洛陽の月
洛陽高校サッカー部

 月まで走れ。  その合言葉が示す通りの豊富な運動量を武器に、強豪校ひしめく府予選を勝ち抜いた京都代表・洛陽高校サッカー部は、全国四千校の頂点を決める「全国高等学校サッカー選手権大会」の第二回戦に挑んでいた。  新年早々に行われた試合は、正月気分とは無縁の張りつめた空気が渦巻いている。  大会規定の試合時間である八十分をスコアレスドローのまま全力で戦い抜いたイレブンの放散する熱を静かに冷ますかのように、等々力陸上競技場のフィールドには雪がちらつき始めていた。  試合時間を終えても勝敗が決しなかった場合、決勝戦以外は延長戦を行わず、PKペナルティキック方式によって勝敗を決する。  水を打ったように静まり返る観衆が見守るなか、ポイントを先行された洛陽高校は、主将の東条俊一がファーストキッカーを務めた。表情ひとつ変えずにペナルティスポットにボールをセットすると、ゴールキーパーをまっすぐに見据えたまま後ずさりした。  右足から放たれたシュートは美しい放物線を描き、ゴール右上隅のいわゆる神様コースに吸い込まれた。たとえキーパーがコースを察知していたとしても容易には防げないことから、ゴール四隅へのシュートはそう称されることが多い。  実際、相手チームのゴールキーパーはぴくりとも反応できなかった。エースナンバーの10番を背負った東条の背中は、いつも以上に大きく見えた。  東条は笑顔ひとつ見せず、センターサークルに居並んだチームメイトたちと無言でハイタッチを交わした。その険しい表情は「まだ同点に追いついただけだ。いちいち騒ぐな」と戒めているようであり、堂々とした立ち居振る舞いには勝負師の風格が滲む。  セカンドキッカー、サードキッカー、フォースキッカーが交互にシュートを蹴り込み、全員がゴールを決めた。  先行の神奈川代表・桐郷学園の五番手のキッカーが蹴り込んだボールがネットに突き刺さるのを見て、ピッチ上唯一の二年生である権丈陽介ごんたけようすけは思わず目を塞いだ。  九人の選手が蹴り終えて、スコアは五対四。次を外せばその瞬間、負けが確定する。 「次は誰が蹴る?」  主将の東条がゴールを見据えたまま、低い声で言った。外せば負ける極限状態で、すぐに返事をする者はいなかった。  三年生の誰もが蹴りたがらぬ中、権丈が勇敢な面持ちで一歩前に歩み出た。 「俺が行きます!」  東条と目が合った。腰に手を当てたままま、東条は小さく頷く。 「よく言った、権丈。決めて来い」 「はいっ!」  先輩たちの声援に後押しされ、権丈は静まり返ったピッチ上を歩いた。  一歩歩くたびに膝が震え、ペナルティスポットにボールをセットしてからゴールを見ると、その幅はやけに小さく見えた。両手を大きく広げたキーパーはさながら鬼神のようで、どこにシュートしても叩き落とされるような予感がした。  東条先輩は顔色ひとつ変えず、ゴール右上隅に突き刺した。それはいったいどんな芸当だったのだと、今更ながらに思い知った。  一歩助走をとるたびに心臓が早鐘を打ったように荒い拍動を繰り返しているのがよく分かる。大袈裟ではなく、ボールを蹴る前に、口から心臓が飛び出しそうな気がした。  権丈は気を落ち着けようと胸に手を当て、しばらくの間、目を瞑った。審判の笛の音を合図に目を開けると、ゴール右上隅の一点がちかちかと点滅しているように見えた。  大きく息を吸い込み、そして吐き出す。  長い助走から、思い切りよくボールを全力で蹴り込んだ。  キーパーは一か八かで左方向へと横っ跳びしたが、権丈が狙ったコースとは真逆だった。ボールを押し潰すような感触が右足に伝わり、その瞬間、ゴールを確信した。  だが、無情にもボールはゴールネットには収まらなかった。  権丈は呆然とその場に立ち尽くし、クロスバーをわずかに掠め、バックスタンドへと消えたボールの行方を見つめた。  唐突に目の前が暗闇に覆われ、一気に膝の力が抜けた。  両耳に一瞬だけ届いた悲鳴のような歓声も消えた。  身体の中心を上下に貫く芯が消え去ったようで、その場にまともには立っていられず、ピッチ上に膝から崩れ落ちた。  不思議と、涙は出てこなかった。  今日のこの日を三年生の最後の試合にしてしまった自分に、人前で憚らずに泣く資格など、どこにもないように思えたからかもしれない。

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