入部テスト期間も折り返しを過ぎた頃、当初は三十名以上いた入部希望者は日を追うごとに脱落し、今日の練習日に姿を現したのは十名をわずかに超す程度までに減っていた。 恒例の二十周走のタイムトライアルを終えてから、練習メニューは二、三年生を交えたミニゲームへと移っていた。 二十周走を免除されているセレクション組は二年生の輪に加わり、四対二のミニゲームで激しくボールを奪い合っていた。 「史朗と圭、お前らこっちに来い」 兵藤が正式入部前の小峰史郎と東条圭に向かって手招きした。 一年生の顔と名前をすでに把握している兵藤を仰ぎ見て、権丈はしきりに感心した様子で首の後ろを掻いた。 「うす、よろしくお願いします」 少し前に10㎞を全力で走ってきたとは思えない涼しい顔で、小峰は兵藤の元に馳せ参じた。肩で息をし、よろけつつ歩み寄った東条圭は今にもグラウンド上に倒れそうなほど青白い顔をしている。 「東条君、大丈夫? きつかったら、ちょっと休むといいよ」 兵藤と違ってフレンドリーに新入生を名前で呼べず、かといって尊敬する東条俊一の実弟に対して、のっけから「おい、東条」などと呼び捨てにできない権丈には、先輩らしい威厳はどこにも備わっていない。東条圭は両膝に手を置き、ぜえぜえと苦しげな呼吸を繰り返している。 「お前、キャプテンをシカトしてんじゃねえよ」 小峰史郎が圭の尻に向かって遠慮のないローキックを繰り出した。衝撃で思わず前方へつんのめった圭は、金魚のように口をパクパクさせ、恨めしそうに小峰をじろりと睨んだ。 「二人はずいぶん仲が良いんだね」 「いえ、ぜんぜん仲良くないです」 小峰史郎が全力で否定した。ようやく息が整った東条圭もこくこくと頷く。 「こいつとは小学校の時、同じクラブだったんですけど。なんでお前が受かるんだっていうぐらいの酷い出来だったのに、こいつだけ京都U―15のセレクションに受かったんです」 小峰の棘のある話しぶりを聞くに、小学六年生の終わりに二百人ほどが受けた京都U―15のセレクションで十二人のうちの一人に選ばれなかったことをいまだに根に持っているであろうことは明白だった。 「京都選抜のエリートボーイがなんで洛陽に一般入学で来たんだ」 他人に誇るような選抜歴のない兵藤は日頃自らを無印良品と吹聴しており、エリート面したセレクション組の鼻をへし折るのを密かな楽しみにしている悪趣味な一面があった。 露骨に喧嘩腰の口調になった兵藤を見て、権丈は内心、この場をどう丸く収めようかと冷や汗をかいた。 「去年の夏に監督からユースは厳しいって言われて」 東条圭はあっけらかんとした口調で答えた。 圭は中学生時代は学校の部活動チームではなく、京都を本拠地とするプロサッカークラブの下部組織に所属していたが、高校生になるにあたって、ユースチームへの昇格が叶わなかったという。 日本サッカー界の頂点に位置するプロサッカーリーグ、通称Jリーグの下部組織には、小学生年代のジュニア、中学生年代のジュニアユース、高校生年代のユースがあり、最終的な目標はトップチームへの昇格である。 プロサッカー選手を目指す才能ある子供は、下部組織の選抜テストを受験するが、合格してもチーム内で熾烈な競争があり、次のカテゴリーに昇格できないことは多い。 セレクションに漏れたり、内部昇格が叶わなかった選手は中学校や高校の部活に活躍の場を求める、という流れも特に珍しいことではない。 「昇格できなかった理由は?」 口元に浮かんだ笑みを隠そうともしない兵藤が、ついでのように尋ねた。 「主に体力とやる気じゃないですかね」 悪びれた風もない率直な物言いに兵藤は思わず口元を押さえた。 「純粋に実力不足だと言われたわけではなく?」 「そうとは言われませんでした。実力を見てもらう機会もほとんどなかったですし」 圭は飄々と答えたが、それを横目で見ている小峰は苛立ちを隠せない様子だった。 「そろそろ練習しようか」 喜色満面の兵藤に権丈が告げた。 「圭、お前ポジションはどこだった?」 「ベンチと球拾いです」 真顔で即答した。 「左ウイングは?」 「やったことないです」 「合格。素晴らしい」 破顔した兵藤は圭の頭をぽんぽんと撫でた。自分のポジションを脅かす心配のない、表裏のなさそうな後輩にはいたって優しいのが兵藤流だ。 「俺は中学時代、サイドバック一筋でした」 圭ばかりに構っている兵藤に向かって、小峰史郎が自主申告した。 「ああ、ぽいな。っぽい」 興味なさげに兵藤が相槌を打った。 「体型もサイドバックっぽいもんな」 小峰は発言の意図を捉えかねたらしく、補足を求めるように権丈を見つめた。 「体力があるし、重心も低くて安定してそうだね……ってことだと思う」 「褒めてます、それ?」 「うん、絶賛。大絶賛」 胴部に比して、あまり長くはない自らの両足を眺めた小峰が眉をひそめた。 「要するに胴長短足ってことですか」 「違う違う、そんなこと言ってないから」 権丈が慌てて否定した。 「さあ駄弁ってねえで練習しようぜ。