我々はニンゲンである。
第五話 謎のキスである。-3

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 いったん柊を追い出して、試着して、そのまま着て帰ればいいと言われたから、着てきた服をNARUMOTOの紙袋に入れさせてもらって、有難くプレゼントとしていただいた。  もちろん、交換条件ものんだ。八月中、たったの週一回の出勤で普通のバイトよりよほどお給料がいい。  さすが天下のNARUMOTO。それに見合う働きを求められるのは、少し荷が重いけど。  社食のカレーをごちそうになって、柊と二人でスタジオに戻ったら、もう片付けが始まっていた。しまった。映像の撮影を見逃してしまった。  ――まあ、いいか。サクと墨玲さんの妖しい世界を見せられても、息がしづらくなるだけだから。 「あれー、柊くん!」  このまま帰ったほうがいいのかな、とか。でも関係者証、墨玲さんに返さなきゃだし、とか。そもそもこれないとビルの中うろうろできないから、返すとしても出てからだよな、とか。いろいろ考えていたらカメラマンが柊に気づいて寄ってきた。 「今日もイケメンだねぇ! また背ぇ伸びた?」 「もう伸びないっすよ」 「いやぁ、お父さんから男のモデル入れるって聞いたときは、ついに柊くんの男前っぷりが世間に知れ渡るぞ! って思ったんだけどなぁ」  カメラマンは両腕を組みながら、柊から遠くへ視線を移していく。そこには墨玲さんとサクがいて、スタッフの人たちと何か話しているようだった。 「彼も素晴らしいよ。柊くんの、うっすらと漂う闇もいいんだけど、彼の場合は闇を抱きかかえてるっていうか。自分の闇を大切にしてる感じがいいんだよねぇ」  ……たぶん、褒めてるんだと思う。褒め言葉に闇を使うのなんてカメラマンぐらいだろうけど。でもちょっと、わかる気がする。  柊の闇は漂っていて、それはきっと誰かに気づいてほしいからだ。サクが闇を大切に抱きかかえているのは、誰にも触れられたくないからだ。 「じゃあ柊くん、お父さんによろしくー」  豪快に柊の背中を叩いて、カメラマンはスタジオを後にした。柊は苦笑い。俺もつられて苦い顔になる。  柊が社長って呼んで、カメラマンとか俺がお父さんって呼ぶのも、変な感じだよなぁ。 「ミミナさん」  墨玲さんがサクを引き連れてこっちに来る。柊が隣にいるけどいいんだろうか。そもそも柊と墨玲さんが一緒にいるとこ初めて見るけど、やっぱりどこか気まずかったりするんだろうか。 「お疲れ様です」 「ミミナさんもお疲れになったでしょう。――その服」 「姉さん、ちょっといい? 来月のことで話あるから」  墨玲さんの返事も待たず、さっさとスタジオから出て行く柊。サクから逃げる気か。だったら俺も逃がしてよ。  ぺこり、会釈して俺を通りすぎていく墨玲さん。サクの視線を、全身に痛いほど感じる。 「その服、NARUMOTOだよね」 「……あー、うん。柊が」  説明しようとして言葉に詰まる。柊がくれた、だけじゃ説明が足りない。バイトの交換条件で――うまく説明できそうにない。 「へえ、柊が。ラブラブじゃん」  誤解不可避。とはいえ、この誤解をといたところで。意味なんてあるのかな。サクと俺はもう友達じゃないし、柊を好きなサクはどこにもいないのに。 「撮影の途中で抜け出して、柊とイチャイチャしてたんだ?」  イチャイチャなんてするわけないじゃん。たしかに、すぐ戻らなかったから誤解されても仕方ないけど。柊がお腹すいたって、お昼まだだって言うから、付き合いで社食に寄ったら遅くなっただけで。  ていうか。サクにもらった黒いベスト着てるときはツッコんでくれなかったのに。何でNARUMOTOの服にはツッコんでくるの?  魔法はとけたんでしょ? だったらもう柊にこだわる必要ないじゃん。  心の声は心の声のまま、口から出てきてはくれない。何を言っても届かない気がして、伝わらない気がして。口が重い。 「まあ、僕には関係ないけど」  俺が何も言わないから、つまらなくなったんだろう。サクが俺を置いてスタジオから出て行く。NARUMOTOの服を着て、自分の闇を大切に抱きかかえて。  ……帰ろう。ここにいたって何もできないし、何の意味もない。  関係者証はまた今度、墨玲さんが留学から帰ってきたときにでも渡そう。墨玲さんとのツーショットは撮れなかったけど、NARUMOTOの服を着て帰ったらお母さんも喜ぶだろう。  泣くな。サクがかけた魔法はとけたんだから。サクの言葉で、反応で、いちいち傷つくな。  サクにどう思われたっていいじゃん。サクとはもう、何の関係もないんだから。

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