ興奮が覚め切っていなかったのか、寝付けるどころか却って目が冴えてきてしまった。  そのとき一階が妙にざわついていることに気付いた。  じきにリビングルームのドアが開き、おばあちゃんとママのなつかしい声がはっきり聞こえてくる。 「おやすみなさい。まだ九時だけれど、私もう寝るわね」  すぐに二階の寝室に向かって階段をゆっくり上るママの足音がし始める。 「ちょっと待ちなさいよ」  今度はおばあちゃんの声だ。 「え、なに?」 「あなた、随分痩せちゃって顔色も悪いわよ。ずっと家に閉じこもったままだからじゃない。エリカがあんなことになって、もうかれこれ四十日ぐらいになるのだから、そろそろ元気を出さないと。お仕事だってそんなにいつまでも休んではいられないんじゃない?」 「そうね、お母さんには心配かけて悪いと思っているわ」 「そう思うのなら、明日の朝は早起きして気分転換にジョンと散歩でもしてきたら?」 「それもいいかもね。私が元気を出さないとエリカも責任を感じてしまって、天国で悩み悲しむかもしれないし……」 「そうなさいな。天気予報では明日も晴れて猛暑が続くと言っていたけれど、朝早い時間ならまだ涼しいわよ」 「わかった。六時に目覚まし時計をセットして、ジョンと散歩に行ってみる」 「よかった。じゃあ、その間にあなたが大好きなパンケーキの朝食を用意しておいてあげるわね」 「ありがとう! おやすみなさい」 「おやすみ」  ママは階段を上りきると、エリカの部屋の前を素通りして隣の寝室前で立ち止まる。 「ジョン、早くおいで!」  すぐにトントンと軽快に階段を駆け上がるジョンの足音が聞こえてくる。  その途端、エリカは居たたまれなくなった。  ママに会いたい!  夢中でベッドから抜け出してドアをすり抜けると、目の前にママがこちらを向いて立っている。寝室のドアノブを右手で握り、ジョンを待っているのだろう。  その姿はエリカの記憶にある姿よりもひと回り小さく、憔悴しきっていることは目の下の大きなクマからも伺えた。  エリカは思わず、「ママ、ごめんね!」と涙声で叫ぶ。  すると間髪を入れずに、背中の方で「ワン!」とジョンが吠える。  エリカが振り向くと、ジョンがちぎれんばかりに尻尾を振りながら、つぶらな瞳でエリカのことを見上げているではないか。 〈エリカちゃん、久しぶりだね!〉  ジョンがテレパスで話し掛けてくる。 〈えっ、もしかして、わたしのことが見えるの?〉  つられてテレパスで返しながら、エリカは驚きのあまり腰を抜かしそうになる。  それまで、テレパスを使ったことはなかったし、ましてや、イヌと会話できるなんて……どちらも思いもよらなかったことだから。 〈そうだよ! ボクたちイヌは幽霊が見えるし、こうしてテレパスで話すこともできるんだ。普段からイヌ同士って、言葉を交わし合ったりしているんだよ〉 〈へえ、そうだったの。それで……〉  興奮冷めやらぬエリカとしてはもっと色々話したかったのに、残念ながらそこでママの我慢が限界に来てしまう。 「ジョン、早くこっちへおいで。エリカの部屋の前でいくら待っていても、そのドアは開けてもらえないのよ」 〈エリカちゃん、ゴメン。ボクもうママと寝ないといけないんだ〉  ジョンはテレパスで謝りながら、ママとともに寝室の中へ入っていく。  話を聴いているうちに康太は次第に目が丸くなる。 「まさか幽霊がテレパスを使えて、しかもイヌと話をできるとは……」 「本当に」  エリカも素直に頷く。 「これでいよいよおまえにもツキが回ってきたな」  気が早い康太は、エリカの天国行きは叶ったも同然と早合点する。 「だといいのだけれど……でもまだわたし、イヌを‘手足’にしてどうやって人助けをすればいいのか、ピンと来なくて……」  エリカはまだ半信半疑なのだ。 「オレでよかったらおまえに全面的に協力するから。きっと何とかなるって!」 