ヘルマプロディートスの縊死
ヘルマプロディートス(3)

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「よーっす小春野さん、調子どう?」  病室に相応しくない陽気な声で高田がドアを開ける。薫はリクライニングベッドで上体を起こしながら、最悪と短く答えた。  山吹と巻洲が逮捕された後、薫と月子は病院に運ばれ引き離された。胃洗浄で死ぬかと思うほど吐かされて、今は点滴を受けている。医師の話では念のため入院することになるらしい。 「月子は?」 「君よりずっと軽症だ。今日中には帰れるそうだよ」 「そう……」  高田が手を離すと引き戸は音もなく閉まる。 「高田さんは捕まんないの? いくら『薬物でラリった未成年』が何も証言してないからって」  薫はチューブのついた左手で髪をかき上げた。高田は自分の生年月日でも聞かれたみたいに当たり前の顔で答える。 「あの銃は巻洲のだしなー。俺は山吹が君たちを撃とうとしたのを止めただけだし」 「硝煙反応とか、射撃残渣ざんさ? とか調べられたりしないの」 「難しい言葉知ってるね。物知りついでにもうひとつ、警察の捜査ってのは皆様の血税で行われてるんだ。状況が明らかなのにわざわざ金のかかる科学捜査なんてしませーん」  聞けば、銃だけでなくあの明らかに犯罪者側なロングコートも巻洲に押し付けてきたそうだ。どこまでもいい根性をしている。薫は聞こえよがしにため息をついた。  だが、この人は自分の悪趣味を公益に繋げようとしている。どれほど歪だったとしても、結果として薫と月子は救われた。 「助けてくれてありがとう。高田刑事」  それなりに真剣に言ったつもりだったのに、高田はニヒルっぽい(薫にとってはイラっとくるだけの)笑みを浮かべた。 「颯太が話したがってる。本当はまだ誰ともコンタクト取っちゃいけないから、内緒な」 「あんたといるとどんどん共犯にされていくな」  薫は苦笑して、『颯太』と表示されているスマホを受け取る。高田は病室を出ていったがどうせ聞いているはずだ。あまり気にせず受話器のマークをタップした。 「杜若? 小春野だけど。高田さんに連絡してくれてありがとな」  手短に体調の話をした。杜若の周囲には異変もなく元気だと聞いて安心する。 『勝武おじさんのような人格破綻者だけでなく、殺人鬼の相棒まで抱えているとは警察も信用ならないな』 「それは思うわ」  薫は笑ったのだが杜若は笑わなかった。 『小春野。おれは学校に戻ろうと思う。ちゃんと勉強して、高校を卒業して、それで』  杜若が息を吸う。薫が息を止める。  友人をやってきた三年と二ヶ月。その中で一番力強い声で、杜若は宣言した。 『刑事になる。誰も信用ならないなら、おれが自分でやってやる』  決意に満ちた瞳が目の前に見えるようだった。  そっか、と呟いて薫はまぶたを下ろした。 「お前ならできるよ。次の月子や、笹木や、五条が出てこないように頼んだぜ」 『おれは次のおまえも出したくないが』 「お気持ちだけ受け取っとく。オレ実は自分が結構嫌いじゃない」  高田が顔を覗かせて病室の時計を指差す。薫は頷いて杜若に言葉をかけた。  何気なく、そして薫たちにとっては途方もなく尊い言葉を。 「じゃあまた、学校で」 『ああ。学校で』  退院後、ようやく日常が戻ってくるかと思いきや学校は大騒ぎだった。  教師が自校の生徒を三人も殺したのだから無理もない。精神的不調を訴え欠席する生徒も一人二人ではなかった。警察が最大限配慮してくれるおかげで、薫の周りは覚悟したほどの混乱には見舞われなかったが……壮花高校に穏やかな静けさが訪れるのは、まだ先のことになりそうだ。  そして洋館での事件から十日、今日は馬剛家で月子の誕生会。  月子が被害に遭って以来、お祭り好きのおじさんはすっかりホームパーティーをやらなくなってしまったから、薫がお呼ばれするのも十年ぶりになる。 「晴れて嬉しいな。ずっと曇りだったもんね」  月子が階段を上がっていく。薫は三歩後ろからついていく。  準備ができるまで自由にしていてね、とおばさんに言われて屋上へ出た。星好きのおばさんの希望で作った場所らしいが、都内の三階建てでは満足に星を見ることはできない。 「夏の大三角……はやっぱりまだだね」  月子がタートルネックの襟を気にしながら言う。薫は自分の首を指して尋ねる。 「痕、まだ残っちゃってる?」 「少ぅしだけね。どっちかっていうと、こういう服に慣れてないから気になるだけ」  月子は両手を後ろに回してはにかんだ。  タートルネックだけではない。月子の服装はあれから急に変わった。無理やり集めて結んでいた髪を切り、癖っ毛を活かしたボブヘアにした。体質に合わないコンタクトを諦め、レンズの大きな黒縁眼鏡もやめ、アンダーリムのすっきりしたフォルムの眼鏡をかけている。七分袖のサマーニットも、アースカラーのミモレ丈のスカートも、今までの子供っぽいファッションとはまるで違う。なのにこれまでで一番月子らしく見える。 「薫ちゃんは、パンクファッションだいぶ馴染んできたね」 「まぁ、学校じゃ『誰?』って言われっけどね」  薫は涼しいうなじに片手をやった。前髪はほとんど切らなかったが、後ろはばっさりいったのでまだ落ち着かない。  女装する意味を見失って、薫は男の服を身につけようとした。