我々はニンゲンである。
彼女のヒミツである。-3

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 恋……? 一瞬、頭の中がパニックになった。世の中には恋愛対象が同性の人だっている。知ってはいたし、サクもそうだったけど。墨玲さんは見た目も女だから、普通に異性が好きなのかと思ってた。 「今はLGBTとか、そういう言葉がありますよね。ああいう言葉は便利ですし、知らない人に対しては知ってもらうきっかけにもなりますが、私は嫌いです」  墨玲さんって本当にハッキリしてるな。柊を嫌いって言ったときにも思ったけど。ちゃんと、自分の意見を持ってるんだ。 「名前をつけて、定義を決めて? 人それぞれ違うのは当然なのに、自分と違えば違うと言って追い出す。そういう世の中が私は嫌いです」  わからなくはないと思った。多様性という言葉が多用されているけど、多様性があるのは当たり前だ。多様性を認めよう、そんな標語を見るたびに、今まで認めてなかったのかと呆れさえする。とはいえ俺だって同じだ。恋愛対象が異性であることを、普通だと思ってる。 「俺は――自分の性別が、わかりません」  中性でいいと言ってくれたサクはもういない。恋愛対象が男なのか女なのか、それもわからない。そもそも恋愛をする気になれない。片思いが幸せだとも思えない。……否定してばっかだな、俺。 「そうですか」  墨玲さんは前を向いたまま、落ち着いた声でそう言った。否定も肯定もしない。墨玲さんは自分の意見をしっかり持っていて、だから俺のこともそのまま認めてくれるんだと思う。  尊敬に値するな。自分の好みではない格好で、家業の看板として立って。でもそれは流されたとかじゃなくて、ちゃんと自分の意思があって。強い。  柊が好きになるのも無理はない。墨玲さんの美しさには、芯がある。  休みが明けて月曜。土日の間にしっかり休んだから、体調は万全だ。今日から期末テストだけど、それ以上に憂鬱なのはジャケットを羽織れないこと。  少しでも男らしさを演出しようと黒のニットベストにしたものの、胸を隠すには至らない。たいして大きくはないけど胸があるのはわかる。……さらしとか巻いて、本気で男装したほうがいいのかな。 「はよ、ミミナ」  いつも以上に気合を入れて電車に乗って、学校の最寄り駅に着いた。そしたらいるはずがない人がいて、いや、同じ学校なんだからいてもおかしくはないんだけど。 「何でいるの」 「思ったより元気じゃん。熱中症で倒れたくせに」 「それもう金曜の話だし」 「まあこのクソ暑いなか意地張ってジャケット脱がなかったもんな?」  別に並んで歩きたいわけじゃないけど、柊がペースを合わせてくるから並んで歩く形になる。ただでさえ憂鬱要素てんこ盛りな朝に、何で憂鬱要員を上乗せしてくるのかなぁ。 「覚えてないと思うけど、店から姉さんの車までおぶったの俺だから」 「えぇ……」 「人に助けてもらっといて何その顔? 胸でも触っときゃよかったな」 「いったん死んで?」  柊におぶわれたのか。最悪だ。借りを作りたくない相手に借りを作ってしまった。でもそっか、さすがに墨玲さんが俺を背負うのは無理があるよな。手足すらっとのモデル体型だし。ていうかモデルだし。俺を男だと思ってたんなら余計に抵抗あるよな。 「姉さんに直接会ってどうすんのかと思ってたけど、まさかマネージャーになりたいって言い出すとはなぁ」 「墨玲さんに聞いたの? 仲いいじゃん」 「家に着いたら部屋までおまえを運ばなきゃいけなかったし、車ん中で無言ってわけにもいかないだろ」 「部屋までって、墨玲さんの部屋に入ったの?」 「部屋に入らないでどうやっておまえをベッドに寝かすわけ?」  墨玲さん、みんなには秘密だって言ってたけど。