ちょっくら黒田と平岡呼んでくるわ」 兵藤は鼻歌を歌いながら、サイドラインの外で大葉監督と何やら言葉を交わしているセンターバックの黒田とボランチの平岡に駆け寄っていった。 「認めろよ、シロー」 東条圭が小峰の肩をぽんと軽く叩いた。 「うるせー、チビ」 「短足」 小学生のように低次元で罵り合う二人を見ながら、権丈はため息をついた。190cm近い長身を誇る強面の黒田がのそりと現れ、小峰と圭の頭を鷲掴みにした。 「お前たちはここに雑談しに来たのか」 ぴたりと私語を慎み、頭を掴まれた二人はその場で硬直した。ぷるぷると震えながら首を小さく横に振る。 「サッカーをしに来たんだよな」 黒田の脅すような低い声に、小峰と圭はまったく同時にこくこくと頷いた。 「練習態度がなっていないものはどんなにサッカーが上手くても、この部に居場所はないと思え。練習中、ずっと気を張っていろとは言わないが切り替えはきちんとしろ。いいな」 小峰と圭は二度、三度と大きく頷いた。 「分かったらとっとと散れ。ツータッチまでの四対二だ」 ようやく釈放された小峰と圭は一目散に黒田から離れた位置に逃げていく。黒田と正対する位置に立った圭はびくりと震え、そろそろと斜めに移動した。 「あらら、すっかり委縮しちゃったね」 黒田の背後で、ボランチの平岡が小さく笑った。 「こういうのは最初が肝心だ」 表情を崩さず、むっつりとしたまま黒田が言った。 「こういうときに強面って便利だよね。そういう点だと、クロがいちばんキャプテンに適任だったかもね」 「いいから散れ」 「はいはい」 平岡は芝生の上をゆっくりと歩き、小峰と東条圭の間の位置に割って入った。 「最初は俺と兵藤がディフェンスに入る。ミスしたら随時ディフェンスとオフェンスが入れ替わるから、そのつもりで」 権丈が生真面目に言い、散らばった四人の形作る円の中に入る。 遅れてやって来た兵藤がボールを足元に置いた平岡と向かい合い、ボールを奪うために一気に間合いを詰めた。 平岡は慌てもせず、足元のボールを左へとはたいた。 権丈がパス方向へ即座に反応し、ボールマンである圭にプレッシャーをかけに走る。 平岡をマークしに行った兵藤はリターンパスのコースを消すため、平岡に近寄ったままの場所に位置取りした。 圭はちらりと黒田の方を向き、視線に釣られた権丈が黒田へのパスコースを切るように動くのを見越してか、ワンタッチで向かい合う小峰へ浮き球のパスを通した。 兵藤が猛然とダッシュする。ボールの処理に慌てた小峰のトラップが大きくなり、こぼれたボールに猫並みの反射神経で反応した兵藤が易々と確保した。 「よしっ、代われ」 小峰がうなだれながら鳥かごの中に入り、入れ替わりで兵藤が外周に位置取りした。 「圭も代われ」 パスの出し手である圭に向かって兵藤が言った。 「僕もですか?」 目を丸くした圭は、トラップをミスしたのは小峰であって、自分は何ひとつミスしていないと言いたげだった。 「受け手のミスは出し手のミスでもある。自分がミスをしないためじゃなく、パスの受け手が次のプレーに繋げやすいようなパスを心掛けよう」 権丈が仏頂面の圭を諭すように言った。渋々ながらも鳥かごの中へ圭が入るのを見て、兵藤は右横に立つ黒田へ、早い球足のボールを送った。 黒田の右に立つ権丈、左の兵藤、正面の平岡はディフェンダーと重ならないよう、パスを通しやすいような位置に素早く移動する。ボールの勢いをいなした黒田は、ややもたつきながらも正面の平岡にパスを送った。 パスを受けた平岡はワンタッチで権丈にはたき、権丈はディフェンスの一年生二人がまともにマークに付ききれていないのを冷静に見ながら、ダイレクトで平岡にリターンした。 時折兵藤を間に挟みながら平岡と権丈の目まぐるしいパス交換が延々と続く。まるで目の前にディフェンダーなど存在していないかのような軽快なパスワークは二分近く中断せず、黒田がパスミスをするまでひたすらに継続した。 「よしっ、交代」 黒田とパスを受けようとしていた平岡が自主的に円の中へと歩を進めた。ようやく鳥かご内のディフェンス役を免じられた圭がぼやくように尋ねた。 「これ、いつまで続けるんですか」 「だいたい三十分ぐらいだね。その後は六対三で同じように繰り返すよ」 朗らかな顔をして答えた権丈が東条圭にグラウンダーのパスを送る。正面と左方向へのパスコースを切るような両構えの位置に黒田が立ち塞がると、圭は苦し紛れにパスをリターンした。 わずかにアウトサイドで触れただけのパスは弱く、平岡が足を伸ばして難なくカットした。 「交代だ」 黒田と平岡が円の外に出て、権丈と圭が円の中に入った。 「東条、顔が引き攣ってるぞ。元気出せ」 黒田に発破をかけられた圭は一瞬、怯えたように身体を縮こまらせた。 「……うぇい」 か細い声で返事をした圭の背中を権丈は微笑を浮かべて見つめていた。
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