「そんなにわかんないもん?」 「わかんないよ、だって髪とか真っ黒だし」 「ああ、アレね。カツラだよカツラ。地毛でピンクとか頭皮に悪すぎるし」 言いながら歩き出すから慌ててついて行く。本当にサクなんだろうか。俺はまだ夢の中にいて、悪い夢でも見てるんじゃないだろうか。 「昨日はごめんね。何も言わずに帰っちゃって」 「ううん、俺のほうこそ――」 言いかけて言葉に詰まる。謝って許されること? 俺が柊に余計なこと言ったから、柊はサクにあんなひどい言葉を浴びせたんだって。それでサクが別人になって、そんなの、謝ってどうにかなること? 「でも、ミミナの言う通りだったなぁ。魔法はいつかとける。呆気ないぐらい、あっという間に」 魔法がとけた? だからサクはピンクじゃなくなった? あんなにキラキラ輝いてたのに。柊を好きな気持ちは、消えちゃったの? 「今日は一応、約束してたから来たけど。もう僕はサクじゃないから。ウソツキの会は解散、ミミナとももう会わない」 悲しいという感情だけが浮かんでは沈んでいく。でも俺がしたのはそういうことだ。サクを傷つけた。俺が傷つけた。しかるべき報いなんだろう。 「バイバイ、ミミナ」 最後に俺の目を見て、サクは俺を置いて走り出した。自然と足が止まる。 サクは足が速いから、追いつかない――ううん、そういう問題じゃなくて。追いかけてくるな、って。サクの目が言ってた。 友達だって思ってた。サクと一緒にいると、いつも楽しかった。俺にも魔法をかけてくれた。嬉しくて、幸せで。 この魔法もいずれとける。だったら早くとけてよ。サクでいっぱいの心を解放して。もうサクはいないんだから。サクは、サクじゃないんだから。 サクがいてもいなくても時間は進む。今日は水曜。あれから二回目の、水曜。 今日の体育は水泳の授業で、上下セットの水着でプールサイドに並ぶ。――サクもこういう水着だって、泳ぐのは苦手だって、言ってた。 「鳴本先輩から聞いた? あたしを振ったって」 木曜の女が小声で話しかけてきた。いわゆる普通の女子の水着を着ている、木曜の女。柊は男で、柊に片思いしてたんだから、普通に女ってことなんだろうな。 「まあ、ちらっと」 「瀬戸見さんも振られたの? だから最近、鳴本先輩に会ってないの?」 友達でも何でもないのにグイグイ訊いてきて嫌だな。俺が柊を好きだって思い込んでるのも嫌だけど。 実際あれから会ってないし、連絡も取り合ってないから、振られたと思われても仕方ないのか。 「柊が言ってたけど、鳴本先輩って呼ばれるの嫌いなんだって」 「知ってる。だからわざとそう呼んでたの。その他大勢のどうでもいい女になるぐらいなら、嫌われたほうがマシ」 ちょっとした反撃のつもりだったけど、思いのほか本気の返しで戸惑う。その他大勢になりたくない。サクもそう言ってたっけ。 「日崎先輩も振られたんでしょ? だから、男に戻った」 サクの名前を出すのはやめてほしかった。でもそうか、サクは戻ったのか。 さっきの理屈で考えると、男の柊を好きなサクは女だった、ということになる。柊を好きじゃなくなったサクが女の格好をする理由はない。 でも俺は、女子の制服を着るサクがサクだと思っていた。ピンクの髪をふわふわさせて、俺にまでかわいこぶる、あざといサクが、サクだと思ってたから。 体育教師が笛を鳴らす。俺の番が来たみたいだ。木曜の女との無駄話はなかったことにして、プールに入る。 何も考えず、ひたすら泳げば。少しは気が晴れるのだろうか。笛の音を合図にプールの壁を蹴る。少しだけ体が、自由になった気がした。
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