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『月子、笹木のお通夜行く?』 『うーん、わたしが行ってもご迷惑になるかも……。同じクラスでもないし』 『じゃあオレと母さんとでいくよ。月子はゆっくり休んで』  会場は高葉ヶ丘たかばがおかという土地にあった。薫の住む東仲篠ひがしなかしのより品のいい街だ。あらためて笹木のことを何も知らないと思い知った。  静かなホールに集まっているのは親戚らしかった。理由が理由だからあまり人に知らせないようだと母が小声で教えてくれた。 「コクベツシキ? ってやつにはもっと人来るの」 「さぁ……平日だからそんなに来られないかもしれないね」  薫には、人を絞るためにそういう日程を組んだのか、宗教的にそういう日取りに決まっているのかまでは分からなかった。ただ、罪もないのにひっそりと見送られていく笹木が悲しい。 「お母さん。先生いたから、オレちょっと挨拶してくる」  薫はゴリ山――森山先生に歩み寄っていったが、何を言うべきか分からずに立ち止まる。筋肉質な身体にジャケットとスラックスが全く合っていない。太い首に巻きつくネクタイも苦しそうで、やっぱりこんなところで見かける人じゃないなと思う。 「ああ、小春野。お前は大丈夫か」  いつもの森山先生からは想像もつかないぐらい弱々しい声だった。薫が頷くと、そうか、と少しだけ口許を緩める。 「森山先生。山吹先生は?」 「金曜日から学校にいらしていない。何か事件に巻き込まれていないといいんだが」  金曜……笹木が死んだ日だ。薫は学校を休んだが、山吹も来ていなかったのか。薫に電話を寄越したのに。  森山先生がぼんやりと薫を指差す。 「今日はめずらしい服を着ているな」 「まぁ、中学のときのですけど」  薫はノーブラの胸を布の上から押さえる。詰襟の学生服。喪服に代わる衣装がなくて仕方なく着てきた。  スカートをやめろと毎日言ってきた先生だ。明日からこれで来いと言われるだろうか。  森山先生は力なく笑った。 「似合わんなぁ」  薫は泣きそうになって下口唇を噛む。  いっそ『男の服を持っているなら学校にも着て来い』と怒鳴ってほしかった。そんな風に薫の主張を肯定してほしくはなかった。  肩が落ちているのは森山先生だけではない。この会場にいる人たちは誰しも生気がなくて、『どうして』『若すぎる』という言葉ばかりが泡のように浮かんでは消える。 「すぐにでなくてもいいから、いずれ学校に来なさい。みんな待っている」  森山先生はとても先生らしいことを言って去っていった。高田といい、揃いも揃って大人は子供を学校に行かせたがる。  入れ替わりに巻洲刑事がやってきた。 「小春野さん、こんなところで悪いが後でまたうちの署に来てもらえないか」  ここで話し込むのは笹木にも親族にも失礼だ。薫は事情を聞かず短く首肯した。 「一度帰って着替えたいんだけど」 「ああ、それからでいい。だがこのことは高田部長には伏せておいてくれ」  二人ともあまり連携を取りたくないのだろうか。高田も巻洲に隠れてメモを握らせてきたり、わざわざ杜若の家に来て話したりしている。  巻洲刑事は煙のように会場からいなくなった。母が呼びに来たので、薫も辞すことにする。部外者の薫がこの場でできることはもうない。  並んで駅まで歩く道、母がかすれた声で呟いた。 「つらいね。息子さん、まだお若いのに」 「うん」 「あんた、仲よかったの」 「と思うよ。高校の中では、だけど」  会話が途切れる。車の行き過ぎる音が耳に障る。  ごちゃごちゃした地元と比べて綺麗な駅前だ。笹木のもう立つこともない駅前。 「薫はその制服、一生着ないのかと思ってた」 「オレも。初めて着たけど、なんか変な感じ」 「女の子の服の方がいい?」 「いいとかじゃなくて、慣れてるから」  長い横断歩道を、母の後について渡っていく。