イナルモノ
花ほころびし、三月某日。(1)

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 超異能力特務隊に配属されたとはいえ、あくまで、キョウヤとトシヒコは学生である。平素は最寄りにある中学校の二年生として、勉学に励んでいる。無論、帝都の危機があれば学校を抜け出さねばならないこともあるのだろうが、幸いにも、今にいたるまで、そういった事件は起きていない。 「あと、ひと月もすれば三年生か」  授業を終えた教室で帰り支度をしながら、トシヒコが感慨深そうにこぼした。 「おまえとの付き合いも、三年ほどになる」 「ああ、そうか。まだ、そんなものだったか」  少し意外な気持ちになって、キョウヤは教壇へと目を向けた。 「おまえが来てからは一日一日が長いようで、どうにもおかしな気分だよ」  トシヒコは、キョウヤが中学一年生のころに、この帝都へとやってきた。年月だけならば決して長いとはいえないのだが、ともにハルオミの助手をしていた分、キョウヤにとっては短いともしがたい付き合いである。これを素直に告げれば、「違いない」と、トシヒコも目を細めた。 「今日も定刻どおりに探偵社へ行けばいいのか?」 「それで頼む。目を離すと、あの人はすぐにミルクホールだのカフェーだのへと行ってしまう」 「仕事も増えているだろうに、本当にしかたのない人だな」  呆れまじりに笑い、キョウヤはトシヒコの苦労を思った。探偵社の所長と超異能力特務隊の隊長を兼任するようになって、ハルオミは以前よりも、ずいぶんと忙しくなったようだった。探偵社には、依頼人にまぎれて帝国議会の人間が出入りし、所長室の電話はひっきりなしに鳴る。丸一日、所長室から出てこないということも、しばしばあった。  しかし、これに油断をしていると、ハルオミは得意の瞬間移動で姿をくらませてしまう。仕事を放りだし、行きつけの店でアイスクリイムやらフルーツやらに舌鼓を打っているハルオミを見つけだしたときには、キョウヤもトシヒコも言葉を失ったものである。当人には反省の色など一切ないのであるからして、まったくたちが悪い。  その後は、探偵社へと帰るトシヒコと一度別れ、キョウヤは自らの帰路へと着いた。モノベ邸の門をくぐり、庭を横切っていく。庭木の梅はすっかりこぼれ、桃のつぼみがほころび始めていた。このところは大分暖かくなってきて、よく手入れされた庭は萌葱色の若葉で彩られるようになった。外から屋敷へと帰ってくる度、忙しなく働く園丁えんていの姿を見かける。それと同時に、昨年までは絵空事でしかなかった光景が、度々キョウヤを出迎えるようにもなっていた。 「キョウヤ、おかえりなさい」  あたたかな日差しの中で、チヨコが笑う。その手には、幾本もの菜の花が握られていた。キョウヤは「ただいま」と笑みを返しながら、学帽を取った。 「その花はどうしたんだい」 「園丁のタキさんにもらったの。きれいでしょ」  タキは、今年で三十を数えるモノベ家の庭師だ。物腰のやわらかい真面目な働き者で、大変な愛妻家でもある。以前から、チヨコのためにと庭で咲いた花々を生けてくれていたのだが、はたして、この庭に菜の花などはあっただろうか。キョウヤが怪訝に思っていると、チヨコは言った。 「タキさんの家の近くに咲いていたのだって」  チヨコの生まれは、帝都から遠く離れた田舎町であった。こんな豪奢な屋敷の庭園とは、ほとほと縁のないような家で暮らしていた。それだから、こういった野に咲く花の類は、チヨコも親しみを覚えるのだろう。目にも鮮やかな黄色い花に顔をうずめるチヨコの頬は、少し赤みが差している。 「よかったじゃあないか。タキには礼を言ったかい?」 「うん。お礼に、チヨの折ったお花もあげたの」 「そうかい。それはタキもよろこんだろう」 「とっても」  うなずいたチヨコの耳もとで、赤い耳飾りが光る。キョウヤがトシヒコと贈ったあの日以来、チヨコはほとんど肌身離さず身につけているようだから、きっと気に入ってくれたのだろう。キョウヤの口もとも、自然とゆるむ。 「せっかくだ。花がしおれてしまう前に生けてこよう」  おいで。と、手を差し出せば、ためらいなく重ねられる細い手。けれど、そこには以前よりも、たしかに生の力を感じ取ることができた。  ハルオミから渡された薬を飲むようになって、チヨコの容態は見違えるほど良くなった。初めこそ、屋敷の中を歩き回るだけだったものの、近ごろでは庭先に出てもなんら支障がないほどである。一体全体どうやって手に入れたのだと尋ねれば、ハルオミは「ちょっとしたずるをしたのさ」と、笑っていた。犯罪ではない、けれど誰もが望みながらも決してできないことでね――  それ以上は語る気がないのか、ハルオミはぼんやりとタバコをふかしていた。トシヒコもそうだが、やはりハルオミも不思議な男だった。  そもそも、キョウヤとハルオミとの出会いは、四年前。町を焼き払った炎が未だくすぶる、チヨコの生家跡でのことだった。  そこは、避暑地として名の知れた小さな町で、高原の空っ風が心地よい、緑豊かな土地だった。キョウヤの物心がつく前から、モノベ家は夏になるとそこへ行き、しばしば所有する別荘に滞在していた。