「やっと一息か?」 問いかけたのは大自在天。 「ほんとうに、やっとですよ」 ふぅっと息を吐き出し、技芸天が応える。 なんとか帳尻合わせを済ませ、ふたりを旅立たせる事に成功した技芸天が、遠見鏡からじっとふたりを見つめている。その後ろで大自在天がぽそりと言う。 「手間がかかったのは、其方がやりすぎたからだろう。これに懲りて、もう無茶はしないことだな」 大自在天が、暗に夜盗のことを嗜めているのがわかる。あの惨事さえなければ、澪月がここまで悩むことはなかった。気持ちが通い合った段階で、もっとすんなりと事は運ぶはずだった。 でも、それに気づいたところで、素直になれる技芸天ではない。 「だって、ずるいですよ」 むっとしたように振り返り、大自在天を恨めしげに見上げる。 「私は、彼らに直接話しかけちゃいけないなんて、知らなかったんですからね」 人間界に立ち入る為には「依り代」が必要。けれど、当の「依り代」に託宣を与えてはいけない。その約束事を大自在天が口にしたのは、夜盗の件があった後、尚且つ、武と幼い大内氏を引き離した後だった。 「小出しで教えるなんて、意地が悪すぎます!」 言い捨てて、プイと顎を逸らせる。その子供みたいなむくれ方に、大自在天がくつくつと笑う。別に意地悪をしたつもりはなかったけれど、確かに生まれたばかりの技芸天に、それはちょっと可哀想だったかもしれないなと思ったりする。 そんな大自在天の思惑に気づけない技芸天は、思いっきり口答えをしているのに、いつもの御小言がないことをいぶかしむように、ちらりと大自在天を見上げる。その顔が、怒っていないことを確認して、ぽつんと問いかける。 「でも、なんで彼らに「寄り代」だって、言っちゃいけないんですか? 直接話せないなんて、面倒くさすぎます」 ぶつぶつ言って、唇を尖らせる。 「慢心した者の行く末なんて、たかが知れているとは思わないか?」 「慢心するかどうかなんて、人によるでしょう?」 「人の手に余る力は過信を呼ぶ。慾というものにはキリがないからな」 「過信だなんて! 彼らは自分達の力を嫌ってるじゃないですか。せっかく私が与えた術を喜ぶどころか、むしろ疎んじてますよ!」 「それくらいで、調度良いではないか」 大自在天の躊躇いのない言葉に、技芸天が眉を顰める。 「天才にとって、その天賦の才は、然程のものではない」 それはずっと前に、技芸天が口にした言葉だった。そのことを思い出し、技芸天の唇が「あっ」と言った感じでパクンと開く。 「だからこそ、其方はその「才」を守るべく、「依り代」を得たのではなかったか?」 天賦の「才」を持った人間は、その「才」におぼれるあまり、増長し大成することなく生を終えてしまうことがある。 傍の人間が苦渋を乗り越え手にする技を、何の苦もなく手に入れている世に言う「天才」は、その技に執着しない。ほんの些細な躓きで、いとも簡単に与えられた「才」を手放してしまう。類稀なる「才」が、より高みへと向う前に朽ちようとする。 そのことを惜しんだ技芸天は、彼らの「才」を一度封印し、彼らの「才」への渇望が最大限に昂まるのを待ち、再び目覚めさせる方法を思いつく。そして、その「きっかけ」を与える存在として、「依り代」を探したのだった。 「彼らも同じ人の子。それでも彼らなら、自身の不思議が神から使わされた力と知っても、決して驕ることはないと、其方は言い切れるのか?」 大自在天の言葉にしゅんと肩を落として、技芸天がもう一度、遠見鏡を見つめる。 比翼の鳥が、天翔る。見下ろす地上には、何処へともなく走る駒がいる。 「何処、……いくん?」 「何処でもいいやろ?」 澪月の不安げな問いかけに、武が明るく応える。 「ふたりで静かに暮らせるとこ、探そうや」 手綱を引き寄せる武の声に、駒のいななきが続く。雲雀の囀りが、蒼空に木霊する。 「俺らなら、いつか見つけられる。時間はうんざりするほどあるんやから」 振り返る武を見上げ、澪月がこくんと頷く。きゅっとしがみつく澪月の手を握り締め、武が前を向く。駒の足並みを揃えさせ、彼方へと走り出す。 それから数年後、揚知客は混乱が続く都を離れ、大内氏と共に周防へと移り住んでいた。 遅れて出立するはずだった長倉は、戦火に巻き込まれ故郷へと逃げ落ちていた。長倉の安否を気遣いながら、待つこと十年余り。揚知客は宇治の館が焼け落ちたことを、訪ね来てくれた慧鳳より伝え聞く。 待つことを諦めた揚知客は、名前を雪舟と改め、自身の夢を長倉の願いと重ね、画聖への道を直走る。遣明船の遭難を身をもって体験しながらも、ゆるぎない情熱で憧れの地への渡航を実現させる。 一方長倉は、一時の逗留のはずだった故郷で、後嗣の絶えた長倉家の家督争いに駆り出され、画壇への道は閉ざされていた。それでも、長倉の夢の萌芽は深々と根付き、その夢は、やがて子孫へと受け継がれていった。 周防の国には雲谷庵。 遠くはなれた東国美春には雪村庵。 共に多くの作品を、後の世に伝えた。 トントンと、機織る音のように単調に、玉響が聞こえる。 それは雅な、もうひとつの御伽草子。夢の逸話。 今は昔、桜の皇子ありき、と綴られる。(了)
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