タイムリミット
第1章 神様の手違い7−2

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 エリカと康太が、ママと二匹の背後から母娘の乗った自転車を見送っているとき、何の前触れもなくその瞬間が――。 「小林エリカさん、私は天使です。これからあなたを天国へご案内します」  どこからともなく、ソプラノのとても心地良い響きの声がエリカの耳に届いてきたではないか。 「え、マジで?」  そこでエリカが思わず声をあげる。その横で何も聞こえない康太がきょとんとした顔で自分を見つめていることに気付くが、まずは天使の話に集中する。 「あなたはこれまでに二回、【善行】をしました。最初は瀬川康太さんの協力によって、ジェニーとお母さんに『幸せ』をプレゼントしました。ジェニーの飼い主だった峰岸さんも天国でとても喜んでおられます」  つまりそれは、それまで半信半疑だった自分の努力が神様にも認められたということなのだ。エリカは康太に悟られぬように、心の中だけでガッツポーズをする。  でも「二回」って、ほかにいったい何をしたかしら?  エリカの疑問をよそに、天使は話し続ける。 「そして今、ジョンと共に幼い女の子の命も救いました。この二回の【善行】によって、あなたが犯した自殺の罪を帳消しとします」  あのとき、ただ叫んだだけなのに、やむなく自殺に追い込まれたわたしに神様が同情してくださったのかも。  嬉しいやら、照れ臭いやら……思わず頬が緩んだエリカの前に、突然、半透明の天使が現れた。白いパンツスーツに赤いスカーフを巻いている若い女性だ。 「え、もう?」 「はい、天使は天国とこの世を瞬間移動できますので」 「いつですか? 天国へ行けるのは」 「まもなく《光のリング》があなたの目の前に現れます。それまでここで一緒に待っていましょう」 「わかりました」  そこで、隣にいた康太が興味津々といった様子で天使に訊いてくる。 「なあんだ、やっぱり天使さんがお迎えに来たのか。さっきからエリカが誰かとテレパスでやりとりしてるのはわかっていたけど、オレには何も聞こえなかったからヘンだなと思っていたんだ。なぜオレには聞こえなかったの?」 「天使が天国から話ができる相手は、自分が担当する人だけなのです」 「へえ、そうなんだ。で、エリカが女の子だから、天使も女性なわけ?」 「いいえ、たまたまです。天国では性別による区別はありませんから」  そう答えるが早く、天使は、「あ!」と声をあげる。 「ごめんなさい。瀬川康太さんには、神様からの『指示書』が出されています」  天使は胸ポケットから取り出した半透明の文書を読み上げていく。           瀬川康太君への指示書  君はこの六時間、ただじっと天国への入国を待つのではなく、優しい思いやりの気持ちと抜きん出た行動力で、小林エリカさんとその母親、さらにはジェニーまでをも救ってくれた。  ジェニーの飼い主だった峰岸隆一さんからも、君への感謝の言葉とともに、できることなら君を生き返らせて欲しい、との嘆願が寄せられている。  そこで極めて異例ではあるが、君をもう一度この世に戻すこととする。  ただし君の肉体は損傷がひどく、脳がつぶれてしまっており生き返るのは困難である。  よって、君はすぐに東南中央病院の救急措置室に戻り、窓際のベッドに横たわっている霊が抜けたばかりの肉体に入りなさい。  その人間として生まれ変わるのだ。   なお、君を色々と戸惑わせてしまったことへのお詫びのしるしとして、私からのささやかなプレゼントを用意した。  君には特別に、幽霊が見えて幽霊と会話もできる能力を与えることとする。  会話する場合には、声を出してもテレパスを使っても、どちらでも構わない。  ただし、この能力にはタイムリミットがあり、今日から六か月後、つまり来年の二月二十八日午後七時に予告なく消滅する。  是非それまでの間、少しでもこの世の人々を幸せにするためにこの能力を有効に使って欲しい。  君のさらなる活躍を祈っている。                 以上   最初のうち康太は混乱した様子で聞いていた。  内心、午後七時が近づいても、一向に天使からのお招きが届かないことに不安が募っていたと言うのが本当のところだったのだ。  それが、次第に表情が明るく和み、天使が読み終える頃には、生きていたときのギラギラした瞳の輝きが戻っていた。 「わかりました。神様のご指示のとおりにいたします」  康太は背筋をピシッと伸ばして、使い慣れていない敬語で返事をする。 「良かったですね。私からもおめでとうと申し上げます」 「あ、ごめんなさい。でも最後にひとつ。もしわかれば教えてほしいのですが?」 「私にわかることでしたら……」 「オレはこれから、いったい誰になって生きるのですか?」  康太は遠慮がちに訊く。 「それは神様の専権事項でして、私にはわかりかねます。そのときのお楽しみということでよろしいのでは?」  午後七時。スーパーの館内放送が流れ始めたちょうどそのとき、入口前が突如異様な明るさに包まれる。  今度こそ見逃してなるものか――康太が眩しさを堪えて必死に薄眼を開けたままその瞬間を待つと、一秒もたたぬうちに見覚えのあるあの虹色の《光》が突如目の前に現れた。やはり中は霧に覆われているものの、外から見る限り全く厚みはない。天からでも降ってきたのかと考えていたが違った。  まさに時空の壁を超えて、ここが天国と繋がったのだ。 「ついにやったな! おめでとう!」  康太が半透明の右手をエリカの左肩に掛けてくる。  康太君って、気が優しくて頑張り屋で……本当に生きているうちに会いたかった。  そう思いながらエリカも同じ仕草をする。 「こんなに早く、神様からのお許しが出るなんて、これもあなたのおかげだわ」  二人は長いハグを交わして、喜びを分かち合う。  離れ際にエリカは自然な動きで、「チュッ」と半透明の唇で康太の唇に軽く触れる。  すると、康太は一瞬身体が固まってしまう。  でもすぐに満面の笑みを浮かべてつぶやく。 「え、これって、オレのファースト・キス? しかもその相手が芸能人とは。生きているうちに経験したかったのになあ……」  そこで、二人の別れをじっと見守っていた天使が、二人の間に分け入ってくる。 「さあ、時間です。参りましょう」 「ちょっとだけ待ってもらえますか?」  エリカが慌てて言う。 「ほんの少しでしたら、どうぞ」  そのときママはこちらに背中を向けて、二匹と家路についたところだった。 〈ジョン、ジェニー、さようなら!〉  エリカがテレパスで思いきり叫ぶと、二匹が歩みを止めてこちらを振り返る。 〈おめでとうございます! 幽霊を卒業できて〉  二匹は嬉しそうに尻尾を振りながら、声を揃えてエリカに祝福の言葉を贈る。 〈ママのこと、お願いね!〉 〈わかりました。ご心配なく! ジェニーと協力して頑張ります〉  ジョンがそう言ったとき、ママが二匹のリードを強く引く。 「さあ、何してるの? 行くわよ」  二匹は名残惜しそうにママとともに歩き出す。 「わたしたちもいよいよお別れね。康太君、本当にいろいろありがとう!」  その言葉を最後に、エリカ、天使の順に《光のリング》に入っていく。 「おう。オレも時間つぶしができて楽しかったぜ。おまえのパパによろしくな!」  その声は最早、エリカには届かなかっただろう。

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