母は少しずつ早足になる。 「お母さんも、あんたぐらいの頃は親の反対する格好ばっかりしてたよ」 「どんな?」 「へそ出しとか、ルーズソックスとか」  意外だった。母はきっと優等生だと思っていたのに。  優しくも冷たくもない、日常の温度をした言葉が黒い服の周りを流れる。 「だから薫も、親がなんて言おうが好きな服着なさい。子供はそれぐらいわがままでいいのよ」  薫は黙って俯いた。  解ってもらえなくてもよかった。かわいいと言ってもらえなくても。ただ『好きにしろ』と言われただけで、こんなに救われるなんて思わなかった。  親不孝でごめん、と今まで一度も考えたことのない台詞が頭に浮かんだ。言わなかった。  ミントグリーンのワンピースは洗濯中で、薫はアイスブルーのワンピースに着替えた。前開きで丸襟の、レトロがかったデザインだ。サークルレンズを入れて、メイクをして、前髪をナチュラルにカールさせたら、こめかみから大事なチューベローズのヘアピンを着ける。  出かける前にスマホを見つめ、高田にかけるかどうか迷った。直感に従えば彼は悪い人ではない(ただし意地は悪い)けれど、山吹に懐いていた程度の人を見る目では……いや、まず山吹先生を怪しいと主張し始めたのは高田だ。真相がどうあれまだ信用はしきれない。  薫はメッセージアプリを立ち上げたが、高田へ連絡はせずに操作を終えた。鞄にしまおうとしたらタイミングよく電話。巻洲刑事だ。 『君は狙われている可能性があるので、念のため迎えに来た。家の前には停めにくいから裏の路地に車を置いてある』 「分かった」  玄関から靴を持ってきて勝手口を開けた。框がないから履きにくい。前かがみになってかかとを直す。  と、首にいきなり鋭い痛み。頭がぐらりと揺れ地面に両手をつく。貧血? いや違う。 「やはり植物から抽出したものでは弱いか。困った実験癖だな」  男がうんざりした声で呟く。誰だ? 聞いたことがある。誰が、くそ、頭痛で考えられない。  勝手口が閉まる音。息が苦しい。男が手を伸ばしてくる。薫の首に腕を絡めて絞め落とそうとしてくる。 「できれば死んでくれるなよ。小春野薫」  意識を失うまでの一瞬の間に、薫はフードの男の名をはっきりと思い出した。  ――巻洲啓司。壮花警察署、刑事課強行犯係の刑事だ。  薄明かりに立っている人影が見えた。  腰まであるまっすぐな金髪に、白いチュールワンピース。まるでおとぎ話から出てきた姿。 「ニンフ……」  薫の呟きに『ニンフ』が振り向く。菜畑と同じように、目は分厚い前髪に覆われている。だがふっくらとして小柄だった菜畑と違い、背が高く骨っぽい。痩せた女にも女装した男にも見える。  高田の言ったことを思い出してみる――身長や骨格、耳の形。歩き方、歩幅、体重のかけ方、腕の振り、頭の揺れ、体幹のぶれ……。  線が繋がった瞬間目が覚めた。  起き上がろうとして両手首が詰まる。鋭く息を吐いて現状を確かめる。  座るのと寝るのの中間の姿勢。身体を預けているのは両脚が開いた椅子で、テレビの出産ドキュメンタリーで見た分娩台に似ている。両手と両足は拘束されていて、暴れようとしても動かない。 「無駄よ。床に溶接してあるの」  裏声のような不自然な高音。薫はひりつく喉に唾を流し込み、言葉を絞り出した。 「いつもみたいに話していいよ。山吹先生」  ニンフは白金の前髪を片手でめくり、にやりと笑った。 「たどり着いたね。賢い子は好きだよ」 「あんたがバカみたいにヒントをバラまいてくれたおかげでね」  薫はなるべく強気な声を出したが、山吹は意に介さなかった。いかにもなフラスコからビーカーに液体を注いでいる。光源は足下のブラックライトしかないため、色までは判別できない。 「お茶を淹れているんだ。痛みと混乱、快楽と恐怖、幻と救い……自我の境界を失わせる助けになる。一晩もあれば、大抵の人間は善悪の別を忘れるのさ」 「笹木みたいに?」 