洛陽の月
形成外科

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 権丈は中間考査の最終日を乗り切ったその足で、圭に紹介された形成外科へと向かった。  東条圭から渡された手書きの地図を頼りに権丈は鴨川に面した先斗町界隈を彷徨い歩いた。手書きの地図があまりにアバウト過ぎて、それらしい形成外科の場所がどこにも見当たらない。来た道のどこかで見落とした可能性を考慮して、小料理屋の立ち並ぶ横幅の狭い石畳の道を引き返すことにした。  目当ての診療所は先斗町と木屋町通りの間にある暗い路地の突き当たりにあった。食事処の庇と放置自転車の影に隠れて、見逃していたようだ。  こじんまりとした個人宅のような趣の形成外科の扉を開くと、すぐ目の前が受付になっていた。権丈は靴を脱ぎ、スリッパに履き替えるが、受付に人はおらず、患者らしき人間もいない。  病院前に掲げられていた看板を確認した限りでは、午後三時は診療時間内であるはずだが、医師は出払っているのだろうか。権丈が受付横の待合ソファの前で立ち尽くしていると、待合室の向かいのドアが半分ほど開いた。 「今、お昼ご飯食べててね。お待たせしました」  顔を出した白衣の男は四十絡みの小太りの男だった。白衣の胸ポケットに大塚と書かれたネームプレートが付いている。口の周りには米粒が付いていた。 「ここに来るのは初めてかな」 「はい。権丈と言います。洛陽高校のサッカー部で」  受付で問診票をバインダーに挟んでいた大塚医師が頷いた。 「太腿を痛めた子だね。東条君から聞いているよ。さ、中にどうぞ」  大塚医師が診察室へと入るよう手招きした。手書きの地図もアバウトなら、患者対応も相当にアバウトだった。簡易ベッドにうつ伏せになるよう指示された権丈はスリッパを脱ぎ、ベッドへ上がった。 「ちょっと曲げてみるよ」  大塚医師が左の足首を持ち、膝を後方へゆっくりと曲げた。 「うっ……」  権丈が呻き声をあげる。大腿が突っ張り、膝がほとんど曲がらなかった。太腿の赤黒くなった部分を大塚医師が軽く押した。 「ここ、押すと痛いでしょう。よく今まで我慢していたね。ほとんど歩けなかったんじゃない?」  軽く押されただけのはずなのに左足に電流が走ったような鋭い痛みを感じた。権丈は苦痛に顔を歪める。エコー検査に続いてレントゲン撮影となった。大塚医師はレントゲンに写った白く薄い帯状の影の部分を指差した。 「これは骨化性筋炎という症状だね。平たく言うと筋肉の中に骨ができているんだ。打撲の合併症のひとつだね」  大塚医師の説明によると、大腿四頭筋の中に、血腫とカルシウムが沈着して骨ができているのだという。 「筋肉が動くたびに筋肉中にできた骨と擦れるのだから、そりゃあ痛いよね」 「手術が必要なんですか」  権丈がレントゲン写真を見つめながら、掠れた声で言った。 「安静にしておけばじきに治るよ。ただ少し時間はかかるけれど」  ほとんどの場合、手術は必要ないと聞き、権丈は安堵の息を漏らした。しかし手術は不要だと言いながら大塚医師は渋い顔で、なにか言いずらそうにしている点が気になった。 「どのくらいで治りますか」 「約半年」  大塚が答えた治癒期間の目安は権丈の想定を遥かに上回っていた。 「一ヵ月くらいじゃなくて?」 「痛みや炎症が消えるのは一ヵ月かそこらもあれば十分だけれど、コンタクトスポーツへの復帰は段階を経てからでないと駄目なんだ。君はサッカーをやるんだよね。今、何年生だっけ?」 「三年です。今年で引退なので、どうしても選手権に出たいんです」  権丈が訴えると、大塚医師は気難しい顔をした。 「全国大会は大晦日にやるんだったよね。そっちにはおそらくぎりぎりで間に合うと思う。予選はいつからだったっけ?」 「十月と十一月です。全国までは七試合」  大塚はカレンダーを見ながら、指を折って数え始めた。 「今、六月でしょ。十二月でちょうど半年だから、予選の方は厳しいかなあ」  うなだれる権丈の肩を大塚医師が軽く叩いた。 「半年というのはだいたいの目安だから、レントゲン上で骨が消えていけば、それよりも前に復帰を許可することもある。でも、それぐらいの時間がかかることは覚悟しておいて。まずは患部にテーピングを巻いて、安静にすること」  大塚はいちど診察室から出ると、テーピングと松葉杖を持って戻ってきた。 「怪我をしたその日に来てくれれば、もう少し早めに復帰できたんだけど、今さら言っても仕方がないね。まずはたっぷり休養を取ること。今できることはそれぐらいだね」

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