しかし百六十二センチは男子としては小柄で、なかなかサイズがない。自分のすっぴんをどうしても好きになれなかったのもあって、取り去るのは『清楚』の枠だけにした。幸いパンク系にはメンズスカートも揃っている。元々興味のあったジャンルでもあるし、メイクの仕方も今までとは違って毎日が楽しい。  ひとつ問題があるとすれば……。 「森山先生に新しい説教されるんだよ。『ジャラジャラキラキラしたものは周りの迷惑になるからやめろ』って」 「それは先生が正論」  月子が笑う。薫も笑い返しかけて、先生かぁ、と呟いた。それだけで月子は薫の考えている対象が変わったことに気付いたようだった。眉を下げて眼鏡を直している。 「山吹先生のこと、気になる?」  薫は隠しだてせず頷いた。  巻洲は弟の殺害と田中の自殺幇助は認めているが、ニンフの犯行とされるものについては全て黙秘しているらしい。一方山吹は全面的に自供しており、警察が想定した何倍もの遺体が発見されているという。 「オレ、山吹先生の病気について調べたんだ。詳しい病名までは聞いてないから分からないけど、性分化疾患ってやつみたいだった」 「それって、インターセックスとか?」 「その呼び方って差別らしいんだ。『半陰陽』とか『両性具有』とかも、その人が不完全で中途半端みたいだからもう言わないことにしようって流れになってるみたいだった」  DSDs性分化疾患とは『性染色体・性腺・内性器・外性器が非典型的=一般的に「男」「女」とされる固定概念から外れている』状態だ。それは『男でも女でもない』こと、『中性』や『両性』であることを意味しない。『第三の性別』や『ジェンダーレス』の旗印でも決してないのだ。 「あれだけのことをした人を、こんな風に思うのはおかしいのかもしれないけど……あの人は真面目すぎたんじゃないかと思ったんだ。神話の精霊を望まれたらそう振る舞って、正義の王子様を望まれたらそれも演じて……女じゃないとか医者が言ったのだって、全然正しい認識じゃなかったのに。そうやって他人の言うことを真に受けすぎて、自分の首を絞めていったんじゃないかって気がした」  薫は腕の中に、骨ばってばかりの山吹の身体を思い出す。  あんなにも人を殺しておいて、本当の望みが己の縊死ひとつだなんて。 「薫ちゃんだって」  月子の声に薫は視線を上げる。月子は険しい顔つきだった。 「薫ちゃんだって、ずっと呪いを受けてきたでしょ。『女の子でいてほしい』って」 「それは別に、オレが望んだことだし」 「少なくともわたしはずっと後悔してた。ヘアピンなんかでずっと薫ちゃんを縛ってたこと」  頼りなく光る星々と一緒に細い月が浮かんでいる。薫は初めて聞いた月子の本音に立ち尽くす。  チューベローズのヘアピン。月子が作ってくれた世界一大事だった宝物。二つとも高いところから落ちて砕けてしまった。警察の厳重な管理下に置かれた建物に残されて、パーツはひとつも回収できていない。  あの花たちは薫の支えだった。月子に近づけない悲しみを癒し続けてくれた。月子が何と言おうと、呪いなどではなかった。  薫は何もない耳の上を撫でる。もうこの感覚にも慣れてきた。  今は本物のぬくもりが届くところにある。もう別のものにすがらなくてもいい。  あとは薫が勇気を出すだけ。 「月子さ、オレと手を繋いだりしてくれるようになったじゃない」  話し慣れている相手なのに声が引っくり返りそうだ。薫は両拳を握り締める。  あれから月子は少しずつ、薫の身体に触れられるようになってきた。  だから。 「今度はオレから月子に、触ってみてもいい?」  見開かれた月子の瞳は、星よりも月よりも青く輝いていた。  月子は一歩下がって両手を広げる。微笑んで薫を待っている。  薫は無理やり唾をかき集めて飲み込む。  もしまた月子がパニックを起こして過呼吸になったら。  見境を失くして噛みついてきたら。  ――解っている。薫がしているのは月子の心配ではない。自分が傷つく心配だ。この期に及んでいつまでそんなことを。  綺麗なだけの花はもう散った。散ったのだ。  薫は震える足を前に踏み出した。月子の顔が、身体が、すぐそばにある。意を決して指先に触れる。しっとりしている。月子の両手が汗ばんでいる。  とん、と、月子の額が薫の胸に当たる。月子は何も言わない。ただ肩が細かく震えている。  薫は泣きそうになって、口唇を噛んで、月子の肩にできるだけやわらかく両手を載せた。  ひんやりした夜気と、月子の吐息と、薫の鼓動と、触れ合った箇所と、全ての温度が少しずつ馴染んで、やがて溶け合い境目が分からなくなる。  何度も夢に見た。毎日焦がれた。気の遠くなるほど想像し続けたこの瞬間は、妄想より静かで空想より熱かった。  月子が薫の背にゆっくり腕を回す。薫も恐る恐る、震えの止まった月子の身体を腕に抱く。  生きてゆこう。傷ついて、喪って、苦しみ抜いた世界でも。  取りこぼした幸福を想いながら、この手に残った悲しみにそっと涙を注ごう。『全てに意味があった』なんてくだらない慰めに負けないように、歯を食い縛りながら笑っていこう。 「大好きだよ。月子」  伝えられなかった言葉が自然とこぼれる。知ってた、と月子が吹き出す。 「待っててくれて、ありがとう。薫ちゃん」

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