洛陽の月
決意表明

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 京都星章戦を翌日に控えた前夜、部員全員が食堂に集められた。  六十三名のうち、ベンチ入りメンバーは既に知らされていたので、この日は大葉監督直々にスターティング・イレブンを発表する、いわば景気づけの儀式である。  ミーティングルームでは手狭で、部員全員が入りきらないために食堂で行うようになってから、やけにピリピリとした緊張感が室内を満たすようになった。本来は和やかであったはずの先発選手発表の場であるが、緊迫した試合中以上に喉がひりつくような重たい空気が流れるようになったのには明確な理由がある。  食堂の椅子とテーブルを横に退け、体育座りする選手たちを後方から睨みつけるように、寮長である李軍曹が仁王立ちしているからである。部員の誰もが鬼のような形相で佇む李軍曹が恐ろしくて微動だに出来ぬなか、大葉監督は普段と何ひとつ変わらず、仏のような笑みを浮かべている。 「おやおや、皆緊張感のあるいい表情をしていますね。頼もしい限りです」  部員の大半がそれは違う、と暗に否定するかのように首を横に振った。 「三年生の中には夏のインターハイを最後に引退するものもいるでしょう。試合に出場するものは洛陽高校サッカー部の代表なのだという自覚をもって試合に臨んでください。試合に出られなかったものは悔しいでしょうが、試合に出る選手を一緒に応援しましょう。泣いても笑っても、ここにいるメンバーでサッカーが出来るのは、あとわずかです」  大葉から笑顔が消えた。 「では、明日のスターティングメンバーを発表します。ゴールキーパー・西田君、背番号1番」  二年生の西田が立ち上がり、小さく一礼した。スタメンに選ばれても派手に喜ばないのは、三年生の控えゴールキーパーである志木に遠慮したからだろう。  権丈は志木の様子をちらりと確認した。いつもと変わらぬ柔和な笑顔で拍手しているものの、清々しい表情の裏に悔しさが渦巻いていないはずがない。 「右サイドバック・堀君、背番号2番。左サイドバック・坂井君、背番号5番」  ディフェンス陣の両翼はいぶし銀のプレーが光る三年生コンビだった。両者はゆっくりと立ち上がり、軽く右手を上げる。選ばれて当然、そんな自信に満ちた態度だった。 「センターバック・橋本君、背番号3番。同じくセンターバック・石塚君、背番号4番」  先発に選ばれた二年生コンビの橋本と石塚が同時に立ち上がり、深々と礼をした。座り直した時にお互い拳をこつんと合わせた。 「ボランチ・平岡君、背番号6番」  立ち上がった平岡は夕食後にも関わらず、トレードマークの黒縁眼鏡をかけてはいなかった。おそらくコンタクトをつけっ放しにしているのだろう。闘争心を表に出さない平岡にしては珍しく、前日から早くも臨戦態勢のようだった。 「お通夜みたい雰囲気だから一言いいですか」  大葉が手のひらを上にして、どうぞ、という仕草をした。 「明日の先発メンバーに関しては、おそらく納得のいかないものもいるかと思います。この人選は主将の権丈を差し置いて、俺が独断で決めました」  平岡は淡々と喋っているが、唐突な独白に部員たちがざわつき始めた。 「身勝手だったことは謝ります。ですが、この人選をした理由は唯一つ。こいつは最後まで倒れずに月まで走れるか。その点だけを考えて、最良のメンバーを選んだつもりです。俺は最後まで走りきれないかもしれませんが、その代わり絶対に月まで導きます」  平岡らしからぬ意外な長広舌に、権丈は思わず平岡を見上げた。 「試合に出るものも出ないものも関係ない。一緒に月を目指し、走りましょう」  言いたいことを言い終えると、平岡は周囲の反応を確かめることなく、すっと床に座った。呆気にとられたのか、部員たちはおろか監督の大葉さえも反応できないようだった。  しばらくの間、静寂が食堂を覆い尽くした。その静けさを打ち破るように最後列から大きな拍手が響いた。権丈が振り返ると、寮長の李が大きな手が真っ赤になるほどに拍手をしているのが見えた。 「よく言った、ヒラオカ。君は素晴らしいフットボーラ―だ」  李の称賛に呼応するように、室内に割れんばかりの拍手が響いた。 「素晴らしい決意表明でした。明日は冷静に、そして誰よりも熱いプレーを見せてください」  大葉も手を叩き、平岡を称えた。平岡の横に座る志木がしきりに肩を叩いている。