謎部屋トリップ
真実はなんて残酷なのか

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「ユヅル、ここ最近、胸の痛みを感じてはいなかったか」 「えっ、ああ。感じていた。それが何か関係あるのですか」 「うむ、ユヅル。実は、おまえの未来はない。本来ならば、若くして心臓の病にかかり死すのだ。だが、おまえの苦しみの声を魔主が聞き入れてしまった」  そんな。それじゃ、俺が母のいなくなる世界にしてしまったってことか。俺が死ぬ代わりに、母が命を落とした。そういうことか。それだけではない。加奈の家族も、康也の父も。  すべては、俺が元凶だったのか。  そうなのか。それならば、俺は元に戻したことで死ぬ。胸の痛みは、死期が近づいている証拠なのか。  どのみち、俺が母と一緒に暮らす世界は存在しないということか。  俺の前には暗い道しか存在しないのか。地面をみつめて、小さく息を吐く。 「ゆづっち、騙していてごめん。けど、これが本当の道だから」  みのりの頬に伝う涙。  騙されていたのか。そうだったとしても涙目のみのりには、怒りは湧いてこなかった。 「ユヅル、おまえにとっては受け入れがたい事実でしょう。ですが、ここは現実を受け入れなくてはなりません。この扉を開くことができるのはユヅルだけなのですから」  開けることができるのは、俺だけ。本当にそうなのか。猫地蔵や稲山様だって、開けられるんじゃ。きっと、そうだ。それでも、俺が開けることが大事なことなのかもしれない。  扉をみつめて、溜め息を漏らす。 「いいのか。死んでも。おまえが頼んだから、わらわが過去へ飛び変えてやったのだぞ。過去のわらわの恨みと重なり、おかしなことになったのは想定外ではあったが」  魔主がニヤリと笑う。 「過去へって」  そうか、過去の映像を観ていたとき見えたものは幻ではなかったってことか。やはり、あのとき魔主はもうひとり存在していたのか。 「わらわは、おまえと同じ未来から来た。さっき、消えた者は過去のわらわだ」 「同じ未来から」 「そうだ、おまえは生きたいのだろう。他の者のことなど考えるな」  この魔主はいい奴なのか。ああ、もうわけがわからなくなってきた。 「ユヅル、こやつの言葉を聞いてはならぬ」  猫地蔵を見遣り、下を向く。どうすりゃいい。  涙目のみのり。眉ひとつ動かさずに真剣な面持ちでみつめてくる稲山様。少し俯き加減で考え込んでいる猫地蔵。  魔主はというと、無表情で何を考えているかわからない。  猫地蔵や稲山様、みのりを信じるべきだろう。けど、そうすると。  俺は、死にたくない。  この扉を開けることは、つまり死を意味する。ここにいる魔主は、俺の心を映す鏡なのかもしれない。不安から生まれた心の迷いが、魔主を呼び寄せてしまったのだろうか。  胸に手を当てて、顔をしかめる。誰かが心臓を強く握りしめているみたいだ。扉を開けずとも、心臓が蝕まれていっていることがわかる。不思議なのだが、扉から一歩下がると、痛みがスッと和らいでいく。  このままこの世界に留まれば、俺は長生きできるのかもしれない。  母とともに幸せに暮らせるかもしれない。  母の笑顔、父の笑顔、加奈の笑顔。  想像すると、自然と頬が緩む。そうだ、もとの世界へ戻らなくてもいいんじゃないだろうか。そう考えて、本当に幸せなのかと疑問が浮かぶ。今いる世界には、もうひとりの俺がいるはず。子供の俺が。そうだとすると、俺は母と一緒にはいられない。父とも加奈とも一緒にはいられない。ただ、陰から見守っていることしかできない。  いずれ、この世界の俺は死す。そのあとだったら。  ダメだ、ダメだ。そのときの俺は、年をとりおじさんになっている。いくら、『俺は結弦だ』と言ったところで信じるはずがない。  もとの世界へ戻るしかないのか。  少しの間だけでも、父と母、それに加奈とともに幸せに暮らす人生を選ぶべきなのか。  再び、母の笑顔、父の笑顔、加奈の笑顔を思い出す。  どうすればいい。  本来あるべき世界へ戻らなくてはいけないのか。猫地蔵堂の扉をみつめて、溜め息を漏らす。  自分が死ぬ世界を必死になって掴み取りにいっていたとは。  天を仰ぎ、青い空に目を向けた。  俺の中で対立するふたつの言葉。  いろんな顔が俺の中を通り過ぎていく。  父と母が笑顔で語り合っている顔。家族団欒かぞくだんらんする温かい空気感の加奈たちの顔。家族で会社を盛り立てている坂下家の顔。  俺ひとりのわがままで、みんなの人生を狂わせてはいけない。  何を言っている。そんなのただのお人好しだ。すべては、自分がよければそれでいい。  違う、違う、違う。  そんなことをしたら、また母が亡くなってしまうじゃないか。父の落ち込む顔を見たくはない。それは、俺が亡くなっても同じか。どっちにしても、俺の幸せはない。本当にそうなのか。幸せってなんだ。  頭を抱えて項垂れる。 「自分に素直になれ、他の奴らのことは考えるな」  魔主の言葉に顔を上げる。 「ユヅル、ダメだ。それでは、すべてが水の泡だ。おまえの答えが、この先の未来を決める。このままでは、後悔するだけだぞ」 「ゆづっち」 「ユヅル」  猫地蔵の声、みのりの声、稲山様の声。みんなの顔を見遣り、再び項垂れる。  俺は、どうしたらいいのだろう。心臓の鼓動が全身に伝わっていく。  生きたい。それが、本音だ。けど。  不意に子供の頃の景色が思い出される。  俺が、熱を出して寝込んだ日のことだ。  母がおじやを作ってくれて、食べさせてくれた。どんな味がしただろう。塩味だったろうか。とろみがあったのは覚えている。母の心配そうな顔が浮かんでくる。そういえば、父も一緒にいたような気がする。  優しく声をかけてくれた。  思い出しただけで、心があたたかくなる。そこには、確かに愛があった。俺は、間違いなく愛されていた。あの時に戻り、やり直したい。  腹の中に重く圧し掛かってくる何かが渦巻いている。溜め息しか出てこない。  戻ったとしても俺は死ぬ。死ななかったとしたら、母が死ぬ。  ダメだ。頭を振り、項垂れる。  どっちも死ぬことのない世界は存在しないのか。  気づけば、俺の頬は濡れていた。 「ゆづっち、ねぇ、それって」  突然のみのりの声に、どうしたと目を向けると俺の胸元を指差していた。 「おお、それはもしや」  猫地蔵も声を上げる。  胸元に目をやると、淡い光りが灯っていた。 「ユヅル、早くその胸のポケットのものを手にするのです」  手にする。稲山様に目を向けて、再び胸元へ目を向ける。  淡い光りが次第に強さを増していく。何が入っているのだろうと、ポケットの光を掴み取る。  眩しい。  何だ、これは。  黄金色の花びら。いや違う。これは、そうか。龍の鱗の欠片。  そう思った瞬間、猫地蔵堂の扉が勝手に開きはじめて。そうじゃない。俺の手には扉の取っ手を掴む感触が間違いなくある。扉を開けているのは俺自身だ。扉が全開していくとともに、真っ白な景色が広がっていった。

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