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「笹木くんと君の動きは、公園とマンションの監視カメラがとらえていた。少なくとも、君が直接笹木くんを殺害したのではないことは証明されている」  机には高田刑事がついている。記録している制服警官の他、巻洲刑事も後方に控えていた。  今までが嘘のように空気が硬い。捜査協力を乞うのではなく、嫌疑のかかった者としての聴取に切り替わったのだと肌で分かる。  それでいい。別に、もう。  薫は俯いて自分の腕を掻いた。 「いいよ。そんなこと。オレが殺したようなもんだ」 「法律では『殺した』と『ようなもの』は明確に区別されていてね。君が前者を適用してほしくても我々にはできないんだよ……まぁ後者も適用はほぼ不可能だろうが」  高田は浅く息を吐いて何かを机に置いた。笹木の学生証の写真だ。 「笹木明英くん。早くにご両親が離婚してお父さんと二人暮らし。そのお父さんは重要なプロジェクトの責任者に抜擢されたばかりで、このところ会社に泊まりがちだった。帰れない日も午後七時と翌朝七時には必ず息子に電話をしていたが、昨日の午後六時頃、息子さんの携帯から『テスト直前だから集中して勉強したい』『明日の朝も早くに学校に行って勉強する』とのメッセージを受け取ったため、昨夜と今朝は電話での連絡をしなかった」 「もしかして笹木、家に帰ってなかった?」 「そもそも昨日は下校した形跡がない。小春野さんが笹木くんの携帯から電話を受ける一時間前に一人で学校を出て、四十五分前に現場でスタンバイしている。ご遺体のそばで無線機の破片が見つかっていることから、何者かの指示で行動していた可能性が高い」 「菜畑は? オレが電話切った後どうしたんだよ。ここまでなったら警察だってあいつに話聞くだろ、なぁ?」  薫の問いに、高田はじっと押し黙った。薫が焦れて声を上げようとした瞬間、また口を開いて遮る。 「通話の際、菜畑真朝の話し方に不審な点はなかったろうか? 例えば、そう、会話が噛み合わないといったような」 「そんなんずっとだよ」 「特にだ。特に顕著だったことは? まるで自分の意思で話していないようだったとか」  薫は記憶を奥までたどる。頻繁などもり、答えになっていない答え、執拗に繰り返される言葉、ぎこちない誘導……全て不審といえば不審だが、高田が訊きたいのはこれらではない気がする。 「言わされてる感じはなかった。録音でもなかったと思う。オレがどういう状態か探り探りみたいだったから、多分見ながら電話してたわけでもない」 「回転が速いな。颯太が頼るわけだ」  高田は巻洲刑事に目配せした。巻洲刑事が頷いて一歩前に出る。 「小春野さん。君から動画の話を聞き、我々はすぐ学校に連絡したんだ。菜畑さんは欠席だっだから住所を聞いて家に向かった。彼女は三人家族だったんだが、その、自宅で全員亡くなっていた。恐らく彼女はご両親を殺害し、自宅の浴槽に詰めたまま一ヶ月近く暮らしていたんだ。そして自身も……」 「は? じゃあオレは誰と話してたっての?」 「菜畑さん本人だと思う。電話を切った直後に自ら首を吊ったようだ。死後硬直も始まっていなかった」 「何、言ってん、だよ」  巻洲刑事が沈んだ表情で新しい写真を出す。白い便箋を正面から撮ってあった。 「小春野さんの意見を聞きたい。これを菜畑さんが書いたと思うか?」  展開がめちゃくちゃすぎてついていけない。  薫は困惑しながら画像に目を落とした。     五条あやめさんは私が殺しました。     SNSで家出の援助を申し出ていた男性に連絡を取り、     五条さんと引き合わせたのは私です。五条さんはご両     親が亡くなって、叔父夫婦に引き取られるのが嫌だと     常々こぼしていたので、それを利用したのです。     五条さんはいつも人気者で、友達が一人もいない私とは     大違いでした。     ずっと彼女が妬ましかった。いなくなってほしかった。     願いが叶って、私は自分がどれほど浅はかだったか思い     知りました。     