洛陽の月
止める、蹴る、運ぶ

 入部テスト最終日に行われた一年生対二年生の紅白戦に途中出場した東条圭は、うっかりしていると見逃してしまうぐらいにさりげなく高度なプレーを披露した。  ゴールキーパーが前線へフィードしたボールをハーフウェーライン付近で受けようとした圭は二人のディフェンダーに即座に囲まれた。  左右から迫ってくるマークマンの位置をちらりと確かめると、ディフェンダーにくるりと背を向け、両足で軽くジャンプしながらロングボールの衝撃を右足裏に当てていなし、ボールをぴたりと足元に止めた。  自身の右脇から迫ろうとするディフェンダーとボールの間に身体を割り込ませ、右足元に置いたボールを奪われないようブロックしつつ、もう一人のディフェンダーが回り込み左前方からタックルに来たのを見て、軸足である左足の後ろにボールを通した。  ――クライフターン。  一瞬の動きで二人のディフェンダーを置き去りにし、前へ向き直った圭は足に吸い付くようなドリブルでゴールへ切り込んでゆく。 「ボールタッチが柔らかいですね。いい感覚フィーリングをしています」  試合の行方を見守っていた大葉監督の口元が緩み、滅多に他人のプレーを褒めることがない平岡が「今のは上手かったね」と感心した様子で頷いた。  大葉と平岡の間で紅白戦の成り行きを見守っていた権丈は、どうやら兄譲りであるらしい足元の技術の高さに舌を巻いた。ドリブル直前に見せた一連のトラップを見るだけで、抜群のサッカーセンスを持っていることがよく分かるプレーだった。  ボールを止める、蹴る、運ぶ。  この三つがサッカーの根幹を為す基本技術と言われるが、どの位置にボールを止め、どこに向かってどんな強さ、角度でボールを蹴り、ボールをどこまで運ぶか、という瞬時の判断と合わさってこその技術である。 「空間スペースがよく見えていますね。視野が広い」  大葉が感心したように言い、平岡が同意するように頷いた。  高度なテクニックもさることながら、先のプレーで真に驚嘆すべきは、ボールを受けるまでのほんわずかな時間にディフェンダーをいかにしてかわすか、という絵図を脳内に描いたことである。豊かな想像力を感じさせる、まさしく流れるような動きだった。  大葉監督と平岡が評価した点はおそらくそういう部分だろう、と権丈は理解した。 「ですが、まだ怖さはない。そこがお兄さんとの決定的な違いでしょうか」 「自分の技術に酔っているところは透けて見えましたね」  あえて注文をつけたのはゴール前密集地帯でのワンプレーのことだろう。見え見えのシュートフェイントから再びクライフターンを披露し、センターバックとキーパーを欺こうとした場面で、大葉と平岡が苦言を呈した。 「お兄さんと彼の違いがどこにあるか分かりますか、権丈君」  大葉監督に唐突に話を振られた。少し考えてから権丈が答える。 「シュートを狙っている感じがしませんでした」 「その通りです」  大葉が答え合わせをする教師のようにフィールドに目をやった。圭は囲まれて潰され、一年生チームはカウンターを喰らっている。 「自分のテクニックを見せつけることに意識が行き過ぎていて、得点に直結するプレーを第一に考えていないように見えました。本気で点を取ろうとしていない選手は怖くはありません。大事なのは、上手さではなく怖さです」  さほど口数の多くない大葉監督がチームミーティングの際に口を酸っぱくして言っていることがある。  大雑把に分けてサッカー選手には三つのランクがあり、下から「器用」、「上手い」、「怖い」という段階がある、と。  たんにテクニックを保持しているだけの選手は「器用」と評される。相手がどんなにプレッシャーをかけてきても技術を変わらずに発揮できるのが「上手い」選手。そして「怖い」選手とは文字通り相手に脅威を与えられる選手を指す。  相手が少しでも目を離した隙に決定的な仕事をやってのけるのが「怖い」選手である。  その伝からすると、東条圭は「器用」を卒業して「上手い」の段階に足を踏み入れたぐらいのレベルであり、実兄である東条俊一は「怖い」レベルまで到達した選手だったということだ。 「そこらへんの意識が変わるといいのですがね」  一瞬、大葉に見られたような気がした。権丈は監督の方を振り向くが、大葉は真っ直ぐフィールドを見つめていた。自分の気のせいだったらしい。 「まあ、でも彼には入部テストに合格点を差し上げましょう」  大葉の一歩後ろに控えていたBチームコーチの菅原が手に持った記録用紙に丸印を書き込んだ。 「それともう一人も合格にしておきましょう。テクニックはともかくとして、あのスタミナは捨てがたい」

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