洛陽の月
隔離病棟

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 総勢六十名以上の部員が一堂に会した賑やかな夕食の席で、兵藤が声をひそめた。 「ところで、お前らの部屋だが」  街の定食屋の倍量近い香味焼きチキンと味噌汁、ひじきをようやく食べ終え、李軍曹がたっぷりとよそった山盛りのご飯にふりかけを大量にかけていた圭が視線を上げる。予想以上に食事が美味しかったからか、あるいは食事の量に辟易したのか、圭の目元がわずかに潤んでいる。 「うちの部は三年と一年が一緒の部屋に住む伝統があってな。部屋に空きがあるのは権丈部屋、黒田部屋、平岡部屋なんだが、希望があれば一応聞くぞ」  権丈が洛陽荘のフロアマップを差し出した。二階と三階にはそれぞれ十室の部屋があり、どの部屋も三人部屋ないしは四人部屋という仕様だ。  三階の路面側の三○一号室は権丈、三○二号室黒田、三○三号室平岡と「室長」の名前が連なっていたが、二階にも三階にも兵藤の名前は記されていない。  ご飯のおかわりと厨房で余ったおかずを調達し、席に戻ってきた黒田は黙りこくったまま食事を再開した。既に食事を終えた平岡は熱いお茶を啜っている。 「あの……」  小峰は淡々と食事を続ける黒田の方をあえて向かないまま、口元に微笑を浮かべている兵藤に尋ねた。 「兵藤先輩の名前がどこにも見当たらないんですけど」  小峰の対面でお茶を啜っていた平岡が涼しい顔で答える。 「こいつはいびきがうるさ過ぎて、一緒の部屋の先輩がことごとく不眠症になってね。上級生全員に引き取りを拒否されてからは権丈といつも同部屋という特別扱いになった」  平岡が三○一号室をすっと指差した。 「だから別名、隔離病棟」 「寝るときに耳栓をしておけば大丈夫だよ」  権丈が曖昧に笑ったが、小峰と圭は唖然として互いに顔を見合わせた。 「お、俺、平岡先輩の部屋が良いです」 「俺も」  小峰と圭が競うように言った。 「平岡は特進クラスのエリート様だからサッカーより勉強第一だぜ。一教科でも赤点なんか取った日にはどうなるか楽しみだな」 「赤点、即隔離だよ。赤点を取るようなやつにサッカーをする資格はない」  兵藤が意地の悪い笑みを浮かべ、平岡は平然とお茶を啜っている。  小峰と圭が瞬時にアイコンタクトを交わす。「無理だろ」「無理だな」和やかな食事中に似つかわしくない険しい目つきは、無言のうちにそう言い合っているようであった。 「悪いことは言わないから、無難に黒田部屋にしときなよ」  平岡が親指をくいっと黒田の方へ向けた。黒田は一年生との会話にほとんど加わらず、黙々と食べ続けている。 「三食プロテイン付き、筋トレのお供確定だけどな」  ついでのように兵藤が言った。 「で、どこにする?」  組んだ手の上に顎を乗せた兵藤が最終決断を迫る。小峰と圭は互いに沈黙し、救いを求めるような目で権丈を見た。 「いきなり言われても決められないよね。俺も一年生のときはそうだったよ」  にこやかに笑いかけた権丈は、どこからか紙の切れ端とボールペンを持ってきた。 「迷ったらアミダで決めるのがいいんだ」  縦に三本の線を引き、無作為に横線を書き込むと、縦線の先端に部屋番号を記した。紙の底部を折り返した権丈は、圭と小峰に縦線の位置を選ばせた。 「小峰君は三○二号室。黒田部屋だね」  神妙な面持ちで縦線を指でなぞった権丈が言った。  食事を終えた黒田は空き皿を重ねたトレーを厨房脇の返却台に置くと、李に「軍曹、ご馳走様でした」と声をかけた。厨房内で明日の仕込みをしていた李は片手を上げ、「おう。今日もよく食ったな」と鷹揚に答えた。 「先に戻っている。食事が終わったら部屋に来い」  テーブルに戻ってきた黒田は手短に伝えると、去り際、振り返らずに言った。 「あと、お前はもっと食え。その量だと背が伸びんぞ」  黒田が食堂から出ていったのを見届けた小峰は、諦めたように肩を落とした。 「権丈先輩、俺はどの部屋ですか」 「ああ、ごめん。ちょっと待ってね」  ゆっくりとアミダをたどった権丈が微笑した。 「三○一号室。これからよろしくね、東条君」 「うす。よろしくお願いしゃす」  山盛りのご飯をようやく胃袋に流し込んだ圭がもぐもぐしながら頷く。 「いいか、圭」  兵藤が偉そうにふんぞり返りながら言った。 「朝、先輩がまだ寝ていたら優しくそっと起こす。後輩がまだ寝ていたら叩き起こす。それが民主的な共同生活というものだ」  いったん頷きかけた圭がわずかに首を傾げた。 「……うす」 「先輩と思えない先輩は叩き起こしても平気だからね」  平岡がお茶を啜りながら茶々を入れた。 「うす」 「耳栓かヘッドフォンは早いうちに用意したほうがいいね。では、健闘を祈る」  湯呑を持ち、平岡がしれっと席を立った。

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