洛陽の月
特殊な才能

 菅原が提出してきたレポートによると、二十周走の先頭を走っていた小峰史郎こみねしろうは10㎞を三十分足らずで走り切っていた。  トップチーム入りの条件は、3200メートルを12分間で走る、ということであるから、現時点でも基準を余裕で満たしていることになる。  それどころか、レギュラー陣の上級生にさえ比肩しうる好タイムを叩き出していた。後半にペースダウンするどころか、尻上がりに早くなっている馬力もまた魅力だ。 「ちょっと前まで中学生だったにしては早いですね」  練習を終えてからひょっこりと監督室に顔を出した兵藤が言った。メイングラウンドに隣接したクラブハウスの一角にある監督室に自由に出入りできる学生は、副主将の兵藤弘と主将の権丈陽介だけである。 「体力だけならAチームでも十分いけそうな水準です」  レザーの肘掛け椅子に腰掛けた大葉監督が手放しで褒め称えた。 「ジョーさんの弟は気合の足りないタイムですね」 「ええ、こちらとしても頭が痛い」  大葉監督はデスクの上に置かれた東条圭とうじょうけいのサッカー経歴書に目を落とした。  氏名、生年月日に加えて、サッカー歴、身長、体重、利き足、フォーメーションごとにこなせるポジション、公式戦出場数、得点数、自己PRなどの項目が並んでいる。  163cmと小柄なのはともかく、入部テストの合否判定の基準の一つとなる二十周走のタイムが入部希望者中最下位ではお話にならないというものだ。 「俊兄ちゃんのこなしていたポジションはだいたいこなせます……って、自己PRとしちゃあだいぶ面白いですね」  東条圭のサッカー履歴書を大葉から手渡された兵藤が大笑いした。  フォーメーション欄は空白、自己PR欄に件のコメントがあり、公式戦出場数:不明、得点数:数えてません、利き足には右と左の両方に丸がつけられていた。  サッカー歴の末尾には「京都U―15選出(ただし、ずーっとベンチ)」とミミズがのたくったような文字で書かれている。ボールペンではなくシャーペンで書かれている点にも人を食ったような性格が垣間見えた。 「自信家なのか天然なのか、よく分からない子ですね」  大葉が眉間に皺を寄せ、困ったような表情を浮かべる。 「でも、監督はこういうタイプ嫌いじゃないですよね」  兵藤はデスクに東条圭のサッカー履歴書を置きつつ、意味深な笑みを浮かべた。 「ええ。分かりますか?」  大葉が相好を崩した。 「監督、オモシロ物件が好きですからね。こういうふざけた態度の選手は強豪校の選抜テストセレクションだと真っ先に弾かれるんでしょうけど」 「人とは違う感性を持っている子は、それだけで貴重ですからね」  大葉は目を細め、椅子から立ち上がるとブラインド越しに窓の外を眺めた。すっかり日の暮れたグラウンドには夜間照明の光が煌々と瞬いている。居残り練習をしている選手は、時折コーチのアドバイスを聞きながら、ドリブルやフリーキックの練習をしている。 「新種は摘み取らないようにしないといけません。若い才能を燻らせるか否かは指導者の度量の広さにかかっています」  大葉の教訓めいた発言に兵藤が首を傾げた。 「でも、フィジカルが足りないとどうしようもなくないですか」  サッカー関係者の間では、相手選手に当たり負けしない身体的な強さ、スタミナなどをひっくるめて「フィジカル」と称することが多い。どれだけテクニックがあろうとフィジカルが伴っていないと、強豪校やクラブユースでは評価の俎上にすら乗らない場合さえある。 「それはスカウトする側の人間が節穴なのですよ。大抵、フィジカル面や周囲との協調性ばかりを先に見ていて、やれフィジカルがない、スピードがないと切り捨てしまっている。メンタルが弱い、協調性がないというのもそうですね」  大葉はいったん言葉を切ると、兵藤の方へと向き直った。 「フィジカルにせよ何にせよ、それらは後から足せるものです。そこばかりを重要視していると、特殊な才能を発掘できなくなります」 「じゃあ、権丈の精神力メンタルもなんとかなりますか」  窓から離れ、大葉は椅子に座り直した。 「あいつ、フィジカルはともかくメンタルは豆腐ですけど」 「時間はかかると思いますけど、あいつはいずれ化けますよ。引退後の挨拶に来た東条君はそう言っていましたね」 「ジョー先輩がそう言うなら、たぶんそうなんでしょうね」 「ええ、彼の見る目は確かです」  兵藤は小さく会釈すると、監督室を後にした。

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