もちろん康太の本心から出た言葉だが、同時に、これで時間つぶしができて、ただじっと天国行きを待たずに済むな、なんていう下心もあったことをエリカは知る由もない。 「ありがとう」  見返りなんてなくても人助けができてしまう康太君のような人が、もしクラスにいてくれたなら……。  あとの祭りとはわかっていながら、エリカは内心、自分の運命に対して恨み言のひとつも言いたくなる。 「今朝起きてからも、まだいい知恵は思い浮かばなかったの?」 「それが、何ていうか……喉まで出かかっているみたいなんだけれど……」 じれったくなってきた康太は質問を変えてみる。 「じゃあさあ、今朝起きてからオレと会うまでの間、どうやって過ごしていたのか教えてくれない? 話しているうちに何か気が付くかもしれないよ」 「それは、いいかも。では、今朝からのわたしの行動を思い出してみるわね」 「了解!」  笑顔に戻った康太が明るく言う。 「ええと、そう、あれは六時をちょっと過ぎた頃だったかしら。一階が何やら騒がしいので目を覚ましたの。どうしたのだろうと思って階段を下りていくと、ちょうどジョンが玄関でママにリードをつけてもらって散歩に出掛けるところだった。ジョンはすぐにわたしに気付いてくれて、嬉しそうに尻尾を振りながら話し掛けてきた」 「何て?」 「エリカちゃんもよかったら一緒に行かない? ママがようやく外出する気になってくれてボクも嬉しいよって、テレパスでね。もちろんわたしはイエスって返事した」 「で、行先は?」 「四つ葉公園。ウチから西の方に歩いて七~八分ぐらいのところよ。ジョンはリードをグイグイ引っ張っていった。ママも引っ張られて早足になって、もちろんわたしもそのあとをピッタリと付いて」  小高い丘に造られたその公園は、康太にとって東南公園と同様に馴染みの遊び場である。ふかふかした芝生で覆われた広大な広場や、なだらかな傾斜を生かして様々な遊具が巧みに配置されたアスレチックコーナーなどがあり、小学生の頃近所のわんぱく仲間と散々遊び回ったことは懐かしい思い出だ。 「そんなに朝早くても、公園って誰かいるものなの?」  幼いときから夜更かしで朝寝坊が習慣となっていた康太は、そんな時刻に行った経験がない。 「ええ、けっこう大勢ね。お友達と散歩している人もいれば、わたしたちのように犬を連れている人もいたわよ。そのほかにも、お母さんに連れられた小さな子供たちがちらほら遊んでいた。この時期は昼間暑過ぎて熱中症とかになる恐れもあるから、まだ涼しいうちにって考えたんじゃないかしら」 「へえ、そう。ジョンも子供たちを見て喜んだだろ?」 「もちろん、とても。でもね、ジョンったらテレパスで、もう一度エリカちゃんと一緒にボール遊びがしたかったなって、それはとても残念そうに言うの……」  エリカからはそれ以上言葉が出てこない。  自殺という道を選択してしまった自分が、今更ながら悔やまれてならないのであろうことはその表情から読み取れる。 「なあ、元気出せよ! 過去を振り返っている余裕なんてないんじゃないの? どうやったら人助けができるのか、その方法を見つけることに専念するはずじゃなかったのかい」  康太は、父親が娘を励ますかのような少しだけ大人っぽい言い方をする。 「もちろん、それはわかっていたけれど……あのときのママの様子を見ていたら、もう何も考えられなくなってしまって……」 「ママがどうかしたのかい?」 「ママも最初はすれ違う人たちと挨拶を交わしたり、子供たちが遊んでいる様子に微笑みながらジョンと歩いていたのよ。でも突然ベンチに倒れこむように座ると、『エリカとはもう話すことも抱きしめることもできないのね』って寂しそうにつぶやいて、俯いたままになってしまって……」  頭を抱え込んだエリカは、肩を震わせ始める。  よし、ここはオレが一肌脱ごうじゃないか!  康太は気合を入れ直した。

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