タイムリミット
第3章 新たな出会い3−3

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 そして、七月の最初の金曜日、三限目の体育の授業でのこと。  翌週の火曜日から三日間の期末テストを控えているというのに、美穂はこれまでで最大級の極めて理不尽なイジメを受ける。  その日、女子が取り組む種目は筋トレとストレッチ。  体育館に敷き詰めたマット上で、身長が高い順に二人ずつペアを組んで行うのだが、あいにく美穂のいつも組む須藤由香里が風邪をひいて欠席だった。 「どこかの組に長友さんを入れてあげてくれない?」  二人ずつ縦に並んだ列に松本先生が呼びかけるけれど、クラスに親しい友人もなく孤立していた美穂には、どのペアからも反応がない。  二年に進級してからは母親の看病と家事の負担がのしかかり、大好きだった吹奏楽部の活動に興じる余裕や放課後に誰かとおしゃべりする時間もなくなった。 その上五月以降は身体も態度も大きいリコがまとわりつき始めたので、ほかのクラスメイトたちは一人また一人と目すら合わせようとしなくなっていた。  松本先生が再度呼びかけると、後ろの方にリコと並んで立っていたさゆりが頭を押さえて、辛そうな表情で先生の方に近づいてくる。  それをペアの片割れのリコが心配そうというより、むしろ嬉しそうな顔で見送っている。背が似たような高さの二人は、体育でもペアを組んでいるのだ。 「先生、保健室へ行ってもいいですか? 私、なんだか急に目眩がしてきて……」  さゆりは先ほどまで普通に元気そうだったし、今も顔色は悪くない。  本当なのかと怪しむ美穂の気持ちとは裏腹に、松本先生は心配そうにオーケーを出して、これ幸いとばかりに美穂に言う。 「長友さん、今日は廣瀬さんとペアを組みなさい」  それを聞いたリコは先ほどよりもさらに嬉しそうな顔で手招きをする。  普段の教室での様子を知らない体育の教師には、その笑顔の裏に潜んだ魂胆を見抜けるはずはない。  腕立て伏せ、腹筋、スクワット……と続く筋トレのメニューは、筋力の弱い女子にとって普通にやっても辛いものばかりだ。それを美穂はお相撲さんのようなリコと組まされたのだから、どうなることやら。  まず始めは腕立て伏せ。  ペアの相手に両足を持ち上げてもらったままの格好で、全体重がかかった腕の屈伸を十回、それを交互に三セットずつ行う。  最初は美穂が足を持つ役でリコが腕を上下に屈伸させていく。美穂が十まで数えたところで交代し、今度はリコが数えて美穂が屈伸を始めたのだが、なんだか数え方が早い。  一言、「もう少しゆっくりにしてちょうだい」と頼む。しかし、リコは聞こえぬふりを決め込んでいる。  目には目をという考え方は美穂の主義に反するとはいえ、自分だけ普通の速さで数えたのでは不公平極まりない。二セット目からは美穂も数えるスピードを速める。       しかし三セットが終わった時点で、両者の疲労度には大きな開きが出ていた。  バスケ部の練習メニューに筋トレが組み込まれているリコにとっては、この程度のことは朝飯前なのだろう。多少汗ばんできてはいるものの相変わらず涼しい顔をしている。  対して美穂はかなり消耗していた。  運動とは無縁の日常を送っている上に、前の晩午前二時頃母親が苦しみ出したため寝不足で、しかも朝食を全く食べていないのだから、それもやむなしだった。  加えて、梅雨本番の蒸し暑さも相まって、汗にまみれた肌に体操着が貼り付いて気持ち悪くもなっていた。  二番目のメニューは腹筋。  マット上に仰向けになって両足首を相手に抑えてもらった格好で、両手を頭の後ろで組み、腹に力を入れて身体を起き上がらせては、また倒す。この繰り返しを十回、交互に三セットずつがノルマだ。  またリコが先にやると言い出した。  これも部活で毎回やっているので準備運動みたいなものなのかもしれない。  リコの両足首を強く抑えながら、腕立て伏せの悪夢が再燃する予感に美穂は怖気(おじけ)づいていた。仕返しを恐れてこちらが何もしなければ、リコは余計頭に乗るに違いない。  ならばと、美穂は心を鬼にして先程よりもむしろ早いスピードで数えていく。  ところが敵もさるもの。