友達のいない私に話しかけてくれたのは、五条さんだけ     だったのに!     どれだけ悔やんでももう五条さんは戻らない。     だから私は、死んでお詫びしようと思います。     向こうで五条さんに謝ります。許してもらえないとしても。     五条さん、本当にごめんね。 「違う」  一度目は無意識に。二度目は噛みしめて、違う、と薫は繰り返した。 「字を書いたのは菜畑だ。でも内容を考えたのは菜畑じゃない。あいつはこんなに理路整然と書けない」 「では、誰かが菜畑さんに罪を押し付けるために偽装したと……」 「ンな安い話じゃねぇだろ!」  薫は腰を浮かせて拳で机を殴った。 「言うとおりに書かせられるほど近くにいるんだぞ? あいつの書き方だって百も承知のはずだ。こいつはオレらを騙そうなんて思ってない。煽ってんだよ、『フツーの文章書く菜畑真朝って笑えるだろ』って!」 「小春野さん、まず座ろっか。な?」  高田が両手で空を押すアクションをする。巻洲刑事も何か言おうとしていたが、ドアが外から開いたことでそちらの応対に行った。  高田が何度も頷き、机の上に残したままの薫の右手を両手で包んだ。 「怒りたい気持ちは分かる。俺たちもそうだ。だが冷静に事を見定め、共に真実に迫っていこう」  薫が外面通りの性別ならセクハラになるところだ。いや、性別を問わずセクハラか。薫は舌打ちして右手の指を内側に強く畳んだ。  巻洲刑事が振り返る。 「小春野さん。お母さんが迎えに来られた。今すぐ君と一緒に帰りたいそうだが――」 「帰っていいなら帰るよ。できる?」  薫は席を立つ。向かいの高田も腰を上げた。 「というか、違法スレスレなのは実はこっちでね。原則、少年に対する聴取は保護者またはそれに代わる人の立ち合いのもと行わないといけないんだ。君はお母さんがいると話しにくいようだから、例外として別室でお待ちいただいてるだけ。つまりお母さんが『今日は終わり』って決めたら、俺たちに引き留める権利はないわけだ」 「小春野さんも、いろいろなことがあって疲れただろう? また話を聞かせてもらうことはあるだろうが、ひとまずゆっくり休んでほしい」  巻洲刑事が誠実な声で言って、本日はお開きとなった。  二人の刑事に付き添われながらロビーに向かうと、母はこれ以上ないほど顔を赤くしていた。薫に歩み寄ってきて右手を激しく振り上げる。 「またあんたは、勝手に迷惑ばっかりかけて!」  薫は素直に殴られる覚悟で待ったが、頬に衝撃は来ない。巻洲刑事が腕をつかんで母を止めていた。 「お母さん、薫さんはとても不幸なことに巻き込まれたんです。一人で思い詰めず、こうして大人を頼ってくれただけでもとても立派なことです」  母は色を失った口唇を震わせ巻洲刑事の手を払った。その目は薫を見ていない。叫びもきっとこの場の誰に向けてのものではない。それだけに薫の胸に鋭く突き刺さった。 「なによ、みんなして、みんなして理解があるって顔して! 私が悪いっていうの!? あんたたち、こんな変な子を育てたこともないくせに!」  警察署中の注目が、うずくまる母に集まっている気がした。消えたかった。  母が恥ずかしいからではない。自分の軽率な行動がここまで母を追い詰めたのだと思うと、悲しくて申し訳なくて消えたかった。 「小春野さん、あちらで一服して行かれませんか? いつも姉がお世話になっているようですし、ぜひお話を伺いたいんですよ」  高田は穏やかな声で母に話しかけながら、後ろ手で薫に『座っていろ』とジェスチャーをする。駆け寄った女性署員が抱えるように母を立ち上がらせ、『相談室はこちら→』のプレートがかかった廊下の奥に消えていった。 「薫ちゃん」  愛おしい声に呼ばれて振り返る。幻聴かと思ったら、ブレザーを着た月子が立っている。 「月子。学校は」 「テスト近いから午前授業だよ。忘れちゃった?」  月子は気遣わしげに微笑んだ。そうか、母に付き添って来てくれたのか。  薫は、あ、と呟いて左腕で顔を隠した。 「ごめ、すっぴんだから」 「気にしないよそんなの。わたしは毎日すっぴんだし。