まだ先発発表の途中だというのに熱いものが目からこぼれ落ちそうで、堪えるのに苦労した。 「では続けます。右サイドハーフ・小峰君、背番号16番」   一年生、それもセレクション組ではなく一般入部組の抜擢に一斉にどよめきが起こった。小峰史郎は立ち上がり、何かを話そうとするが両膝が震えている。 「い、い、命を懸けて、つ、つ、つ、月まで走ります!」  意欲的なコメントと緊張を隠し切れない態度とのギャップに笑い声が巻き起こった。 「はい、死なない程度に頑張ってくださいね。期待しています」  大葉が飄々と言い、食堂内がどっと沸いた。 「左サイドハーフ・兵藤君、背番号9番」  拍手に交じる笑い声と共にすくっと立ち上がった兵藤はどことなくばつの悪い顔をした。 「言おうとしていたコメントを小峰に盗られたんだが……」  兵藤が小峰をじろりと睨むと、小峰はすいません、すいません、と平謝りを繰り返した。 「明日は京都星章のゴールをこじ開けてやる。左サイドは俺の庭だ!」  コメントを言い終えてもなかなか座ろうとしない兵藤に、面白半分に囃し立てる歓声が降り注いだ。満足げな表情を浮かべた兵藤は床の上にどすんと腰を下ろした。 「はい、明日の左サイドは兵藤君が制圧してくれるそうなので安心して見ていられそうですね。期待しています」  大葉がはんなりコメントを交えると、食堂はもはやお祭り騒ぎのようであった。 「では続けて、センターフォワード・黒田君、背番号11番」  ポジション順であれば次は自分が呼ばれるはずであったのに、先に黒田が呼ばれ、動揺した権丈が思わず大葉を見上げた。締めの言葉をどうしよう、などと考えていると、部内最長身の黒田がゆっくりと立ち上がった。  なにかしらの決意表明をする流れをあっさりと断ち切った黒田は、大葉に向かって丁寧にお辞儀をするだけにとどめた。その大きな背中が「言葉は要らない、男は黙って背中で語るものだ」と、かくも雄弁に語っている。  大葉は大葉で、あえて何も語らぬ黒田に対して感じるものがあったのだろう。黒田が着座するのを見届けてから、ようやく口を開いた。 「頼りにしていますよ、黒田君」  こちらはこちらで、無条件の信頼を匂わせる口数の少ないコメントだった。 「さて、衛星役セカンドトップ・東条君、背番号14番」  小峰に続いての一年生の抜擢であったが、小峰が呼ばれた時ほどのどよめきはなかった。前キャプテンである東条俊一の弟であることは周知の事実であり、公式戦での実力は未知数ながら、どこかしら起用は当然視されているような空気が流れていた。  東条圭がひょいっと立ち上がったが、座っている黒田とそう変わらぬ高さであった。 「黒田先輩の陰に隠れて、こっそり点を取りたいと思います」  しゃあしゃあと言い放ち、あっさりと座り直した。童顔に似合わぬ強心臓ぶりに大葉監督も驚いたようだ。一瞬、返答に詰まった。 「はい、黒田君の陰に隠れないほどの大活躍を期待します」  あれで黒田の後ろに隠れているつもりなのだろうか、圭は黒田の後ろで頭を抱えて縮こまり、大葉への返事代わりに右手だけを高く上げた。ああいうちょっとした仕草に可愛げがあるから、一年生ながらにレギュラー起用されても波風が立たないのだろう。 「最後にトップ下・権丈君、背番号10番」  ポジション順ではなく、主将が最後に呼ばれるシステムであったらしい。最後に呼ばれた権丈は申し訳なさそうな顔をして立ち上がった。 「本当にみんなが頼もし過ぎて、俺がいちばん情けないなって思うことが多く、なんで俺がキャプテンをしているんだろうと常々思っていました」  権丈が頬を掻きながら、素直な心境を吐露した。 「一年生は直接には知らないかもしれませんが、去年のチームのキャプテンは東条君のお兄さんが務めていて、部員の誰もが尊敬する偉大な先輩でした。最後の試合、俺がPKを外して負けました。そんな俺に東条先輩はキャプテンマークを巻いてくれました」  権丈は右手を伸ばし、そっと左腕に触れた。 「どう足掻いても追いつけない雲の上の人だけど、俺はあの日、東条先輩から何か大切なものを貰った気がしました。俺も雲の上に浮かぶ月を目指して、死ぬ気で走り抜きたいと思います。明日は勝ちましょう!」  権丈が言い終えると、李軍曹と大葉監督が揃って拍手をした。 「ゴンタケ、君はシュンと同じ、気高い魂を持ったフットボーラ―だよ。エクセレントだ」

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