「母親のいない子は便利だ。愛撫に飢えている」  便利、という言葉が脳髄をじくじくと刺す。薫と笹木は友人となって日も浅く、懐かしんで語る筋ではないかもしれない。それでもモノ扱いされていい人間ではなかったと、それだけははっきり言える。  薫は自由にならない両手の指をぐっと握り込んだ。 「なんで殺したんだ。五条も、笹木も……菜畑も」 「『なんで』? 君たちは揃って同じことを訊くね。まるで理由があれば殺されても構わないみたいに」  軽やかな足音が近づいてくる。白いロングスカートを片手でたくし上げ、恥じらう様子もなく山吹は下着をさらす。脂肪の少ない身体に華奢な布が貼りついているのは、扇情的というよりもの寂しさが勝っていた。 「私は子宮と陰茎を持たず、膣と精巣がある。だから何だ? 男にとって重要なのは『いつでも安心して中に出せる』という事実だけだ。君にとっても私は『友達を二人も殺した相手』にすぎない。そこに『興味本位で』というただし書きがついたところでどうなる? 無意味だろう。『なんで』なんて言葉は」  歌うように言いながら、山吹は右手にビーカーを持って薫の横に立った。左手を伸ばして薫の額を撫でる。場違いな慈しみの手つきで。 「五条はここに座ったとき『なんで』とは問わなかった。自分を陥れた真朝のことも責めずに、 『あたしで何人目』と訊いた。面白かったから優(すぐる)にあげたよ」 「田中に、あの厨二な名前つけたのあんたか」  もっと粋がりたかったのに、やっと出した声はガサガサにかすれていた。  山吹の指がゆっくりとこめかみを、頬を、顎をなぞっていく。 「そう呼んでほしいと言ったのは彼だ。私をニンフと呼びたがったのは銀髪の教授だった。君は何だったかな? 真朝が得意がって付けたろう。少年であり、やがて女にもなる――」  爪先が薄い皮膚を攣り上げ、薫が毎日存在を否定し続けている喉仏を痛めつける。 「君はどうなりたい? 男を取り戻したい? 女になってしまいたい? それともどちらでもないまま朽ちていくのかな」 「あんたは……どっちなんだ。山吹宵」  薫は問いを絞り出す。表では青年の振る舞いをし、裏では無垢の女性の装いをするこの人は、本当はどうなりたいのか憎悪を抜きに知りたかった。  山吹は妖しく口唇の両端を引き上げた。 「シリアルキラーに殺されない秘訣はしゃべらせておくことだそうだね。興味を惹き、モノではなく人格のあることを思い出させる。せっかくだ、お茶をしながら話そうか」  突然鼻をつままれる。思わず開いた口にビーカーの先端をねじ込まれる。舌の奥に嗅いだことのない香りの液体が押し寄せる。吐き出すことも許されず、食道の痛みにひたすら耐えた。  胸元に嫌な風が入ってくる。胸元のボタンがひとつずつ外されて、山吹の笑う息が鎖骨の下をくすぐる。 「ちゃんとブラジャーをしているんだね」  腹の内はのたうつ炎を飲み込んだようなのに、背筋を駆け上がるのは真冬のような悪寒。  何十回と言われたからかいの言葉だ。うるせえよと笑い飛ばしてきた台詞だ。清楚な『美少女』の外装に騙された連中を嘲笑うのは気分がよかった。その分薫はずっと知らなかった。  容易に脱ぎ捨てられる『殻』ではなく、逃れようのない『個人』として性的視線にさらされること。自分の意思で跳ねつけられない、一方的な欲望の餌食になること。  歯の根が合わない。抵抗どころか皮肉のひとつも口から出ない。  山吹の片手がみぞおちを這っていく。薫は強く目を閉じ呼吸を止める。掌底で下腹部を押さえつけられて息が逆流する。 「さぁ、お茶会を楽しもうじゃないか。小春野薫」  逃げられない。これから自分は、散々に弄ばれたうえで死ぬ。  やっと今、本当の意味で、薫は五条あやめの最期を理解したのかもしれなかった。

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