座ろ?」  月子に促され、並んでロビーのソファに腰掛ける。  本当は、抱きしめて『大丈夫だよ』と背中を叩いてほしかった。静かに手を握っていてほしかった。落ち込んでいる相手が杜若や五条だったら薫はそうしただろうし、彼らも薫にそうしてくれたように思う。 「いつまで続くんだろうね、こういうの」  自分の考えていたことが月子の口から出て息が詰まった。月子はあと一センチで薫の右手に触れるところに左手を置いて、床に視線を落としている。 「嫌だな。変えたいよ。薫ちゃんばっかり傷ついて、わたしは同じ場所でいつまでも立ち止まってる」  そうではない。薫のせいで、月子はもう一生分傷ついた。薫があの日月子を連れ出さなければ、さらわれることも心と身体に傷を負うこともなかった。だから薫が一生かけて返していくのだ。  ……違う? 薫の方が間違っている? だから母も月子も悲しんでしまう?  どう答えたらいいのか分からず、薫は右拳を慎重にほどいて月子に見せた。高田刑事が握らせてきた小さな紙片には、荒々しい走り書きがしてあった。 『颯太に会え』  月子が目を丸くして息を呑んだ。 「杜若くん? どういうこと?」 「話せば長くなるんだけど……」  お互いにだけ聞こえる音量で言い交わす。月子の指がまた薫の手に近づく。少し震えたら触れてしまうほどの距離。 「全部聞かせて。薫ちゃんがわたしに隠してたこと、全部。一緒に考えさせて」 「うん」  そんなことできるはずがないのに平然と嘘をついた。できる限り本当に近付けたいのも本音だった。 「おばさんが落ち着いたら、一回帰ろうね。それから一緒に杜若くんのところに行こう? ずっと休んでたし、ノートのコピー渡しに行くって言ったら多分大丈夫だと思う」  月子は大人びた調子で言った。  そうか、月曜日……明々後日からテストだ。  人が死んだり、殺されたりしているのに、そんなことを言われても全く重要に思えなかった。  家に帰ってから、薫はシャワーを浴びて服を着替えた。襟がV字になったミントグリーンのワンピース。笹木に『手術着』と言われてブン殴った一着だ。  髪もメイクもいつもどおりに整える。か弱い女の子に擬態するのが一番気合が入るなんてひどい皮肉だ。すっぴんは無防備すぎて心まで不安になってしまう。  階段を下りる。母は電気も点けずにリビングの椅子に座っていた。 「お母さん、オレ月子と一緒に杜若のところ行ってくる。遅くならないうちに戻るから」 「うん」  薫に背を向けたまま母は呟いた。今まで気にしたこともない白髪がやけに目についた。  後ろ手にドアを閉めながら、もうやめよう、と薫は口唇を噛んだ。月子にも母にも心配と負担をかけた。これが終わったら、もう危険に首は突っ込まない。  月子を家まで迎えに行って、杜若の家を目指した。杜若の母は快く二人を上がらせてくれた。  戸惑っていたのは杜若本人だ。 「馬剛、いいのか」 「うん。いい加減仲間外れはいやだもの」  そういう話はしてない、という顔で杜若は薫を見た。薫が頷いてみせると、杜若は渋面で二人を部屋に招き入れる。 「杜若。月子はほとんど何も知らないから、整理しながら話すんでもいいか」 「おれも断片的にしか知らない。時系列順に頼む」 「じゃあわたし、書記やるね」  月子がルーズリーフを広げて、今ある情報をまとめることになった。  まず五月上旬、五条あやめが部活で留守にしている間、彼女の両親が交通事故で亡くなった。五条が学校に来なくなったきっかけだ。 「五条は、叔父夫婦をずっと嫌ってた。大好きな両親がいなくなっただけでも悲しいのに、叔父さんたちに引き取られるなんて耐えきれなかったんだと思う」  隙あらば五条の身体に触れようとしてくる叔父、来訪のたびに金目のものを黙ってくすねていく叔母。五条は両親の留守中に訪ねてくる二人を避けるために、放課後は何かと用事を作って外出していた。薫と遊んでいたのもその一部だ。だが杜若たちにはそこまで説明しなかった。五条が隠したがっていたことだったから。  杜若が眉間のしわを深くした。 「五条はいなくなる前、おれに誕生日のメッセージを残してくれた。