その“みんな”に柊は入ってなかったのか。まあ一緒に住んでるわけだし、隠しようがないと言えばそうなんだけど。 「大変ご迷惑をおかけしまして」 「別にいいけど。こんなことでもないと姉さん、俺を頼ってくれないから」 「じゃあ俺、むしろ感謝されてもいいくらい?」 「図に乗んな」  墨玲さんの趣味を知ってるってことは、墨玲さんの恋愛対象が同性だってことも知ってるのかな。ただでさえ片思いだし、姉弟だし、わざわざ傷つけるようなことを言う必要はないか。 「柊は撮影見に行くの?」 「行かない。俺が行っても迷惑だろ」  それは墨玲さんに対してか、サクに対してなのか。今なら少しわかる気がする。柊はあのとき、わざとサクを傷つけて、サクを自分から解放したんだ。  恋は魔法で、魔法は呪いで、相手の心を捕らえてしまう。誰かを好きになったことも、誰かに好かれたこともない俺には、わからない境地だけど。柊は柊なりにつらかったのかもしれない。 「赤点取んなよー」  先に靴を履き替えた柊が、軽く背中を叩いて去っていく。セクハラだっつーの。とりあえず睨むだけ睨んで、俺も俺で靴を履き替える。  途中、射抜くような視線を感じて。顔を上げたらサクがいた。目は合ったけど無視されて、サクはそのまま自分の靴箱に向かう。見られた。いつから?  何も後ろめたいことはない。ただ普通に、一緒に学校まで来ただけ。……普通って何? 友達でも恋人でもないのに、一緒にいるのは普通なこと? 「おはよう! サク!」  気づかなかったふりをして、サクに背を向けられればよかった。頑張って話しかけたって、冷ややかな目で見られることはわかってたはずなのに。 「墨玲さんに聞いたけど、撮影見に来るんだって?」 「――ああ、うん」 「何で僕に構うの? ストーカー? 迷惑なんだけど」  墨玲さんと連絡を取り合っていたのなら、俺が倒れたことも聞いてるんじゃないの? 心配してほしいわけでも、優しくされたいわけでもないけど。なかったことにしないでよ。 「だってサク、墨玲さんのこと利用するつもりなんでしょ?」  でも残念。サクの思い通りにはならないよ。墨玲さんはサクに一目惚れしたけど、男としてのサクは好きじゃないんだって。靴を履き替えたサクが、気怠げに靴箱へともたれかかる。 「利用、って――人聞き悪いなぁ」 「墨玲さんに近づいて柊を見返そうとしてる。違う?」  サクの片思いは、サクと柊の問題で。墨玲さんを巻き込むのはズルだ。柊を許す必要はないけど、こんな形で柊とのつながりを続けるのは、ずるい。 「僕が墨玲さんとどうこうなったらダメなの? 僕は男で、相手は女。別に血がつながってるわけじゃないんだし、いいでしょ」  墨玲さんの気持ちも知らないくせに。異性だからいいとか、血縁じゃないからいいとか、そんな普通の言葉をサクから聞きたいわけじゃない。 「それとも何? ミミナ、僕のこと好きになっちゃった?」  嘲るように笑って、俺を通りすぎる。でもすぐに気配が止まって、だから俺は振り向けない。 「そんなわけないかぁ。ミミナは中性だもん。男の僕も、女装してる僕も、恋愛対象外でしょ?」  俺の心に言葉を刺して、サクはそのまま去っていく。ズタズタだ。心が。今さらになって痛みが押し寄せてくる。  魔法がとける。サクが俺にかけた魔法が。心が明るくなって、前向きになれる、ハッピーな魔法。とけたあとに残るは小さな石ころ。握りしめたらたぶん痛い。磨いても輝く保証はない。蹴り飛ばしたらどこに行くんだろう。どこにも行けないかもしれない。  チャイムが鳴る。予鈴だ、そう頭が理解する。踵を返して歩き出す。自分の教室へ、歩き出す。

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