キョウヤはその町でチヨコと出会い、夏がくる度に家を訪ねていったものだった。  というのも、キョウヤはチヨコが生まれたときから知っている。もともとは、産気づいたチヨコの母親を病院まで連れて行ったのがきっかけであった。  当時の暦は二月。本来ならば、キョウヤが町にいるはずのない時期ではあったのだが、大地をすっかり覆い尽くすほどに降り積もった雪など、帝都では見ることができない。北国の出身であった父キヨシは、これを大層残念がっており、あるとき、思い立ったようにキョウヤを冬の高原へと連れ出したのである。  今も、鮮明に覚えている。生まれて初めて立った雪原の広さと静けさを、生まれて初めてふれた赤ん坊の小ささとあたたかさを。 「きみが、キョウヤくんだね」  かつて焼け跡で出会ったハルオミは、ぐったりとするチヨコを腕に抱えて言った。 「彼女が、ひたすらに繰り返していたよ。助けて、と――キョウヤ助けて、と」  自身の暴走させた能力が、助けを求めた相手から借りているものであるなどとは露とも知らず、チヨコはキョウヤの存在にすがろうとしていた。火の出所がチヨコによる超異能力であるなら、真っ先に被害者となったのは、その家族であったに違いない。友人も少ないチヨコには、きっと、ほかに頼れるものがなかったのだ。  このとき、キョウヤは煤けたチヨコの顔を見つめながら、思った。この小さく、あたたかで儚い存在を、今度こそは自分が助けてやらねばならないと。そのためにできることならば、どのようなことでもやってみせようと。  菜の花というのは、どうにもにおいが独特で、百合などのようなかぐわしいものとは言いがたい。けれど、手ずから花を生けていくふたりの間には、談笑が絶えなかった。菜の花のにおいを、ぷんと漂わせ、軽やかに言葉を交わす。 「飾る場所はどこにしようか」  キョウヤがそう口にしたのなら、チヨコはたのしそうに「あのね」と言った。 「チヨ、お屋敷中に飾りたい」  お屋敷のあちこちに飾って、どこもかしこも菜の花畑にしたいのだと、チヨコは無邪気に笑う。これまで、チヨコの世界といえば、キヨシから宛がわれた、かつての客室だけだった。狭い窓に切り取られた外を見るだけの、小さな世界。それが、今や、モノベ邸全体にまで広がっている。チヨコが、自分の目に映る世界を花で埋め尽くしたいと願ったのかはわからない。ただ、花が好きなチヨコらしい願いだと、キョウヤは笑った。 「そうかい。それじゃあ、花瓶をもっと用意しなくてはね」  キョウヤは通りがかった女中を呼び止めて、屋敷中の花瓶をあるだけ持ってくるよう頼むと、生けられた菜の花を見つめた。  千代紙で折られた色とりどりの花も、世界を白で染めあげる雪も、鮮やかに咲いた菜の花も――チヨコが望む世界は、いつだって、うつくしいものであふれかえっている。女子であれば、あるいはそれは当然のことなのかもしれない。しかし、キョウヤは思うのだ。チヨコのそういった願いを聞くたびに、どこか物悲しい気持ちに駆られ、思うのだ。チヨコはまるで、あの日の焼け跡を塗りつぶそうとしているかのようだと。  そう思えばこそ、菜の花のにおいの、どれほど芳しいことか。あの焦土のそれとは、比べものにならない。たまらず、キョウヤは眉根を寄せた。 「おチヨ」 「なあに、キョウヤ」  ほの暗い影など、微塵も感じさせぬ声が返る。 「きみは今、幸せかい」  キョウヤは知っている。今も、たびたび夢にみるほど、チヨコの幼い心は深く傷ついている。そしてそれは、自分と通い合ったがゆえに起こしてしまった惨劇だ。あるいは――そう、あるいは――チヨコとキョウヤが出会っていなかったのなら、キョウヤが、存在していなかったのなら、 「チヨは幸せよ」  チヨコが言った。 「キョウヤに会って、ハルオミやトシヒコに会って、今こうして一緒にいられることができて、チヨは幸せよ」 「そうか」 「そうよ」  花瓶に生けたばかりの菜の花を、細い手が短く手折る。チヨコは、うんと背伸びをしたかと思うと、キョウヤの胸ポケットにそれを差した。白いかんばせが、笑みを浮かべる。 「キョウヤ、お花のにおい」  きっと、それはたわむれであった。キョウヤの錯覚であった。けれど、あどけなく紡がれた言葉が、声が、音もなく、キョウヤに語りかけてくる。だから、もういいのだと。笑ってほしいと。あの、おそろしい世界は、もうここにはないのだからと。  まさしく、救われる思いだった。錯覚であって、戯れであっても、チヨコが浮かべる笑みに偽りはない。キョウヤは、伸ばした指先で花瓶の花を折った。チヨコのつややかな髪へと差してやれば、黒に菜の花の黄色が、とてもよく映える。 「これで、おそろいだ」  キョウヤが笑うと、チヨコもまた笑った。あの鼻を覆いたくなるような凄惨なにおいは、このモノベ邸のどこからも漂ってはこない。鼻をくすぐるのは、菜の花のそれだ。チヨコが望む世界は、あるいは、キョウヤの望む世界と同じであったのかもしれない。今さらながらに思って、キョウヤはふと笑みを深めた。

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