小春野の説明に加えて『家出計画を手伝ってくれそうな人と知り合った』と言っていた」 「それが、犯人のひと?」  月子がさっと蒼褪める。薫は杜若と顔を見合わせて首を振る。 「違うかもしれない。オレの捕まえたクソ野郎は、五条は他のやつに紹介されたって供述したらしい。で、それが誰かを言う前に留置所で自殺した」 「薫ちゃんたちはその、五条さんを紹介したっていう人を捜してるの? どうやって?」 「五条が撮ったっつー写真を、山吹先生から預かった。何か手掛かりになるかもと思って」  薫たちは、被写体の植物が全て毒草であること、開花時季や分布域などからこの写真を撮ったのが五条である可能性は低いことを説明した。 「それで、これは杜若にも初めて話すんだけど」  薫はつっかえつっかえ、今朝高田に教えられたことを伝えていく。  建物は全て同じ建築家の手によるものだということ。  写真にはないが、薫たちが連れ込まれ五条が殺された家もそうだということ。  そして、その家を犯人の両親に紹介したのが山吹先生だということ。 「先生が五条の事件に直接関係してるのかまでは分からない。だけどオレらに何かを伝えようとしてることは確かだ」  言いながら、薫は自分の甘さに吐き気がした。  山吹宵は恐らく犯行に関与している。しかも能動的に。声に出して認めてしまうのが怖いだけだ。  月子が両手を祈りのように組んだ。 「笹木くんのことも、山吹先生が関係あるの……?」 「ササキ?」  杜若が首を傾げる。一ヶ月余りで不登校になった杜若は、クラスメイトすら記憶が危うい。笹木を知らなくても無理はなかった。 「って、あれ、月子はなんで笹木を知ってんの? クラス違うのに」 「笹木くん薫ちゃんと仲よかったから、わたしのことも覚えてたみたい。廊下とかで見かけるといつも大声で話しかけてきて、わたしが通り過ぎるまで動かないでくれたの。ニコニコしながら、わたしが行くまでずっと待っててくれた」  知らなかった。薫がいないところで、笹木が月子に優しくしてくれていたなんて。  死んでから知ったって遅い。生きているうちに礼を言って、からかってやりたかったのに。  薫はきつく口唇を噛み、ゆっくりとほどいた。 「笹木の件は、五条とは別の話なんだ」  薫は淡々と話した。笹木の人柄、菜畑に突然渡された手紙、不気味な――内容まではさすがに言えない――動画について。 「手紙の現物はあるか」 「いや、警察で取り上げられた。コピーだけあるけど」  薫は杜若にコピー用紙を手渡した。杜若が月子にも見えるように畳に広げる。 「誤字が多いな。字自体も……」 「待って、これ」  月子が人差し指で、つるつると光る紙の表面をなぞった。 「『ヘルマプロディートス』って、薫ちゃんのこと?」  菜畑の手紙の一節に、確かに月子の言う単語があった。特に解説はなされていない。 「ヘルマプロディートスはギリシャ神話に出てくる雌雄同体の神様で、元々は美少年だったんだ。けど彼に一目惚れした精霊が『離れたくない』って願いながら抱きついてたら、二人はひとつに融合しちゃって、男とも女ともいえない身体になったヘルマプロディートスは悲嘆に暮れるの」 「それは……」  杜若がはっきり口にせず薫をちらちら見てくる。薫は美少年ではないが言いたいことは分かる。  薫は咳払いして話を戻した。 「問題は、菜畑はなんでこのタイミングでこんな手紙を渡してきたかってことと、その動画をオレに見せて何の得があったのかってことだ。読まないで学校行ったら怒り狂ってたし、どうしても見せたい理由があったんだとは思うけど」 「見た後は? 菜畑さん、なんて?」 「直接は会ってない。電話では喜んでたみたいな……そうだ」  薫はスマホを取り出して、着信履歴を二人に見せた。 「菜畑がかけてきた電話、笹木の番号からだったんだ。菜畑はオレを西壮花公園に誘導して、そこに笹木がいて、それで」  喉が詰まった。  きちんと言葉にしなければ。杜若は笹木のことも起こったことも何も知らない。  意を決して息を吸う。 「笹木くんは、その公園のお向かいにあるマンションの階段に立ってたの。