なんとリコはそれよりも早いくらいのスピードで身体の屈伸を繰り返し、あっという間に十回をこなしてしまった。  次は美穂がやる番だ。  自分から仕掛けた以上ある程度の仕返しは予想していたものの、敵のリベンジは想像を超えていた。  リコは数えるテンポが早いのはもちろんのこと、足首を押さえる格好だけして、その手にあまり力を入れようとしないのだ。とても巧妙なやり方で、頭の出来が悪いリコが考えたとは思えない。  さゆりが保健室へ行く前に密かに授けた作戦なのではあるまいか。  その端から見たら全くわからない悪巧みの効果は速くも一セット目から出てしまう。  足首が十分に固定されない状態で身体を起こすには、しっかり固定された場合の何倍もお腹の筋力が必要になる。  美穂は三回やったところで、いきんでもお腹に力が入らなくなっていた。疲労も限界に近づき、いわば燃料残量警告ランプが点滅している状態だった。  それでも頑張って四回目に挑んだけれど……。  意識が戻った美穂の目に最初に飛び込んできたのは、白い天井。周りも白いカーテンで囲まれている。そこが保健室のベッドであることはすぐにわかった。  身体には薄いタオルケットが掛けられているが、空調の効いた室内は暑くもなく寒くもなく心地よい。着ているものは汗まみれの体操着ではなく、真新しい赤のジャージだ。  きっと誰かが西棟一階にあるこの部屋まで運んでくれて、養護の先生が着せ替えさせてくれたのだろう。  不敵な笑みを浮かべたリコの冷たい眼差し。  それが最後の記憶として鮮明に残っている。  必死に起き上がろうともがいているのに……一切助けてくれようとはしなかった。  横になったまま身体を恐る恐る動かしてみると、腕立て伏せで疲労困憊(こんぱい)だった腕は何とか動く。手の握力も戻っている。腹筋で酷使したお腹や背中の筋肉にも、こうしてじっとしている状態ならそれほど痛みは感じない。  身体を休めたことで消耗しきった体力が若干は回復してきている。  だが、ふと変な胸騒ぎがした。自分はこんなところで寝ていて良いのだろうか?   いま何時なのか気になるが、カーテンに遮られて壁掛け時計が見えない。  ポーン  ちょうどそのとき、隣の用務員室からドア越しに時報とともにNHKのお昼のニュースが漏れ聴こえてきた。 「……十二時か。ということは、今は四限目で山崎先生の英語の授業中……」  つぶやきながら美穂は肝心なことを思い出した。  確か授業の最後に、期末試験の出題範囲が発表されるはず。先週先生がそう言っていた。  これから急いで教室へ戻れば、それに間に合うかもしれない。  ならばと、慌てて起き上がろうとしてみるが、腕に十分な力が入らないし、何より腹筋が痛くて思うように身体が動かない。  それでも何とか起き上がろうともがいていると、カーテンが開く。 「どうしたの? まだ無理しちゃダメよ」  養護の先生が優しく声を掛けてくる。 「でも、英語の授業に出ないと……」  美穂はまた身体を起こそうとする。でも今度は目がクルクル回ってきて、バタンと再び頭を枕に埋めざるを得なかった。 「あなたは一時間ぐらい意識がなかったのよ。そんな急に起き上がろうとしてはダメ。もう少しここで休んでいないと」  先生が乱れたタオルケットを掛け直してくれる。 「……」  美穂が返事をしないでいると、美穂のお腹からグーンと結構大きな音が。 「そうか、あなた空腹なのね? じゃあこうしましょうよ。昼休みになったら先生が給食をここに持って来てあげるから、ここで食べなさいな。そうすればきっと元気が出て五限目からは授業に出られるわよ」  先生は諭すように言うと、カーテンを閉めて立ち去ろうとする。 「先生、待って! 今ここで寝ている生徒は私のほかにはいませんか?」  美穂は慌てて呼び止め、それまで何となく心に引っかかっていたことを訊いてみる。 「今はあなただけよ。三限目のときには、あなたと同じクラスの上条さんが気持ち悪いと言ってここで休んでいたわね。でもしばらくすると良くなったみたいで、四限目の授業が始まる前には戻って行ったわ」  やはりさゆりは仮病だった。自分はハメられた。美穂は確信する。       

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