洛陽の月
チャント

 久々の公式戦は、練習中にはあまり感じることのなかった精神的な昂ぶりをはっきりと自覚することが出来た。ピッチ上で相手チームと対峙するうち、リハビリ期間中に忘れかけていた試合勘が段々と蘇ってくるのを感じる。  頭の中のイメージと、実際の動きとの間に生じていた微妙なズレがなくなり、ようやくしっくりくるようになってきた。  前半三分に権丈のバックヒールで先制点を奪った洛陽高校は、攻撃の手を緩めることなく宮代高校の守るゴールを攻め立て続けた。  前半十分、強靭かつ大柄な身体を利して相手センターバックを背負いながら黒田がポストプレー。後方やや斜めからの短いパスを受けた黒田はワンタッチでボールを捌く。  二列目から走り込み、相手最終ラインの裏を突いた兵藤がペナルティーエリア内に侵入する。そのまま斜めにドリブルすると後方に短く戻し、最後は黒田が左足で押し込んだ。  ゴールを決めた黒田は浮かれて喜ぶことなく、淡々とセンターサークル付近まで戻ってきたが、アシストパスを出した兵藤はイレブンからひとしきり手荒い祝福を受けた後、右拳を天に突き上げ、小躍りしながら戻ってきた。 「黒田、ナイスゴール! 兵藤、ナイスパス!」  黒田へショートパスを出し、攻撃をお膳立てした権丈が親指を立てて、黒田のゴールと兵藤のアシストを素直に称賛する。  権丈がちらりとベンチの様子を窺う。大葉監督の横に居並ぶ控えメンバーは既にお祭り騒ぎで、スタンドから観戦している部員たちは白いメガホン片手にタオルを振り回して大盛り上がりだ。 「兵藤にしては無駄のない、良い動きだった」  後方からの起点となったボランチの平岡が小さく手を叩く。  続く前半二十三分に権丈が強烈なミドルシュートをゴールに突き刺し、その五分後、東条圭がショートカウンターから単独突破を図り、戦意喪失気味のゴールキーパーを嘲笑うかのようなループシュートを決めた。  洛陽高校は前半四十分を終え、四対〇の大量リードでハーフタイムを迎えた。応援席に陣取る部員たちは肩を組み合い、野太い声で、チームを鼓舞する応援歌チャントを朗々と歌い上げながら踊っていた。  夏のインターハイ一回戦で惜敗したため、前年度全国出場を果たした昨年のチームほどの期待はかけられていないのだろう。応援席は寂しい限りで、サッカー部員以外の応援団はおらず、部員の両親や家族と思しき一団がひと塊になって座っているだけだった。  学校側からの期待度の低さの表れからか、チアリーディング部もブラスバンド部も観客席にはおらず、サッカー強豪校のような統率のとれた応援ではなかったが、試合に出場する選手たちと同じ白地のユニフォームを着た控え部員たちの顔は皆楽しげだった。 「権丈君、お疲れ。今日は絶好調みたいだね」  応援席を眩しそうに見つめていた権丈に、控えゴールキーパーの志木がドリンクボトルとタオルを差し出した。権丈はドリンクを受け取り、タオルで汗を拭くと、声を嗄らしてチームを鼓舞する応援席に向かって大きく手を振った。  権丈の労いに気が付いた応援団は、その場で足を踏み鳴らし、試合会場中に響く低い唸り声と共に、権丈の名を連呼した。 「月まで走れっ! ゴンタケ、ヨースケッ!! ゴンタケ、ヨースケッ!!」  十分間の休憩の間、選手たちがロッカールームへ引き上げていくが、応援団の野太いチャントの声は途切れることなく続いている。ゆっくりと歩いて、チャントに耳を傾けていると、試合に先発した権丈以下十一名の名を順々に唱和しているようだった。 「あいつら、サイコーだな!」  感動を禁じ得ない様子の兵藤が目元を潤ませながら、絞り出すように呟いた。権丈も同意するように小さく頷く。 「これは全国行くまで負けられないね」 「ああ、そうだな」  権丈と兵藤に遅れてロッカールームへ戻ってきた東条圭は、心なしかうんざりとした表情を浮かべていた。試合では随所でキレのある動きを見せていたが、プレーの出来に反して、表情が曇っている。 「どうした、圭。腹でも痛えのか」  寮の同室で半年以上を過ごした兵藤がいち早く異変に気付き、圭に一声かけた。東条圭が、違う、そんなんじゃない、とばかりに首を横に振る。唇を尖らせ、不満げに言い募った。 「あのチャント、止めて欲しいっす」 「なんでだ? サイコーだろう」  兵藤が首を傾げると、東条圭が眉根を寄せた。圭の横で、右サイドハーフの小峰史郎が笑いを堪えている。 「ぼくだけ、『真面目に走れっ! トージョー、オトウト!』なんすよ。なんすか、あれ。ぼくだけネタ扱いっすか。しかも、名前呼びじゃなくて弟呼びだし」  子供っぽく、ぷりぷり怒っている東条圭を見て、ロッカールームに集まったメンバーがそれぞれに大笑いした。 「やっぱり、あいつらサイコーだ!」  兵藤が爆笑する中、権丈は困った顔をして圭を宥めすかした。 「二文字でケイだと、チャントのリズムに乗りづらいからじゃないかな。他意はないと思うよ、たぶん。試合中もよく走っていたし」  ウィンドブレーカーを羽織った大葉監督は静かに微笑みながら、ロッカールームの片隅から選手たちの様子を観察していた。椅子から重い腰を上げると、東条圭に向かって言った。 「今日はわりとよく走れていましたよ、東条君」  大葉の一言をきっかけに弛緩していた空気がぴりりと引き締まる。 「権丈君はよく動けていましたが、復帰間もないですから、後半は大事を見て交代しますか。点差もついていますしね」  早めの交代を持ちかけられたが、権丈はかぶりを振った。 「足は大丈夫です。今の良い流れを切りたくないので、このまま行かせてください」  権丈の意思を確認した大葉が満足そうに頷く。 「分かりました。では権丈君の交代は無しで、後半もこのまま行きましょう」  洛陽イレブンと控えメンバーは権丈を中心に円陣を組んだ。両膝に手を置き、中腰になった権丈が生真面目な口調で言った。 「試合に出られない応援席のメンバーのためにも絶対に勝とう」  円陣が深く沈み込み、円の中心に立った権丈が咆哮する。 「絶対勝つぞっ!」  野獣のような雄叫びが何重にもなり、狭いロッカールームの壁を震わせた。

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