一番上の階から飛び降りたんだって。薫ちゃんの目の前で」  別の声で遮られて、薫ははっと顔を上げた。月子はまっすぐ前を見ている。視線の先には薫も杜若もいない。 「許せないよね。薫ちゃんのお友達を死なせたことも、薫ちゃんを傷つけたことも、わたしは絶対許さないよ」 「そうだな」  杜若が立ち上がる。短いがきっぱりとした言葉だった。 「動画は見ないまでも、その共有ストレージが今どうなっているか確かめよう」  持ち出してきたのはタブレットだ。菜畑の手紙に沿ってアクセスする。大量に入っていたファイルはなくなり、一件だけ動画が残っている。  杜若が強張った声で言う。 「開けるぞ」  パスワードを要求するダイアログ。『ninf』と入力。弾かれる。もう一度。開かない。  薫はファイルのアップロード時間を確認する。 「これ、菜畑が上げたんじゃない」  巻洲の話では、菜畑は電話の直後に首を吊ったはずだ。この動画の更新時刻は十四時三十七分。薫が壮花警察署にいるときだ。 「ちょっといい?」  月子がボックスに何かを打ち込んだ。うるさかった警告が消え『OK』の文字が表示される。  月子は小さく肩をすくめる。 「ギリシャ神話のニンフのことなら、スペルは『nymph』のはずなのにって思って」 「菜畑は綴りを間違えていたのか。このファイルを上げた人間は、菜畑の使っていたパスが『ニンフ』だと知ったうえで正しい文字列に直したということか?」  杜若が『1001100011010010000110011』というファイルに指を置く。三人で頷き合って、慎重にタップする。  動画の冒頭、ぐったりと壁に寄りかかった少女は――五条あやめだ。  五条あやめの死に関与している山吹宵。  五条あやめの動画をアップロードした菜畑真朝のアカウント。  無関係に思えた二本の筋がやっと繋がった。 「やぁ遅くなったな。盛り上がってる?」  いきなり紺の靴下が出てきて、すぱんと障子を蹴り開けた。高田だ。月子は短く叫んだが杜若も薫も驚かなかった。 「勝武おじさん。足で開けないでくれ、行儀が悪い」 「声かけてから開けるまでが早ェんだよ、オッサン」 「まぁまぁ。飲み物買ってきたぞー。緑茶コーヒー紅茶スポドリ、どれがいい?」  高田の出現で空気が一気に緩む。薫はタブレットを後ろ手に隠して動画を閉じる。万が一にも杜若に中身を見せたくない。  飲み物が行き渡ると、高田はまたあっけらかんと捜査情報を漏らした。 「菜畑真朝だが、菜畑夫妻の実子じゃなかったよ。子宝に恵まれなかった夫妻は、弟が遺した赤ん坊を自分の子として引き取ったんだ。それが真朝。そして『かわいげがない』という理由で拒まれ、母方の祖母に引き取られたのが宵。二人は血の繋がった姉妹ってわけだな」 「思ったんだけど」  薫は一気飲みしたスポーツドリンクのペットボトルを畳に立てる。 「高田刑事、山吹先生に詳しすぎじゃね? 警察ってそんな情報集められるもんなの」 「迅速な捜査の賜物でもある」  高田は含みのある言い方をしてブラックコーヒーを口にした。 「俺が刑事になったばかりの頃、壮花に来る前に、管内のある大学で次々自殺者や行方不明者が出てね。彼らは一様に『ニンフに会った』と言い残していたんだが、その女の実在はついに証明されなかった」 「その女が、山吹先生?」 「俺はずっとそう言ってた。刑事課長の自死で全てうやむやになったがね」  薫は黙って高田を見る。この人から本気の怒気を感じたのは初めてだ。  だがすぐ高田はおじさんくさい声を出し、過剰にのんきな様子で立ち上がった。 「今日はめずらしく車なんだ。送るよ小春野さん、馬剛さん」 「ありがとう。月子んちに先行ってもらっていいかな」 「了解」  高田は空き缶を集めながら言った。 「颯太も、気が済んだら学校行けよ。今のとこじゃなくてもいいから」 「分かってる」  杜若の声にももう敵愾心はない。  外はほとんど夜だった。血がにじむように茜が淀んでいた。

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